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2021年11月8日 小松庵総本家 銀座 ≡ 森の時間 ≡ 講師 佐野由美子さん

小松庵総本家 銀座では、毎週月曜日に各界のプロフェッショナルを講師に招いて勉強会を行っています。テーマは蕎麦をはじめ食べ物のこと、絵画や音楽など、その時々で変わりますが、その根底には文化が存在します。今回は、その銀座店にアテンダントとして関わっている佐野由美子さんの「銀座」という街に関するお話です。

佐野由美子さんのプロフィール
銀座料飲組合の理事(2004年~2018年)
23年間「赤坂璃宮」の経営に関わり、現在レストランをはじめ
サービス業の顧問と人材育成に取り組む。銀座の店主たちとの
親交が厚く 老舗BARでの語らいをこよなく愛する。
小松庵とは2019年からの縁。

小松孝至社長(以下、社長)
今回は、森の時間が始まったときから講師をお願いしてやっと実現した佐野さんのお話しです。
銀座店を出すことが決まり、さて、どんな店にしようかと検討していたときにいろいろな方たちと出会うことができました。その1人が、佐野さんです。佐野さんのように銀座をよく知る方と出会えたおかげで、森の時間も僕が想像していた以上の形になり、これから先も楽しみです。その佐野さんから銀座のお話をお伺いします。

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佐野由美子さん(以下、佐野さん)
私が銀座の街にどっぷりと浸かって、街づくりの理事として関わるようになってから17年になります。まだ20年にも満たないのですが、ようやく外からでは見えなかった部分が分かるようになりました。商売の一員として中に入ってみると初めて見えてきたことや感動したことがたくさんありました。
銀座で生きてきた先輩方にはこの街のために守ってきた知られざる努力があり、若手たちは新しい取り組みに果敢にチャレンジしています。表から見える世界だけではなく、隠れた負の歴史も含めて、銀座ものがたりをお伝えできることを嬉しく思います。

さて、銀座の中心、象徴といえば「銀座通り」だと思います。かつての都電が走っていた頃をご存知の方は少ないかもしれません。
ここで、歴史を振り返らせてください。
この銀座通りという名称は、大昔に2丁目のあたりに銀貨の鋳造所があったことが由来です。今に伝わる銀座らしい文化は、そのあとの明治大正時代の「ハイカラ」という言葉が生まれた頃に芽生えました。銀座の街以外にこれほど歩道が広く美しい景観が続く街は少ないのではないでしょうか。明治大正の頃はレンガ敷きの道路で異国情緒の風情があったと聞いています。通り沿いにはガス灯があり、煉瓦造りの西洋館、日本初の洋食屋やパン屋が立ち並び、紳士淑女たちが礼装で闊歩するような憧れの通りだったようです。銀座らしさの1つには「ウィンドウショッピング」がありました。「銀ぶら」という言葉ができたのが、明治の終わりくらい。そぞろ歩きをしながら、ぶらぶらと回遊できるところが今も銀座の1番の魅力なのだと思います。
ところが大正12年の関東大震災で、これらの魅力的なものが全部なくなりました。火災に遭い、全て燃えてしまったのです。今の銀座は、関東大震災の後に復興したものです。大正13年から14年に松坂屋や松屋などのデパートが建ち、カフェがオープンし、やっと関東大震災から復興したと思ったら、今度は戦争。全ての動きが止まってしまった時代がありました。大通りには、戦車や輸送車や連合占領軍のジープが頻繁に走っていたそうです。そこから再び復興するのが昭和27、8年頃。
何度も何度も這い上がった力強さも、銀座の街の輝きを支えてきました。

