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安らかに眠れ、私の恋よ

彼女の匂いがかすかに残るベッドで14時間寝た。世の中は大変陽気な連休の空気の中にあって、私の失恋なんて一切関係のない美しい営みで溢れている。その美しい営みの中に、彼女と、彼女と一緒に住む彼女の生活も存在していると思うと、ほんのり心が軋むけど、まあ、世界は相変わらず美しいなと、そう思うには十分。

たくさん泣いた。
私にはパートナーがいない。パートナーが待つ家に帰りたくないと言う彼女を家に招き、幸せな時間を過ごした私にはパートナーがいない。私がパートナーになってほしい、と恋した彼女は、悩んだ末にきちんと私を切り捨てた。良くないことをする彼女だけれど、やっぱり根っこから悪い人ではないんだなと、そう思った。

失恋の悲しみと14時間睡眠から目覚めたばかりの起き抜けの頭がぼんやりしたままキーボードをたたく。

失恋を、一秒でも早く過去に置き去りたくて。
悲しみを、気持ちを、愛しさを整理したくて、私は私の書き物へのバイタリティに甘えている。ああ、こういう大切な行為を私の生活に根付かせてきてよかった。

居場所がなかった子供時代。
ホームシックにさえなれない孤独と戦った留学期。
劣等感の塊だった20代。
いつも。

私は私がしんどい時こそ、そのしんどさを文章にして生きてきた。

文章は、私のしんどさや、悲しみや、寂しさを、過去のものにしてくれる。

お墓を作るのと似ている。
この人は、生き、そして死にました。
その事実を言葉や形に変えることで、残された人が心を整理して生きるきっかけにするために、人はお墓を作る。

この文章を読んでくださっている方がいらっしゃるのに、お墓呼ばわりしてしまうのは、あまり良くないのかもしれません。

読んでくださっている皆さまは、今恋をしていますか?

その恋を絶対に後悔しないために、
実らせ愛に育てるか、失恋して強さの糧にするか。
私の恋は後者のものとなりました。
皆さまの恋が、どちらの結果にたどり着くか、私に知る由はありませんが、でも、皆さまの恋を心から応援しています。

私、彼女と過ごした2日間が、とても、とても幸せでした。
失恋の強さを糧にするための材料ではなくて、きっと、私がまた恋をするための希望になりえるほど、幸せでした。

ただ、私と彼女の未来はなかった。
ただそれだけです。
こうなることは、分かっていました。
遊ばれていることも、とてつもない信頼関係で成り立っている2人の愛の踏み台にされているだけだということも、彼女が「好きだ」と言ってくれるのが本心ではないことも、分かっていました。

でも、私の性格的に気が済むまで好きでいないと、たぶん拗らせるなと分かっていたので、気が済むまで好きでいてみました。

良い、判断だったと思います。
私の恋がちゃんと死んだのは、ちゃんと恋をしたからです。

死んだ、ではなく、生きた、と思ってあげられる。

残された私は、明日も明後日も、強く生きる。きっとまた、素敵な恋をする。だから、よし。そろそろ、ごはんを食べよう。

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