見出し画像

どれから読む?韓国文学~ブームに至るまでのふりかえりとお勧め本、そしてその魅力を語り尽くす③(対談:古川綾子(翻訳者)×伊藤明恵(クオン)

 2022年3月に行われた、韓国語翻訳者の古川綾子さんとクオンの伊藤明恵さんに韓国文学対談の収録分の3回目をお届けします。1~2回でチャートを用いて具体的に紹介してきた韓国文学について、その特徴や魅力を改めて整理するとともに、古川さんが韓国語を訳す上での苦労を具体的に語っています。言語的な特徴や韓国特有の慣習を、どのように苦心、工夫して日本の読者に届けているのか、非常に興味深い内容です。どうぞじっくりお楽しみください。

社会性+個人の物語という構造が生み出す韓国文学の魅力。また、訳す上での苦労とは?


伊藤
 ざっと説明してきましたが、具体的に韓国文学のどんなところが特徴なのかということを改めて整理します。また、古川さんは韓国以外の文学もかなり読まれていると思うのですが、翻訳者として、また、読者としても感じる韓国文学の魅力についてお聞きできますか?
古川 私が韓国以外の海外文学を読むのは、単純にどんな日本語を使って訳しているのかを知りたいからなんです。資料には「特徴」と書いたのですが、魅力であり、特徴であると思うのは、社会問題などがテーマとして土台にあり、その上に個人の物語が積み上がっていくことなのかと思います。文学で社会の正しさを問うているのだと思います。MAPに載せてご紹介した作品のテーマをおさらいしてみたのですが、最近では社会問題としてフェミニズムなどを扱った作品が多くなっているように思います。

伊藤 韓国文学を実際に翻訳する際に難しいと思われることはありますか?
古川 いくつかありますが、そのうちの一つ目は、性別がわかりにくいということです。一人称代名詞に性別の区別がないと書いたのですが、二人称も同様なんです。英語で言うと、完全にIとYouだけしかないということです。最近ではHeとSheの三人称についても、区別をつけないで書く韓国の作家さんが増えています。例えばレオナルドと言われたら男性だろうと予測できますが、ソギョンとかイギョンと言われると、男女の区別はつきにくいですよね。また、男女ともに使う名前もあります。他言語ですと会話などで(性別や年齢を)判断できることが多いのですが、韓国語にはそれもないのです。
 例えば執筆中に、その作品が国外で訳されて出版されるだろうと想定して書く作家さんはあまり多くはなく、あくまで自身と同じ韓国語で読む読者を想定して書いていると思います。また、翻訳は著者がもし日本語ができたらこう書いただろうという言葉や表現を探し出す作業だと思いますので、著者の意図どおりに訳さなければ、という思いがあります。ですので、作者が性別を曖昧にしていることが意図的なものか、そのうちわかるように自然に書いただけなのかというところを理解してから訳し始めなければ、といつも考えています。彼や彼女などの三人称を曖昧にする書き方も最近では非常に多いので、訳す時にも書き手の曖昧な書き方を同様に反映させなければ、と思っていますが、そこはちょっと難しく感じることはあります。
 

 韓国文学には、韓国社会が抱える問題や時事問題がちりばめられていますが、例えば私が同時代的に経験していない過去の特定の事件などについての原稿を訳す場合に生じる難しさは、韓国文学特有のものではないと思います。私の場合、比較的直近にあった社会問題などを取り扱った本を訳すことが多いので、その当時人々はどんな行動をしたか、社会ではどんなふうに受け止められたかを自分の中にある程度インプットして膨らましていき、著者と同じ容量になってから訳し始めたい、と思っています。
 


