吉野屋発言問題で感じる生きづらさ。セクハラはユーモアという時代。
吉野家の不適切発言について話題になっています。
事の発端は、早稲田大学で開かれた講座にて「生娘をシャブ漬け戦略」などの発言をしたこと。男性に対しても差別的な発言がされています。
到底許されない発言の数々ですが、当時会場では笑いも起きていたそう。
かつてセクハラはユーモアであった
近年はジェンダーやセクハラなど性について取り上げられる事例が増え、各企業もSDGsを掲げていますが、ようやく世間に浸透してきたのはこの2~3年と思います。
かつては、セクハラがユーモアとされた時代がありました。例えば、某有名番組では女性の乳房が常々ハッキリ映っていて、それがギャグとして扱われたり。
私の実体験では、テレビ局で勤務していた時も数々のセクハラがありました。その時は退職の相談を上司としていたんですが、職場の悩みを話したあと上司は「嫌なことは寝ずに朝までヤッてヤッてヤリまくったら忘れられるから」と笑いながら言いました。言った本人はユーモアのつもりです。私は言葉も出ませんでした。
ただ…でも、なんとなく空気を壊しちゃ悪いと思い、笑いました。(早稲田の講座で笑った群衆と似てます)
テレビ局以外にも中小企業でも同じような経験がありますし、フリーランスになった今でも当たり前に存在します。
「女性は見ていて気持ちが良い」という発言をはじめ、女性経営者に対し「オジサンにモテるから楽でいいね」という発言など。
言った本人たちは笑いながら言います。ユーモアのつもりです。そして、私も空気を壊さないよう笑います…これがいけない。
笑うから、後世の人が苦しむのだと痛感します。
なので、私は以降こういう場合には「どういう意味ですか?」と返すようにしています。すると相手は大体なにも言えなくなります。ユーモアという皮を破ると、そこには「蔑視」があるから。
50代男性に聞いてみた
私は興味本位で、50代の男性経営者仲間に聞いてみました。
「昔の時代の方が良かったと思いますか?」
「セクハラをネタにして面白かった時もありますか?」
「昔の時代に戻りたいと思いますか?」
彼は「いやぁ~…」唸るようにしばらく考えた後、
「戻りたいとは思わない」との答え。
次に「それらが許されてた時代って何だったと思いますか?」と質問。
彼はすぐに「社会も人のことも、色々雑な時代だった」と答えました。
前の質問は渋るような唸る返答に対し、今回は率直な返答でした。
これはあくまで個人的な話に過ぎず、偉い学者の評論でもないが、50代男性の「悶々」とした思いは共感できるところが沢山ありました。
ジェネレーションギャップも性別も関係なく、一人の人間として感じる苦悩は共通していると感じます。
今回の吉野家騒動についても、自身の過剰な驕り故に自分も周囲も同じ人間であることを忘れていた…または元々その価値観が欠乏しているのだと思います。
企業は驕った人間をコンプライアンス教育で制御できるのでしょうか。
(2023/9/19追記 社会性が欠如したり認識が歪んでいる場合は、加害者更生が必要だと思います。被害者も加害者も出さないためには、加害に至るもっと前段階で更生が必要。小さいことからでも…そういう機会に出会えれば変わるものがあるのではないでしょうか)
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