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小説 桜ノ宮 ㉚

「私。急用が…」
消え入るような声で呟くと、真美は踵を返した。
「ダメですよ。逃げたら」
真美が振り返った目の前に同じような背格好の女がいた。
「おお、市川さん」
紗雪は真美の耳元から少し顔をだして頷いた。
昨夜、広季から真美が美里の実家へ現れる時間に合わせて来るよう連絡があったのだった。
真美は広季と紗雪の間に挟まるような形になった。
「逃げるようなマネをしたってこと丸出しやないですか」
紗雪に面と向かって言われた後、真美はその場でへなへなと座り込んだ。
紗雪の横に広季がやってきた。
「真美さん、この家にあったハニワ全部、昨日、あなたの家に送りました」
「えっ」
「それが答えです。もう二度とこの家にも、うちにも来ないでください」
真美は急いでバッグからスマホを取り出し操作した。
画面には「美里ちゃん」との文字が浮かび上がっている。
スマホを耳に当てると、どこからともなく着信音が流れた。
「もーしもーし」
広季が小さなショルダーバッグからピンク色のスマホを取り出し操作した後、画面に向かって朗らかに言った。
真美は広季の顔を見た。
「これ、美里のスマホな。今日、機種変更して電話番号もメールアドレスもすべて変える予定。店、開いてるかどうか知らんけど。うまくいったら明日から、美里とあんたは連絡が取れない。実家とうちの家電にあんたの電話番号拒否できるように設定しといたから。というか、ここまでしなくてももう美里はあんたには会わんと思うけど」
「何で」
「何でって、俺がおるから」
「あんたなんて浮気者やんか」
「それがなんやねん。あんたに関係ないやろ。人の家のことに首突っ込むなや」
やっぱり、浮気はしていたんだ。
紗雪は、まじまじと開き直った広季の顔を見た。
真美はすっかりひるんでいる。
「あのー、真美さんでしたっけ。親友に先越されていろいろ思うところあると思うんですけど」
「あんた誰?」
弱っているのかと思ったら、同性には牙をむく元気がまだあるようだった。
「探偵です」
「たんてー?」
真美は顎をしゃくりあげてにらみを利かした。
「はい。それでですね、あのー、私もですね、ひとりものなんですよ。だから、真美さんの気持ちは少しわかるんです。でも、今回のことはせっかく積み重ねてきた友情やお友達自身を破壊することに繋がりましたよね」
できるだけていねいに、を心がけて紗雪はゆっくりと話した。
「それが目的やったから」
「え?」
「別に美里なんて最近まったく連絡とってなかったし。だいたい昔から連絡してくるのは困った時だけで鬱陶しかったんですよ」
「でも、久しぶりに連絡が来て、嬉しかったんやないですか」
真美は黙りこくってしまった。
「真美さん。私なんてもう何年も女友達と連絡なんてしていませんよ。向こうからもないし。せっかくのご友人にひどいことしてしまいましたね」
紗雪は真美の手を取り、立ち上がらせた。
真美と広季の目が合った。
「もう二度と会うことないと思いますけど。真美さんもあのわけわからん宗教、早めにやめたほうがいいですよ。あなたも美里にさせたようなこと強要させられているんでしょう?」
「あんたらにはわからへんわ」
紗雪の手を振りほどき、真美は来た道を帰り始めた。
その姿が見えなくなるまで、紗雪と広季は黙ってそこに立ちつくしていた。
「お疲れ様でした」
広季が大きく息を吐きながら頭を下げた。
「お疲れ様でした。これでめでたしめでたし、ですかね」
「はい。ほんま助かりましたわ。市川さん、お給料払いますんでまたあとで口座番号メールで送っておいてください」
「はい。よう弾んでくださいよ」
「そりゃもう」
二人は顔を見合わせて笑いあった。
「ほな、私、帰ります。奥様と可南ちゃんによろしく」
「はい。あ、市川さん、老人ホームから連絡ありましたか」
これで広季に会うこともないと思っていた紗雪であったが、お互い母親を同じ施設へ預けている身であった。
「いえ。面会はまだ出来なさそうですね」
「そうですか。緊急事態宣言っていつまで続くかわかりませんしね」
「そうですね」
「はい。それじゃまた。俺は、奥さんの実家に寄ってから帰りますんで」
紗雪は会釈をすると、最寄り駅へと向かって歩き出した。

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