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尾道の話

久しぶりにテレビをつけると冬季五輪のカーリングの試合でちょうどもぐもぐタイムの時間だった。
ということは、自分が尾道に1ヶ月滞在していたあの2月からちょうど4年が経ったということだ。
大学2年になる前の春休み、広島県尾道市の「あなごのねどこ」というゲストハウスで1ヶ月ヘルパーをしていた。フリーアコモデーションという、宿泊施設の業務の手伝いをする代わりに、無料で宿に泊まることができるという形だ。
アルバイトを休み(確か辞めたかったアルバイトはこれを機に辞めた気がする)、熊本から福岡乗り換えで広島駅まで高速バス、そこから電車で1時間ほどと、半日以上の移動で、尾道まで辿り着いた。

初めて尾道に行ったのは、大学1年生の夏休みだ。青春18きっぷを使い瀬戸内海周辺をグルリと一人旅することに。そこで初めて泊まったのが尾道だった。ただその時は尾道のことについてあまり知らず、香川のうどんや倉敷での宿泊という目的までの通り道という感じでいた。せっかくだからと尾道から船で約5分の向島の自宅民宿に泊まった。鹿児島出身でありながら島に遊びに行ったことが一度もないということもあり、今考えたらこの旅では島に行くことをとにかく好んだのだろう。向島で一泊したらすぐしまなみ海道を通って愛媛にいくことにしていたため、尾道全体をゆっくりすることはなかった。
この旅で、ヘルパーを募集している全国各地のゲストハウスが多くあることを知り、次の長期休みはどこか1つの場所に滞在してゆっくり楽しみたいと考えた。そこで夏のおわりからなんとなくほんの少しだけ歩いた尾道の景色や心地よさが離れずにいた。もっとあの街のことを知りたいと思うようになっていて、尾道のゲストハウスを調べると、「あなごのねどこ」がヘルパーを募集していたため、すぐに問い合わせた。

そして2018年2月から3月の1ヶ月間、尾道の宿でお世話になることになった。
「あなごのねどこ」は名前の通り鰻の寝床のように奥行きが深い建物を、尾道の特産品の「あなご」にちなんでいる。商店街の中にある、尾道空き家再生プロジェクトによる再生物件だ。
古民家ということもあり、共同サロンや台所は祖父母の家のような雰囲気で、ドミトリー、1階にあるカフェ含め寝床長によるかわいいデザイン・設計が魅力的。
実際なら2,3人体制でヘルパーがいることがほとんどらしいが、ちょうどこの時期に1人になってしまったため、スタッフの方々が手伝ってくれたり、気を遣ってくれたりしてくれた。寝床長と一緒に熊本名物の「いきなり団子」を作ったり、何気ない会話をしたりと、本当に家でくつろいでいるような暖かさがあった。

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宿泊客の方といろんな会話をしたのも楽しかった。今こんなに尾道のことが恋しくなったのは(いつだってそうだけど、今特に)、五輪の時期ということもあり、テレビでみんなでカーリングやスケートを楽しんで観た。なぜか新聞の羽生くんの切り抜きをした気もする。一人暮らしを充分楽しんでいたけども、こうやってたまに人と一つのことに夢中になって楽しんだ時の幸福感があった。

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(あなごのねどこの部屋からみた商店街の朝。あくびカフェーは宿の表にあるカフェ。ここでゲストさんの朝ごはんを作る。)


尾道滞在の1ヶ月の生活は、朝起きてゲストさんの朝ごはんを作り、ご飯を食べたら昼過ぎまで宿の清掃、その後何処かでお昼ご飯を食べて散歩、たまに昼寝。そして夜は大体居間のこたつでぼーっとしたり本を読んだりテレビを観たり、という感じだった。ほぼ毎日散歩をしていたが路地や面白いお店など、毎日いろんな発見があったし、海や坂を見ながら歩くだけでもちょっとにやけちゃうくらい私は楽しかった。大学は地理を専攻していて、昔から地形を楽しむことが好きだ。尾道は坂に路地に尾道水道、長い商店街と自分にとって魅力的なものがたくさんある。それが尾道が恋しくなる理由の一つでもある。

