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小説 桜ノ宮 ⑰

可南からの電話を切った後、広季は唸った。
「ああ。腹立つわー」
タンクトップとトランクス姿で地団駄を踏むごとに腹と胸が揺れている。
「どないしたんや」
ソファ越しにスリムが訊いた。
「あのなあ、あ、せや、あの人に連絡しよう」

広季は紗雪に電話した。

「あ、市川さん。芦田ですー。どうもお世話になります」
「ああ、お世話になりますー」

「市川さん、早速探偵の仕事やってほしいんですわ」
さっきまで揺れていた腹を掻きながら、広季はソファに体を沈めた。
「はあ」
「明日、妻の実家へ行ってほしいんです」
「実家?」
「してほしいことについてはメールで送ります、ええと、メールアドレスおしえてもらってましたっけ?」
「え、まだ。あ、今から空メール送っておきます」
「お願いします。それではまた」
電話を切った広季は少し活き活きとしていた。
「なんや泣いたり怒ったり、活き活きしたり。いそがしいやっちゃな」
「ん?そうかな。ちょっと、俺、仕事してくるわ」
「仕事?今日は休みやなかったんか」
スリムの小言をかわし、広季は書斎へと軽くスキップをしながら向かった。
1畳ほどの薄暗い書斎へ入る。
すぐさま机の上にあるノートパソコンの電源を入れた。
「すべて取り戻す。ぜったいに」
広季の目はらんらんと強く輝いていた。

翌朝、待ち合わせ場所に指定した帝塚山駅に行くと、すでに紗雪がそこに立ちつくしていた。
足元ではどこからともなく流れてきた桜の花びらたちが小さな嵐を作っていた。
「おはようございます」
紗雪はシンプルな紺色のワンピースにベージュのトレンチコートを着ていた。
広季は、地味で質素な恰好で来てほしいとお願いしていた。
紗雪は黒ぶち眼鏡を使い心地悪そうに中指の第2関節で調整している。
「おはようございます。いいですね。これくらいの地味加減がいいですよ」
「そうですか。それは良かったです」
「さ、行きましょうか」
広季の足取りは軽かった。紗雪はそのあとをだらだらと揺れながらついていった。

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