その後に都電が走り始めました。昭和30年代の銀座で都電が走る光景は、私が好きな映画監督の小津安二郎さんの「東京物語」でも、尾道から上京してきた父母を原節子さんが案内する銀座の場面で見ることができます。昭和40年に都電は廃止に。
その後生まれた銀座らしい象徴といえば、昭和45年に始まった「歩行者天国」です。車両を通行止にして、車道を含めた道路全体を歩行者が歩けるようにしたやり方に人々は驚きました。多くの街が真似をしましたが、今もこのような歩行者天国が残っているのは銀座とごくわずかの街だけ。守り続けるのは大変なことなのです。

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「銀座らしさ」について考えてみましょう。
銀座の通りは、ガードレールがなく歩道が広いのが特徴です。そしていつもきれいに整っています。元日以外の364日、毎日朝9時からみんなで掃除をしています。さらに年に2回、銀座通りでは1000人くらいの大きな規模でゴミ拾いなどの活動をしています。
「街全体の美観や美意識が高いこと」が昔から受け継がれてきました。
もうひとつ銀座は「多様性」と「共存」の街です。老舗も新しい店舗も仲良く相手をリスペクトし 受け入れ、やがて馴染んでいく。そういう土壌と風紀ができあがっているのが街の底力だと思います。
そこには 銀座に関わる人たちが機会あるたびに根気よく話し合いを続け 街のもつ本来の価値を守ってきた長い歴史がありました。

そして、銀座は「アート・芸術の街」でもあり、日本有数のギャラリーがある街です。「カフェ文化」も息付き、今でもクラシカルでレトロな喫茶店が多く残っています。また、一番館、英国屋、シャツでは大和屋さんのような「テイラー」も非常に多いのです。銀座には帽子、靴、ステッキなど、洒落人ご用達のお店も多く、本物や一流品を探すには銀座で、という方が集まるのでしょう。

この街で働き気付いたことは、 銀座で働く先輩方の「気負わない気質」です。偉ぶらず、物腰柔らかく、とことん謙虚でいらっしゃる。何よりも「お客様第一の商い魂」を守るために決して無理はしない。仲間にも優しい人たちが多いことに驚きました。

もうひとつ、特筆すべきは「日本全国の生産者と常に共にある」という意識を守っていることです。もし銀座が潰れたら、日本の第一次産業が崩れることにもなります。銀座にある飲食店は、日本の農産物、蓄養漁業を大事にしていこうという思いが強いのです。全国の地域と銀座人が一体となり、開催するイベントやフェア・活動が実にたくさんあります。これも、日頃から銀座で働く者同士が近密に繋がっているからできることです。

街に「全銀座会」という組織があり、大変有効に機能していますのは優れた土台です。「町会」、商店街組織の「通り会」、その他に業界ごとで作られた「業種業態組合」、バーやクラブは「社交組合」、「青年組合」もあります。まちづくりのデザイン協議会をはじめ、イベントや催事ごとの組織が強固に連携し合い、とても活性化しています。声を掛け合い、互いを認め合い、若い者も長老組も「困ったときはお互いさま」。決して孤立せず一緒に相談し合える「共助精神」がこれほど強い街が他にあるのかと感じています。

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道を歩くと分かりますが、銀座には派手な看板や呼び込みなどがありませんよね。チェーン店のドラッグストアですら、自社の色ではなく銀座に合わせて落ち着いたグレーの看板です。
目に見えるものだけではなく、目に見えない部分も同じです。銀座には「銀座フィルター」という考え方が根付いています。これは、何かを始める時、それは銀座らしいものなのかそうではないのか、という判断のための考え方です。具体的にビルの高さや看板の決まりなどを「数字や文言」で残すやり方ではなく、目に見えない紳士協定のようなものが存在しています。私はここに伝統を守り続ける誇りをとても感じています。

コロナの大きな痛手の中でも 新しい取り組みに果敢にチャレンジしています。その一つが「美味しい銀座デリバリー」です。既存の配達サービスを利用するのではなく、お届けする人はスーツを着用、おもてなしのプロとして礼儀正しくお客様の元へ手渡しします。単に商品を届ければいいというものではなく、心も一緒にお届けする銀座らしいおもてなしデリバリーです。

