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原爆投下から終戦へ。75年目の朝、思うこと。


※写真は数年前に訪れた「おりづるタワー」から撮影した原爆ドーム。

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広島への原爆投下から75年目。

まだ北海道に住んでいた頃。
今日みたいに暑い夏の日、職場の組合大会で初めて広島を訪れた。
現地では、被曝体験者の方から直接おはなしをうかがう機会をいただき、胸が締めつけられた。
あの方は、いまもご存命なのだろうか。
それももう、10年も前のはなしだ。

私と戦争との接点は、広島ではなしを聞かせてくださったその被爆者の方と、小さい頃に戦争体験を、私たち孫によく話して聞かせてくれた祖父。


そんな祖父が、生前に書きとめていた
ひとつの手記がある。
幼少期の記録から、軍に召集された青年期、
そして終戦の日。
75年前、祖父は宮崎でその日を迎えた。
手記はそこで終わっている。
それはとても清々しい描写で。

わたしは、その手記を、祖父の足跡を辿るように、そして戦争の記憶をとどめ、
今の時代のかたちで伝えていくために、
すべてnoteに書き起こした。


昼すぎ、正男君がとんできた。
「とうとう日本は負けたとよ。天皇陛下がラジオでいってた」と告げる。とたん五体がくずれる思いだった。
八月十五日、何かをする気力もない。食欲もない。兵舎に帰る。夕食後、外に出る。
昨日まで暗かった街は電気がつき、明るい街に見えた。



8月6日広島に、8月9日長崎に原爆が投下され、
75年前の暑い夏の日に、祖父は宮崎で終戦を迎えた。不謹慎かも知れないけれど、命を繋いでくれたから、いま私が、ここにいる。

この季節がくるたび、それぞれの日から自分に何ができるのだろうかということを、ずっと問い続けている。
状況を一変させるような大きなことは、わたしにはできないけれど、目の前の人を幸せにする、仕事を通じて世の中に貢献する。
たとえそれが周りから見て小さいことでも、
私が出来ることを、ただ一つ一つやるだけだと思っている。

今日から終戦の日まで。
ひとりの人間の半生に触れていただいて、
何か感じ取って貰えたなら、とても嬉しく思う。