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実忠伝説に隠された暗号[平成31年3月4日(月)] 

お水送りの行われるこの一帯には様々な伝説がある。
その1つに実忠伝説がある。

この伝説は真実が暗号化されて伝えられている、と日本山岳修験学会内田氏はいう。
西洋の錬金術では、重要なアイテムを指す際に、アルファベットを並べ替えるアナグラムを頻繁に使いる。

同様に、東洋では丹生を二鵜と表記するような、言葉遊び的な暗号をよく用いる。遠敷(おにゅう)や二羽の鵜には、丹生(にう)=水銀という意味があり、お水取りの松明は、大仏に塗った金アマルガムの水銀を蒸発させる様子を再現させたものではないかと仮説している。

お水送りとお水取りの儀式はインドから渡来した実忠が752年の大仏開眼供養を創始したと伝えられているが、一説では、実忠という人物はペルシア人であり、ゾロアスター教の作法を取り入れたという。

神宮寺でのお水送りの起源を数人の地元の方に尋ねたが、知る人は見当たらず、皆さん日本の古来からの伝統行事だから当然のように毎年行ってきたという。

小浜市の語り部ボランティアである松木氏は、
「地元の人は、祭りの意味考えたりしないよ」
と言いながら、お水送りの一つの伝説である実忠伝説を語ってくださった。

むかし、東大寺の良弁おしょうの弟子に、実忠というお坊さんがいました。
この実忠おしょうは、立派に仏さまにお使えする為、きびしい修行をはじめることになりました。
東大寺に二月堂のおてらをたて、早速全国から一万五千人神々をお招きして行事が執り行なわれました。初めての修二会のときに、若狭の国のおにゆう明神だけが、いつまで待ってもやって来ません。
集まっていた神さまたちは、おにゆう明神が病気でもしているのかと大変心配していました。修二会の行事も、あと二日でおわるという、十二日目の夜になって、ようやくおにゆう明神がやって来ました。
「今まで、なにをしておられたのですか。」
神さまたちは、少しおこってたずられました。
するとおにゆう明神は、
「いや、じつは、あまり魚釣りにむちゅうになったもんで、おそうなりました。」
神さまたちは、くちぐちに
「なに、魚釣りじゃと、大事な修二会を忘れてしもうて、実忠おしょうに、なんといっておわびをするつもりじゃ。」
と、いいました。
おにゆう明神は、小さくなって、
「いや、申し訳ない。お詫びに、仏さまにさしあげる、あかの水を用意してまいりました。」
そういっておにゆう明神は、二月堂の下にある大きな岩の前にたって祈りました。
すると大岩が割れその割れ目から、黒と白のウの鳥が飛び立ち、清水が流れだしました。
忠実おしょうは、大変喜びました。
早速、その水を仏さまにおそなえしました。
忠実おしょうは、そのところに、井戸を掘り、その井戸を若狭井戸と名づけました。
この時より、修二会のことをお水とりと呼ばれるようになり、今も続いています。 

空海伝説[平成31年3月5日(火)] 

空海は今でも高野山奥の院で生き続けるとされる。

空海は62歳で入定し、そのまま霊廟で生き続け禅定しており、高野山では維那(ユイナ)という仕待僧が毎朝、霊廟へ食事を運び空海の世話をしているという。

しかし、もう一方で、空海は鬼気的なまでに不老不死に執着し、錬丹術を実践し続けた果てに重度の水銀中毒で死んだとする説もある。
空海は、留学費用を稼ぐために、水銀採取をしていたのではないかと言われている。

丹生川(遠敷川)の由来も水銀から来るという説がある。
水銀は適量を用いれば新陳代謝を促す作用をもつため、中国では丹砂から作った丹薬は不老長寿の薬として道士の秘術とされたが、一方で永遠の生命を得るべくこの延命の薬をのみすぎて死亡した皇帝や貴族も多かったらしい 。

ハオマ(酒)についても不思議な話がある。
松本清張『火の路』では「ハオマのような麻薬性植物」、また昭和53年のNHK取材にてヤズドの拝火神殿を訪れた際に眼の前で作られた酒を「ハオマ酒」と語っている。

伊藤義教氏によると、ハオマは水銀ではないか、という説が有力といわれている。日本山岳修験学会内田氏によると、空海の伝説もハオマが水銀であれば辻褄が合い、飛鳥にある石造物においても、水銀と水の比重の違いを利用して水銀を抽出する装置だと考えることが出来るという。
ここでも、空海伝説とイランのゾロアスター教は通じるものがある。
☆空海はまだ生きていると思いますか?

徐福伝説と秦氏[平成31年3月7日(木)]

徐福伝説も小浜市では知られている伝説である。
日本の紀元前219年のこと。
秦の始皇帝が、徐福に高麗山の仙人が持っている不老不死の妙薬を探しに行くよう命じた。徐福は、総勢三千人~三万人の大船団を組んで日本に上陸したといわれる。
丹後半島の伊根は、小浜から若狭湾を挟んで西に位置する。
徐福によって連れてこられた船団の人々は、若狭から南下していく途中で、大和朝廷に召し抱えられた。
この渡来民が、まさに、都市伝説で有名な「秦氏」となる。
渡来民は、さらにそのまま南下し、紀伊半島を縦断して熊野へとたどり着いたという。
熊野の地にも徐福ゆかりの地があり、「徐福の宮」という社が祀られている。
もし本当に、徐福が渡来人とされる「秦氏」であったなら、「秦氏」は、ゾロアスター教徒であるとする説があることから、ゾロアスター教自体が紀元前200年時点で、既に伝来している可能性が浮上してくる。


お水送りとゾロアスター教との関連[平成31年3月8日(金)] 

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半世紀以上前の世界に来てしまった。どうすれば、元の世界に戻れるんだろう。

2018年の夏。 幽霊や宇宙人は相変わらず見えないけれど、ある日、世界が変わってしまった。 ある日から、ボクの周りが変わってしまった。 ど…

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