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また、このコロナをきっかけに感動のプロジェクトが生まれました。
銀座の2代目、3代目、4代目という若手たちが興した新たな活動です。ニュースにもなったので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
老舗和菓子屋「木挽町よしや」の3代目の斉藤大地さんが発起人となって、銀座「もの繋ぎプロジェクト」が2020年春から始まりました。

銀座にはたくさんのお店がありますが、それぞれのお店が、自店の商品と別のお店の商品を交換し繋ぎ合うのが「もの繋ぎプロジェクト」の発想です。面白いのは バトンタッチ先のことをSNSで発信していくところ、すぐに100店舗以上が参加し大きな波になりました。

発端は「木挽町よしや」に起きたコロナが原因の「どら焼き大量発注キャンセル事件」でした。悲嘆に暮れながら、大量キャンセルのことをSNSで発信したところ、すぐに三笠会館さんから「全部買います」という連絡が入ったそうです。そのスピード感に、斉藤さんは「今だ、自分たちが何かやらないと」とSNSでの活動を思いついたとのこと。
やり方は、洋食屋の煉瓦亭が、ある時「カツサンドを沢山作りすぎちゃったから食べて」とよしやに持ってきてくれたこと。斉藤さんもどら焼きを差し上げ、商品の交換が行われたという好意の瞬間の閃きだったそうです。若者らのスピーディで柔らかな発想はすごいなと思います。

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ここで、バーのお話をしたいと思います。
銀座は名門バーの聖地。
ベテランバーテンダーさんのいらっしゃるバーが多いですね。
「テンダー」とはおもてなしをする人、お世話をする人という意味。場の空気を読んで、お客様にくつろいでいただくプロの存在が銀座にはあります。
バーの嗜み方。バーというのは、大人の社交場。公共の場。
私は基本的に、いいバーというのは1人、あるいは男と女で行くものだと思っています。
もちろん、接待目的で行かれることもあると思いますが、3−4人のグループであれば、電話で予約してから行かれるのがルール。カウンター席は限られていますので。
上席はやはりバーテンダーの真正面です。空いているとは限りませんが。
そして気に入ったお店とのご縁を繋ぐにはリピートをすること。
私は昔から銀座でお約束がある日には、お食事の前に一杯のカクテルを飲んでから行くのが好きでした。時代が移ろっても良きバー文化が残って欲しい、と思いを馳せています。


最後になりますが、銀座の店は「ソワニエ」という言葉を時々使います。また来て欲しいお客様、お店に大事にされるお客様のことです。せっかく銀座を楽しむのなら、是非ソワニエになっていただきたいですね。
ちょっと贅沢な時を過ごしたい、いいお店に行こう、という日は是非とも身なりを整え時間とお金の「余裕」を少し多めに持った方が大人の時を過ごせるでしょう。
お食事を楽しんだら 帰る前にバーに寄ってもいいし、彼女と待ち合わせをするのであれば少し早めに行って先に一杯嗜んでもいいし、ウィンドウショッピングを楽しんでもいいですね。
余裕がないのはちょっと残念です。

気に入ったお店には、何度か訪れることが一番歓迎されます。お店もやはり嬉しいのです。名刺を渡す、名刺をもらうというのもコツですね。美味しかったら「ありがとう。おいしいね」の言葉を。その一言で、次の予約も全然違います。
「また来るね」と「ありがとう」。その言葉をたくさん使ってくれるお客様は真のソワニエです。

「銀座の粋」のお話もしました。では「粋」の反対語はなんでしょう。私は「野暮」ではないかと思っています。
年齢を重ねながら 少しでも粋がわかる大人に近づいていけたらいいのですが・・・

社長

佐野さん、どうもありがとうございました。
次回は、佐野さんのお話の夜のバージョンを、ぜひ飲みながらやりたいと思います。

今回は、ありがとうございました。

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