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夏に泊まった向島とはフェリーで片道約5分で行き来できる距離で、自転車を乗せて通勤通学している人もいて、そんな暮らしがとても羨ましく感じた。尾道は坂の街でもあり、千光寺などがある坂の上からみるまちと電車、尾道水道が一望できる景色がとても綺麗で有名だが、向島側から見える尾道本土の海辺と商店街、坂道も魅力的だ。

(尾道で散歩をしているときに一番聴いていた曲。特に目的はなくてもこれから何か楽しいことがありそうとニヤニヤしてしまう感じ。)

尾道では面白くて楽しいたくさんの人たちと出会った。宿のスタッフの方々に本当にお世話になって、毎日楽しい日々を過ごした。最終日にはみんなで美味しいご飯やケーキを囲んで過ごした夜も嬉しかった。尾道に滞在する1ヶ月はせめてお昼ご飯はいろんなお店を巡りたいと思い、それまでにバイトをかなり頑張り尾道ご飯代を貯めて行った。海辺の尾道ラーメンやお好み焼き屋さん、商店街にある喫茶店、坂道の途中や、尾道駅から商店街とは逆方向の路地に入った空き家再生プロジェクトの物件にあったカフェなど、とにかくいろんなお店に行った。そこで、海辺にあるカフェと、今は違うお店になっているらしいカフェに多く通った。誰かと入るのも、一人で入るのも居心地がよく、店員のお姉さんと何気ない会話をしたことが、心休まって癒された。お菓子屋、パン屋などで買ったものを宿に持ち帰って、古本屋で買った本を読みながらのんびりするの時間もとても好きだった。自分のペースで、自分が選んだ食べ物と本、場所を楽しむ日々が今でもとても愛おしい。


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(最終日に作った団子)

そんな1ヶ月、私はまだ未成年だったこともあり、夜お酒を飲みに出ることはなかった。たまに寝床長がお店に連れて行ってくれて、そこでノンアルコールの飲み物を飲んだ。中に入ると貝殻がたくさんあり水族館のような世界観の洋酒喫茶、階段を上がってハンモックでゆっくりしながら世界のビールを楽しむことができるバーなど、夜だけのワクワクする空間が商店街に潜んでいて秘密基地のようだった。

長期滞在してよかったと思うところは、観光としてではなく、そこに住んでいるかのように尾道の人たちの生活を日々感じることができたことだと思う。それ以降も大学生の間は半年に1回は尾道に遊びに行っていて、大好きな映画もシネマ尾道で観たり、成人してからはお酒を楽しむことができたり、ついには卒論にも尾道のことを書いたりと、第二の故郷のような気持ちでいる。

東京に引っ越してから1年、旅行もどこにも行けなくなってしまい、尾道のことを想う時間が日に日に増えている。今は東京で好きな仕事をしているが、寂しさを感じる時間も多い。もし大学を卒業して、一度考えた尾道での生活をしていたら、と考えるとそれはそれで今の仕事はできていないよなと思う。でもそこで尾道を選んでいたら、尾道の人たちと今とは違った暮らしを楽しんでいただろうとも思う。そういうあらゆる節目での自分の選択に正解や間違いはないし、全部を選ぶことはできない。尾道だけじゃなく、大学生活を過ごした熊本で仕事をして暮らすこともたまに考えるし、いろんな場所での生活をよく妄想してしまう。とりあえず今は、とにかく少しの時間だけでも尾道で散歩をしたり誰かと話したりしたい。

もし今後尾道で暮らすか、尾道に好きな時に遊びに行ったりできるような色んな面での余裕ができるか…ということは今の自分の状況では遠い未来のように感じている。もしそんな日が訪れなかったとしても、大袈裟かもしれないけど自分の人生において重要な場所になったことは確かだろうし、ずっと忘れることはないと思う。こういうこと尾道の知り合いに聞かれたらなんか恥ずかしいけど。


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