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子供の小さな失敗を喜びたい。


昨日、息子が割れたガラスで足を切った。
テーブルに置いてあったコップを落とし、
その破片で。

「大丈夫だよ」と手当しながら、わたしはしめしめと心の中で喜んでいた。
こういう小さな失敗は、どんどんすればいいし、させたいと思っているからだ。



子供の失敗を喜べるように。

といっても、大きな怪我ではなく、絆創膏で治るような、ほんの切り傷なのだけれど。
それでも彼はびっくりしたようで、自分の足に滲む血を見て、しばらく泣きわめいていた。


「ガラスはね、落としてしまうと割れるんだよ」
「割れたガラスは、とがってて、触ると危ないんだよ」

子供には日頃からこんなふうに言い聞かせる。 他にも、歯ブラシをくわえながら歩かない、横断歩道はどうやって渡るか、お友達との接し方、それはもう、いろいろと。

でも、何がどれくらい危ないのか、お友達がどんなふうに嫌な思いをするか、そんなの言われただけでは理解できない。子供なんてそんなものだ、自分もそうだったように。
理解するには、身をもって経験するしかない。だから、私は昨日みたいな子供の小さな失敗をいつも歓迎する。

ちょっとしたケガや友達同士の喧嘩もどんどんすればいいと思うし、小さなうちからたくさん失敗を積み重ねて欲しい。いろんな痛みを知って欲しい。


ついつい先回りしていないか?

大人に近づいていく度に、失敗の度合いも質も変わってくる。その時にしかできない「失敗」がたくさんある。子供には子供の、大人には大人の。

これまた不思議で、その時の自分が耐えられる、超えられるようなレベルの「失敗」をするように、うまく世の中は回っているようにも感じる。たまに試練かと思うような重い失敗もあって、打ちひしがれることもあるけれど。
でも、年齢だけでなく、その積み重ねがあるから超えられる、経験値みたいなものも確実にあると思う。

だから、そういう大切な機会を奪わないようにしたい。
子供かわいさに、失敗して傷つかないように、泣かないようにと、先回りして親やまわりの大人が差し伸べるその手は、子供の成長の芽を摘んでいるかも知れない。
経験しないといけない「失敗」もたくさんある。


最後に

手当をおえて、息子といつものように布団に入る。小さい肩がいつも以上に小さく見える。
相当ショックだったみたいだ。
コップをテーブルから落としたこと。
それで足を怪我したこと。ガラスってあぶない。小さな頭の中は、そんなことでぐるぐるしてるに違いない。

「ガラスって、危ないね」
そっと頭を撫でながら声をかけてみる。

「とがったところで、手とか足とか切れちゃうね、あぶないね」

「でも、コップ落として割れちゃったから、それで分かったよね。コップはかわいそうだけど、教えてくれたからありがとうだね」

「ありがとうだね、コップさん…」

「失敗するのはお母さんも嫌だけど、失敗って大事だね、失敗したから分かったもんね」

「うん…(寝息)」


最後が大事だったんだけど。まぁいいか。
お気に入りだったイッタラのガラスコップ。
息子の成長のお手伝い、ありがとう。


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