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2021年8月2日 小松庵総本家 銀座 ≡ 森の時間 ≡ 講師 画家 山本ミノ氏 、プロデューサー 風戸重利氏


米国NYのビル群を独特のタッチで描くアーティストの山本ミノさんは、今から40年前の1980年代に日本を離れて米国に移り住んでいました。その時に、美術プロデューサーの風戸重利さんと出会いが今に繋がります。2021年8月2日の「森の時間」は、NYの次に山本ミノさんが移り住んだLAと、旅行で訪れたインディアン居留地でのお話です。

ミノさんは、サンタモニカからシカゴまでを結ぶ国道ルート66を、愛車のパジェロで、LA〜アリゾナ〜ニューメキシコ〜レッドビル〜ヨセミテ〜LAという壮大な2週間の旅を過ごしました。

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「私は若い頃にアメリカ文化に影響されて憧れた世代なので、一度はアメリカに住んでみたいと思いました」と、山本ミノさんが米国生活を始めたときの思いを語ります。
当初、山本ミノさんはNYブルックリンで奥さんと4歳のお子さんと一緒に暮らしていました。けれど、LAには単身で移り住み、大工のアルバイトをしながら暮らします。住んでいたのは長期滞在者用の古いホテル「中国屋ホテル」でした。

このホテルに暮らしていたのは90歳くらいのおじいさんや旅行者、キッチンヘルパーの人、少し危ない感じの人たち。部屋の広さは6畳ほどで、シャワーとトイレは共同という、映画の中のよう。山本ミノさんが自身の会社であるMESSA(メサ)を立ち上げたのもそこでした。インディアンがのろしを炊く大地のことをスペイン語で「メサ」といい、神聖な場所という意味とのことです。

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さて、山本ミノさんはそんなLAを出発して、国道のルート66を自家用車のパジェロを運転して、キャンプをしながらインディアン居留地に泊まる計画を立てました。

「LAを出発して、砂漠地帯のアリゾナやニューメキシコに向かいましたが、とにかく距離がすごく長い。砂漠の真ん中を走る国道はまっすぐの1本道で景色も単調だから、みんな居眠りしながら運転するのね。砂漠に向かって道を外れたタイヤの跡が付いているんです」と、山本ミノさんは日本では見られない光景を語ります。


途中、遭遇した動物はスカンク。可愛らしい小動物のイメージがありますが、「20kmくらい離れてても臭い」というほど、猛烈な臭いがするそうです。

トークイベントでは、山本ミノさんが描き溜めているスケッチを回覧しながら話を聞きました。このスケッチは旅で出会った景色などを再現したもので、1000枚を描いたら展示会を行う予定だそうです。

「仏教では、阿闍梨になるには1000日間野山を駆け巡る千日回峰行を行います。私は1000枚のスケッチを描きます」これらのスケッチは、現地で撮影した写真を元に描かれたものです。当時の写真はフィルムカメラで撮影しましたので、何百本ものフィルムを持ち帰って現像した記録です。

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いろいろなインディアン居留地のエピソードが飛び出しますが、その1つがズニ族のおばあさんからもらったというネックレスです。仲良くなって、家宝のネックレスをもらったのだそうです。

「居留地で出会ったカナダ人に、どこの種族かと聞かれたので『ジャパニーズ』と答えたら、『I know, I know』って言われました。当時は大工のアルバイトで真っ黒になっていて、どう見ても現地人。ジャパニーズというインディアンの部族に間違えられたんだと思います(笑)。そもそもインディアンはユーラシアから来て、日本人と同じDNAを持っていますからね」

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日本人は赤ん坊のときにお尻に青あざの蒙古斑を持ちますが、インディアンの人たちも同じだそうです。同じDNAを持つというのが納得できる話です。
インディアン居留地が存在するのは、豊かな土地で生活をしていたインディアンたちを現在の居留地に移動させて、代わりに補償金を与えるという米国の政策です。仕事をせずとも補償金で暮らせるために、働かないで飲んでばかりの人も多いそうです。

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「インディアンが道中で倒れている姿をよく見かけました。お酒を飲みすぎて道端で寝てしまっている。住んでいる居留地ではお酒を飲めないから、街から外れた場所まで飲みに行く。朝までビール飲んでるの。やることがないから、飲むしかないんだね。1年間分の補償金をもらってるけど、早々に全部飲んで使い果たしちゃう人がいます。そういう時に、家宝の装飾品を持ち出して質屋に持っていく。居留地の近くには、それを狙った質屋が出ているのですね」と、山本ミノさんは米国の政策でインディアンの文化が廃れてしまうのを嘆きます。

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とはいえ、最大の自治区を持つナバホ族は自立した生活を送っているようです。


「とうもろこしを栽培して、食事はとうもろこしを粉にしたトルティーヤ風の生地に、トマトや野菜のラタトゥーユみたいなものを乗せて、味は塩と香辛料です。野菜の他にも、鶏肉を乗せて食べてます。私はガレット好きなので、蕎麦を育てて蕎麦粉でガレットを焼けばいいのに、と思いました」と、山本ミノさんはおいしいガレットを食べたフランスのモンパルナスに住んでいた頃を思い出します。

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ミノさんがニューメキシコの次に訪れたのは、コロラド州のレッドビルという小さな街でした。アメリカで一番標高い街で、標高3000mの場所です。

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元々、銀が採れた鉱山の街だそうですが、今は銀を掘り終えて周りの街はほとんどが廃墟でした。レッドビルは人が住んでいて、観光地として美しい景色も見られます。

レッドビルの次はヨセミテを訪れました。この地は元々はインディアンの土地でしたが、今はその面影はありません。

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「素晴らしいリゾート地になっています。周りは厳しくも雄大な自然に囲まれている場所で、近くにホイットニー山という4400メートルもの山がありますが、登山の装備がなかったので登れませんでした。途中で検問があって、本格的に準備をしていないと登山の許可が降りないのです」

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ホイットニー山はシエラネバダ山脈にあって、美しい景観と厳しい自然で有名な場所です。

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スペインにも同じ名前のシエラネバダという山脈があります。

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「ヨセミテからLAに戻り、2週間の旅を終えました。今、アメリカでは蕎麦が人気のようです」と、山本ミノさんは最新情報も付け加えました。

当時のインディアン居留地では手に入らなかった、蕎麦粉と大好きなガレットに思いを馳せているのでしょうか。

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