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「本と食と私」今月のテーマ:動物―ドジョウと幻の柳川鍋

ライターの田中佳祐さんと双子のライオン堂書店の店主・竹田信弥さん2人による連載「本と食と私」。毎回テーマを決め、そのテーマに沿ったエッセイを、それぞれに書いていただく企画です。今月のテーマは、「動物」です。前回の田中さんのテキストとあわせて、お楽しみください。

ドジョウと幻の柳川鍋


文:竹田 信弥

 野尻抱影のじりほうえい の「悲しい山椒ノ魚」(『ちくま文学の森 12』収録)という小説がある。
 士官学校の寄宿舎に、山椒魚が迷い込む。生徒や先生たちは珍しい生き物に興味津々で集まってくる。
 協議の結果、学校で飼うことになり、用務係の人が飼育係に任命される。
山椒魚は学校の近くに流れる用水路の一部に金網を引いて飼うことになったが、網ができるまではタライに入れておくことになった。昼間はおとなしい山椒魚だが、何度も脱走を試み、そのたびに連れ戻される。
 数ヶ月が経ち、熱狂は冷めていき、学校の人たちは山椒魚の存在を日に日に忘れていく。そして学生たちが修学旅行から戻ると、山椒魚が脱走してしまったと用務係が伝える。先生たちが調べてみると……。
 
 僕は何度も読み直すくらいこの話が好きだ。山椒魚をテーマにした小説はいくつかあるが、ベストだと思っている。最後まで読むと一応の納得感はあるが、正直とてもくだらない話だ。学生時代、流行りの文学に飽きていた僕が、誰も知らない古典に触れたいとちくま文学の森シリーズを通読しようとした際に出会った短編小説である。「動物の話」という巻に収録されている。
 
 僕は山椒魚は飼ったことがないが、飼っていたドジョウが突然いなくなったことがあった。近所のペットショップで見かけ、その愛嬌のある顔に惹かれ、衝動的に買ってしまった。小さなドジョウで、家に連れて来たときは体長が3cmくらいだった。店員さん曰く、成長すると15cmくらいになる種類のドジョウだということだった。
 同時に正方形の水槽を買った。店員さんの指示の通りに、砂をたっぷり敷き詰めて、隠れ家になる土管のミニチュアも設置した。
 
 ドジョウを飼い始めて数日後、両親がドジョウの水槽を見に来た。そして、祖父が柳川鍋が好きだったという話になった。確かに祖父の家へ遊びに行った時に、祖父の行きつけの料理屋に行くと、必ず柳川鍋を注文していたような記憶がある。柳川鍋というのは、開いたドジョウと細く切ったゴボウを割下で煮て、卵でとじた江戸時代ごろからある庶民の料理だ。
 
 当時、僕も少し食べてみたが、いまひとつその魅力はわからなかった。子ども心に、わざわざ泥臭いものを食べなくてもいいなと思った記憶がある。しかし、いつも怖い顔をしていた祖父がえらく美味そうに食べて、日本酒を楽しそうに飲んでいたので、大人になったらその良さがわかるかもしれないと、祖父と酒をともにする日を楽しみにしていたが、成人する前に祖父は亡くなったし、ドジョウを飼った自分にはもう柳川鍋は食べられない。
 
 ドジョウは人懐こい。たまたまかもしれないが、餌をあげようと近づくと砂に潜っていても浮上してくるし、指の動きに反応して遊んでいるようだった。
 また、ドジョウは瞬きをする。誰も信じてくれなかったが、ずっとドジョウを見ていたら、パチリと目を閉じたのだ。魚に瞼はないはずなのに。調べてみると正式には瞬きではなく、目を下に動かしているのがそう見えるだけらしい。がしかし、その姿はウインクしているようで、また、眠たくなってしまった子どものようで、可愛かった。
 
 愛ドジョウは、ある時から砂に長く潜るようになって、姿をあまり見ないようになった。ネットで調べると、それはよくあることで、夜中にひょっこり出てきて、日中は砂の中に潜っているのだという。姿は見えないが、可愛い我がドジョウの好きなようにすればいいと、餌だけ与えていた。
 
 しかし、我が家のドジョウは驚くべき形で久しぶりに姿を現した。水槽の載っていた棚の下にある隙間から、干からびた状態で出てきたのだ。
 どうやらドジョウはよく飛び跳ねるらしい。店員さんは砂に潜るからと、砂のことばかり説明してくれていたが、飛ぶとは言っていなかった。水槽に蓋はしていなかった。
 
 「悲しい山椒ノ魚」の結末は、用務員が山椒魚を食べてしまったと告白するものだった。実は、ぼくは家族の誰かがドジョウを食べたのではないか、と冗談で考えていた。が、家族もまた僕が食べたのではないかと疑っていたみたいだった。


著者プロフィール:
竹田 信弥(たけだ・しんや)

東京生まれ。双子のライオン堂の店主。文芸誌『しししし』編集長。NPO法人ハッピーブックプロジェクト代表理事。著書に『めんどくさい本屋』(本の種出版)、共著に『これからの本屋』(書肆汽水域)、『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』(朝日出版社)、『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)など。最新刊は、田中さんとの共著『読書会の教室――本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』(晶文社)。FM渋谷のラジオ「渋谷で読書会」MC。好きな作家は、J.D.サリンジャー。

田中 佳祐(たなか・ けいすけ)
東京生まれ。ライター。ボードゲームプロデューサー。NPO職員。たくさんの本を読むために、2013年から書店等で読書会を企画。編集に文芸誌『しししし』(双子のライオン堂)、著書に『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)がある。出版社「クオン」のWEBページにて、竹田信弥と共に「韓国文学の読書トーク」を連載。好きな作家は、ミゲル・デ・セルバンテス。好きなボードゲームは、アグリコラ。

『読書会の教室――本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』
(竹田信弥、田中佳祐 共著 晶文社 2021年)

双子のライオン堂
2003年にインターネット書店として誕生。『ほんとの出合い』『100年残る本と本屋』をモットーに2013年4月、東京都文京区白山にて実店舗をオープン。2015年10月に現在の住所、東京都港区赤坂に移転。小説家をはじめ多彩な専門家による選書や出版業、ラジオ番組の配信など、さまざまな試みを続けている。

店舗住所 〒107-0052 東京都港区赤坂6-5-21
営業時間 水・木・金・土:15:00~20:00 /日・不定期
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