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「本と食と私」今月のテーマ:音楽―天空の音楽が聞こえる

ライターの田中佳祐さんと双子のライオン堂書店の店主・竹田信弥さん2人による連載「本と食と私」。毎回テーマを決め、そのテーマに沿ったエッセイを、それぞれに書いていただいてきた企画、連載開始から今回で丸一年になりますが、なんと最終回となります! テーマは、「音楽」。竹田さんのテキストとあわせて、お楽しみください。これまでお読みくださった読者の皆様、そして田中さん、竹田さん、ありがとうございました!

天空の音楽が聞こえる


文:田中 佳祐

 音楽は人間のためのものだけではない。
 鳥はコミュニケーションのために歌うし、犬やネズミも音楽に合わせてダンスをすることができる。そして、想像上の生き物たちも音楽を好む。
 絵画に描かれる天使たちが、楽器を持って演奏している姿を見たことがあるだろう。では天使たちはどのような旋律を奏でているのだろうか?
 
 岡田温司の『天使とは何か』(中公新書 2016年)には、天使と音楽の関係について書かれた章がある。本書では天使が神と人間の橋渡しをするものだとするならば、彼らが奏でているものもそれに関連していると語られている。
 古代ギリシャでは、音楽は3つに分類されていた。私たちが日常的に聞いている、耳から聞こえてくる音楽がそのうちの1つで、残りの2つは人間の耳では聞くことができない。
 天体の動きが音を奏で、宇宙全体に常に鳴り響いている調和の音楽である「天球の音楽」があり、さらに人間の心と体の調和によって鳴っている音楽があるという。私たちが普段聞いている音楽は、その序列の中の3番目のものなのだ。

 古代の学問では、音楽は数学的で幾何学的なものであると考えられていた。そのような背景があって、古い宗教絵では天使たちは楽器を持たない姿で描かれていたらしい。岡田温司によれば14世紀から、天使たちが楽器を手にしてにぎやかに演奏する姿が絵画に描かれるようになったという。
 私たちに聞こえないはずの音楽を奏でる天使たちが、私たちの生活の中にある楽器を使ってそれを伝えてくれているのだ。天使の演奏を通して、私たちは宇宙の音楽を知ることができるようになった。
 
 さて、現代を生きる私たちは多くの場合、人間が演奏していない音楽を聞いている。それはワイヤレスイヤホンから流れるプレイリストだったり、カフェのBGMとして使われる流行歌のアレンジだったりする。
 音楽制作においても、楽器演奏の音声を収録するだけでなくコンピューターに直接楽譜を打ち込むことで素晴らしい楽曲が作られている。VOCALOIDボーカロイド などの音声合成技術で歌声を作ることもできる。

 古代ギリシャの時代には音楽は3つに分類されていたと言ったが、人間の耳に聞こえない領域での調和による音楽がどのような存在なのか、想像もつかなかっただろう。しかし、今の私たちを取り巻く音楽の環境を考えてみると、耳に聞こえてくるものだけが音楽ではないと思えてくる。
 スピーカーを通す前の電気信号は音楽なのか、楽譜は音楽なのか、機械が作った音の連なりは音楽なのか。むしろ、音楽とは耳から聞こえてくる何らかの音の連なりではなく、私たちの頭の中で想像するしかない、実体のないハーモニーなのではないだろうか。
 
 ヴァチカンに観光旅行に行った時、私は印象的な場面に出くわした。ミケランジェロの「最後の晩餐」を見るために、システィーナ礼拝堂に入った時のことだ。最後の晩餐は言わずもがな、イエス・キリストが処刑される前日に弟子たちと食事をしたエピソードのことだ。そこは観光客で満員で、それぞれが感想を口にしているのかザワザワと騒がしかった。しばらくすると、スピーカーから職員が「Silence」(静かにするように)と注意した。
 するとその場にいる全員が黙ったのだ。新しい観光客が入ってくると、さざ波が広がるようにまたうるさくなってしまうのだが、注意のたびに一瞬の静寂が訪れる。その時、私はここにいる人たちは何のために沈黙し、何をしているのか気になっていた。
 それが今では分かるような気がする。その場で黙っていた人たちは、天球の音楽を聞いていたのだと思う。耳では聞こえない、目でも見えないものを感じるための沈黙がそこにはあったのだ。

 私は敬虔なキリスト教徒ではないので、身近に天使たちが来たことはない。もしもこれから先、天球の音楽を感じることがあるとすればそれは最後の食事の場面かもしれないと思った。


著者プロフィール:
田中 佳祐(たなか・ けいすけ)

東京生まれ。ライター。ボードゲームプロデューサー。NPO職員。たくさんの本を読むために、2013年から書店等で読書会を企画。編集に文芸誌『しししし』(双子のライオン堂)、著書に『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)がある。出版社「クオン」のWEBページにて、竹田信弥と共に「韓国文学の読書トーク」を連載。好きな作家は、ミゲル・デ・セルバンテス。好きなボードゲームは、アグリコラ。

竹田 信弥(たけだ・しんや)
東京生まれ。双子のライオン堂の店主。文芸誌『しししし』編集長。NPO法人ハッピーブックプロジェクト代表理事。著書に『めんどくさい本屋』(本の種出版)、共著に『これからの本屋』(書肆汽水域)、『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』(朝日出版社)、『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)など。最新刊は、田中さんとの共著『読書会の教室――本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』(晶文社)。FM渋谷のラジオ「渋谷で読書会」MC。好きな作家は、J.D.サリンジャー。

『読書会の教室――本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』
竹田信弥、田中佳祐 共著 晶文社 2021年

双子のライオン堂
2003年にインターネット書店として誕生。『ほんとの出合い』『100年残る本と本屋』をモットーに2013年4月、東京都文京区白山にて実店舗をオープン。2015年10月に現在の住所、東京都港区赤坂に移転。小説家をはじめ多彩な専門家による選書や出版業、ラジオ番組の配信など、さまざまな試みを続けている。

店舗住所 〒107-0052 東京都港区赤坂6-5-21
営業時間 水・木・金・土:15:00~20:00 /日・不定期
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