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小説 桜ノ宮 ㉖

しばらくすると、広季だけがエレベーターホールへと消えていった。
紗雪がフロントへと歩いてくる。
「ごめんな。いきなり」
「ええよ。どうせ暇やし」
パソコンの画面から目を離さずに修は答えた。
「探偵稼業も楽やないわ」
紗雪は大きく息をつきながらフロントに背を向け、カウンターに両手を伸ばした。
「ハニワ誠実教って、いろいろやらかしてんの?今回みたいに」
振り向くことなく紗雪は修に訊ねた。
「そうやなあ。まだそんなに大きな事件はないけど」
「何かないと動かんのが警察やもんな」
「悪かったな」
入力が終わり、修は書類を小さな専用バインダーに閉じた。
「今回のことも、犯罪にはならんもんね」
「残念ながらな。売春でもなく、無理に強要しているわけでもないし」
「だから、余計腹立つねん」
紗雪は振り向きざまに低い声で毒づいた。
「私の友達は、修君だけやわ」
「え」
紗雪の険しい面差しの向こう側に人影が見えた。
自動ドアが開く。
薄桃色のニットワンピースを着た女性が入ってきた。
時々このホテルに現れる女性だった。
「先生!」
その女性は紗雪にしがみついた。
紗雪は女性の肩を抱いた。
「早かったですね。美里さん。さあ、私と行きましょう」
やけに落ち着きはらった様子で紗雪は美里に囁いた。
紗雪にもたれかかって歩く美里の後ろ姿に修は胸やけがした。

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