どの作品にも登場する「家」描写


伊藤 3つ目が、「家」に関する描写が多いということです。
古川 これは韓国あるあるです。家に関することは、韓国文学を訳していると、必ず一度は出て来ます。訳注を入れたり、ちょっと一言補ったりして、毎回苦肉の策で対応しています。また、根本的に文化が違うのか、と思うのは、再開発事業で一攫千金を狙う人たちがよく出て来ます。私たちからすると、なぜ再開発でそこに住んでいる人がお金を儲けられるのだろうと疑問に思うのですが、その仕組みを理解しないとなかなかわかりません。
伊藤 再開発される場所に住んでいる人たちが、立ち退き料としてお金をもらえるということなんですよね。
古川 そうです。あと、再開発されるという噂を聞いたら、儲け目当てでその土地を買おうとする人もいて、私たちにはなかなか理解しづらい部分があります。ですので、そこをどう解決しながら、物語に違和感なく入っていただけるかというのはとても難しい問題です。また、「家」に関する描写が多い理由は、それが地位の象徴であるというか、どこの家に住んでいるのかっていうのが格差の象徴のように使われることが多いからなんです。
伊藤 どこどこに住んでいるというだけで連想されるものがあるんですね。
古川 そうですね、まず、「洞(ドン)」という地域の表現があります。それが川の北なのか南なのか、その中でも教育熱心なところなのか、また、家の形態や種類によっても印象がどんどん変わってきます。映画の『パラサイト 半地下の家族』では、富裕層と貧困層の違いが、それぞれの家を見せることで一目瞭然になっていました。お金持ち一家は坂の上のガラス張りの豪邸に住んでいて、ソン・ガンホさんたちは半地下の家に住んでいる。ガンホさんたちが、階段をどんどん下っていくシーンもありましたが、あれは韓国の格差を象徴的にわかりやすく描いているシーンだと思います。文学にも同じように家が出てきます。


 家の借り方、保証金の払い方などにも独特なものがあります。日本だと毎月の家賃を払うのが一般的ですが、韓国だとまとめて大きい金額を大家さんに預けるようになっていて、毎月の家賃は発生する場合と発生しない場合があります。こうした日本とは異なる慣習を、違和感のないように物語の中にもっていけるかは悩むところです。韓国の住宅事情の歴史について知りたい方には、文学ではないのですが、伊東順子さんが訳されて筑摩書房から出ているチョッパンについての本(『搾取都市、ソウル─韓国最底辺住宅街の人びと』)があります。これはとても勉強になります。これから韓国語の翻訳家を目指す方も、一読しておくことをお勧めします。韓国の住宅事情がとてもよくわかります。
 
(質問「最近の韓国文学に影響を与えている事柄で、セウォル号事件以外のことはあるでしょうか? 印象深く読めるようなものがあれば知りたいです」について)

古川 やはりフェミニズムというのは、殺人事件も含めいろいろな事件に関連している事柄だと思います。(2016年5月に)江南駅で起きた殺人事件は、男性がトイレを使っている間は隠れていた犯人(男性)が、偶然入ってきた女性を殺害した事件で、ミソジニー(女性嫌悪)が実際に事件に発展してしまった例として衝撃的なものでしたが、フェミニズム自体はこれから先もさまざまな形で取り扱われていくものだと思います。
 一方、韓国文学におけるフェミニズムとは、いわゆる性的マイノリティーの方の問題とは違う方向に進みつつあるように思います。例えば格差や不平等、不条理など、社会からこぼれ落ちてしまったあらゆる弱者や恵まれない人々に関する問題を、物語の中でフェミニズムという括りで紹介しているように読み取れる動きがあり、最近はその動きが主流になりつつあるのではと思っています。フェミニズムと一言で言ってもさまざまな捉え方があるということを、文学を通して知っていただくことは面白いですし、そこからより深く韓国の社会を知ることもできると思います。
伊藤 文学ではないのですが、雑誌の『韓国語学習ジャーナルhana』で「韓国の2010年代を振り返る!」「映画から学ぶ 韓国社会と文化」」といった特集を組んだ号があります。お手元においておき、小説を読んで「これは何だろう?」と思ったときに開いてみると参考になると思います。コンパクトにわかりやすくまとめてくれている雑誌なので、個人的にお勧めです。
 



日時:2022年3月25日@文喫(六本木)
※「お客様感謝祭-旅スル書店祭-」の一環として実施 


登壇者プロフィール
古川綾子(ふるかわ・あやこ)
神田外語大学韓国語学科卒業。延世大学教育大学院韓国語教育科修了。第10回韓国文学翻訳新人賞受賞。神田外語大学講師。訳書に『走れ、オヤジ殿』(キム・エラン、晶文社)、『そっと 静かに』(ハン・ガン、クオン)、『未生、ミセン』(ユン・テホ、講談社)、『外は夏』(キム・エラン)、『わたしに無害なひと』(チェ・ウニョン、以上、亜紀書房)など。近刊は『君という生活』(キム・ヘジン、筑摩書房)、『ひこうき雲』(キム・エラン、亜紀書房)。

伊藤明恵(いとう・あきえ)
翻訳・通訳エージェント勤務を経て、2016年よりクオンにて書籍制作の進行管理、版権仲介業務等を担当。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?