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大学で勉強する時のワザ その1


注:この文章の経緯についてはこちらをごらんください。その0の続きです。

ノートをとる!

大学での講義の形態は色々増えてきましたが,現在でもやはり「教員の話を聴講する」スタイルの従来型の講義が多いのではないかと思います。その際の学生側の活動は「ノートをとる」ことが主になるでしょう。上手にノートがとれるということは,講義の理解が進んでいるということになりますし,なによりよくできたノートは試験勉強時の強い味方になります。

さて,ここでノートをとることの意味を考えてみましょう。「そんなの講義の記録よね」と思いますか? もし,ノート=講義の記録なのならば,板書やスライドを写真で撮ったり録音したり講義の様子を動画で撮影したりすれば,ミスなく確実な記録を残せます。我々の学生時代にはそんなことは不可能ですが,今なら皆さんスマホを持っていますから,いくらでも可能ですよね。でも,そのような記録は講義ノートの代わりにはならないのものです。
だいたい,大学の講義は一回90-100分,それが1日に複数個あるのです。撮った画像や記録をあとから見返している暇はありません。決して見返すことはないのに,記録があることに安心してしまって肝心の本番の講義に身が入らなかったり,別のことをしていたり,というのが関の山です。せっかく授業料を払ってライブの講義を受けているのですから,そこで吸収できるものを吸収することに集中しましょう。

話が少しそれました。ノートをとる意味に戻ります。結論から言うとノートをとるのは「講義そのものを記録するため」ではなく,「講義を受けた自分の,記憶と考えたことを記録するため」です。「先生の話」ではなく「自分で考えたこと」の記録であるということがポイントです。難しく考えすぎなくてよいです。ようは「手書きのノート」ならいいのです。たとえただ板書を写したノートだとしても,板書を写すためには一度情報を頭の中に通す必要があります。目で見て,文字,言語として理解して,それを手で書くわけですから。これは「自分の頭で考えたことの記録」になります。写真を撮るときと比較すれば明らかですよね。写真を撮るときには中身の理解は一切必要なくシャッターを押すだけで済みます。自分の書いたノートだったら見返したときに「こんなことやったな,先生言ってたな」ということを多少なりとも思い出せますが,板書の写真は後から見てもきっと解読不能だと思います。講義の内容を思い出す鍵になるもの,それが良い講義ノートです。

ノートを何に取るか,は個人の趣味によると思います。普通のノートでも,ルーズリーフでも,まとまってさえいれば良いと思います。理系の人の場合,高校までと比べて一つ一つの数式が長くなるのでB5判より横幅のあるA4判のノートの方が便利かもしれません。大学でちゃんとノートを取ると相当の量になるので高価だったり重かったりすると不便かも。あと,筆記用具も大事です。間に合わせの安物を使うと疲れます。ペンだこができたりもします。シャープペン,ボールペン,お気に入りを探してください。私は学生時代「万年筆」を使っていました。書く時に筆圧がいらないので実は疲れないのです。インクの管理とか,消しゴムで修正できないとか,不便な点もあるけれど,悪筆が味のある文字に見える気がして気に入っていました。修正しにくいのは利点かもしれないです。この点については後述します。あと,最近ではiPadなどタブレット端末をノートにしている学生もいるみたいですね。私はこれは使ったことがないのでどの程度効果的に使えるのか判断できません。画面がある程度大きくて,ペンで手書き入力するのなら手書きノートと同じなのかなあ。紙の一覧性と比べてどちらが有利なのか,実際に使っている人の感想を聞いてみたいです。

次回はもっと具体的に「講義ノートを自分の考えたことの記録にする方法」をお伝えしようと思います。

#大学
#初年次教育

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