見出し画像

温泉はとにかく硫黄だ。古文書『温泉考』解読⑤

寛政六年(1794)の古文書『温泉考』の解読第5回目です。

今回は、温泉が身体に良いそもそもの理由は硫黄にあるという、この本の核心部分を読み解いていきたいと思います。

総じて、諸国の温泉を
「この湯は悪い湯だ、この湯は良い湯だ」
というのを知るのも、
温泉というものはどんな性質のものだから
こういう病状に効くのかを知るのも、
まず最初に、温泉はいかにして
湧き出るのかという、根本の原理を
知らなければいけません。

およそ温泉の湧き出る理由は、中国の書にも
いろいろと理屈をつけて書かれていますが、
まずは地中に硫黄があって、その硫黄の力で
水が温かくなっているとあります。しかし、
この説に確定するまでには至っていないのです。

そのため、別にいろいろな説があり、
明の李時珍の説には、硫黄に限らず
砒石ひせき※のあるところにも温泉があり、
そうであるから硫黄が温泉の原因とは
断定できないと言っています。

 ※砒石ひせき=ヒ素を含む鉱物

砒石(ひせき)

『漁隠叢話』という書には、朱砂しゅしゃ※や明礬石みょうばんせき※、
雄黄ゆうおう※で湧く温泉もあるといいます。

 ※朱砂しゅしゃ辰砂しんしゃの古称。硫化鉱物で
  水銀の原料や赤色顔料として使用。

朱砂(しゅしゃ)

 ※明礬石みょうばんせき=ミョウバンの原料で、防水剤や
  消化剤、アルミニウムの原料やカリ肥料
  などにも利用。

明礬石(みょうばんせき)

 ※雄黄ゆうおう=ヒ素の硫化鉱物で石黄せきおうともいう。
  毒性が強い。

雄黄(ゆうおう)

また、『潜確類書』という書には、後周の王褒が
温泉の項目のところに、温泉あるところには必ず
明礬石・辰砂・硫黄の三つが根本にあり、
その力で蒸され湧いているとあります。

楊升庵の『丹鉛録』や、謝肇淛の『五雑組』
などでも、皆この説で共通しており、
これらの諸説には少しずつ違いがありますが、
結局は土中にそれぞれの石薬せきやく※があり、
その勢いで温泉が湧いているとする
考えなのです。

 ※石薬せきやく=石で薬になるもの

それにもかかわらず、『人子須知』という書は
これらの諸説と大きく相違しており、
そこにはこう書かれています。

「世にいう温泉には硫黄か礜石よせき※などの
熱性の石薬があるため、その気で湧き出ると
いうが、温泉あるところに硫黄や礜石の
痕跡もないところはいくつもある。

 ※礜石よせき=ヒ素を含む鉱物

だから、硫黄や礜石などの力ではなく、
地中に龍が住み、その龍の狂気が泉を
湧かしているのだ」

一方、ある説では、暖かいところであれば
その地で温泉を湧かすというものもあります。

宋の唐子西が温泉に遊行したことを書いた
書物には、
「一般に硫黄が温泉を湧かすと言われるが、
試しに硫黄をどれほど水の中に置いても
その水は全然暖かくならず、硫黄の気で
温泉が湧くという説は受け入れがたい。

暖かいところでは、温泉が湧き出るという説が
あっても、寒いところにも温泉はあるのだから、
この説もそもそも信じがたい」
とあります。

そのため、唐子西の考えでは、
「温泉というものは天地の間でひとつの種類で
存在するため、温泉が湧くなどということは
どうしてあり得るのか。

天地の間で水は水、潮は潮、温泉は温泉であり、
待ったからといって必ずしもそうした後に
暖かくなるとは限らない」
としています。

古今、温泉の理論を論した諸説には
以上のようなものがあるのです。

今、私が異論を唱えてそれを決定づける
ということは、これらの諸説を全否定する
ことになります。

十分な硫黄の力で温泉が湧くということは
古人も多くこれを唱えており、実際に
今日の温泉の多くは硫黄の臭いもあります。

ですから、今時の医者があっさりこれを
受け入れてその説を主張することによって、
世間もこれを信じ、十人が十人
その説に同調すると思われがちですが、
詳しく述べるとそうではないのです。

礜石よせき明礬石みょうばんせき雄黄ゆうおう砒石ひせきから湧く
という説はそもそも誤りで、また、龍の狂気
などというのは妄想も甚だしく、
論じるまでもありません。

唐子西の「只是在天地間自為一類受性本然
不必有待然後温也」というのは手つかずの説
ですが、これも要するに温泉の温泉たるゆえんを
知らない説であって、認められないものです。


【たまむしのあとがき】

どんなことでも、従来まかり通っていたこと、当たり前とされていたやり方・考え方に異論を唱えるというのは大変なことです。

この温泉論もそうした著者の苦労がよく読み取れますね。

現代に目を向けると、テレビのコメンテーターや有名人の発言などにも、インターネットではああだこうだと、いちいちコメントが見られますが、言論の自由があるのだからそれはいいのですけど、まぁ、うるさいなと思いますし、結局そういうのがあって炎上したりして、公の場で発言できる人も無難なことが言える人が残るみたい感じになってるなと思います。

もう、テレビも新聞も見出しだけ見ればほぼ十分で、まっとうな話や本当のことを知りたければ、自分で探しに行かなければならなくなっています。

そうしたものを求めると、引き寄せの法則というのでしょうが、ちゃんとほしいものに遭遇できるようになってるんですよ。

ですから、従来メディアのテレビ・新聞しか見ないなんていう高齢者の方は、大変だと思います。

最近、安倍元首相の国葬の件が連日テレビで流れていますが、日に日に反対派が増えてるんですよ。

これ、お金の話を持ち出すからこうなってるんじゃないかと思うんですよね。

お金の話をしなかったら、素直に国葬しましょうってなるのに、いくらかかる、自民党はこういう意向だなんて言うから、だんだん腹黒さが伝わってくるというか、そんなら止めようかってなるんです。

国葬やるかやらないかは「心」「気持ち」のはずなんですよね。

って何が言いたかったというと、流されるなってことと、信念のあることは曲げるなってことです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?