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8月の俳句(2023)

葉月の語源

陰暦(旧暦)8月の異称は「葉月」。
なんとなく、葉が生い茂る月の意味かと思っていたが、それは間違いだった。陰暦で8月は「中秋」だから、木々の葉は紅葉し始め、やがて地面に散っていく。「葉月」は「葉落ち月」の略だという。ほかにもいろいろ説があるそうだが・・・。

しかし実際の8月は「猛暑」のひとことだった。大阪の最高気温は8月13日の38.6度がもっとも高く、連日30度を軽く超えていた。
それでも季節は前に進む。いつの間にか秋をたぐり寄せている。あれほど騒がしかったクマゼミの声が、今は聞こえてこなくなった。夏の暑さがおさまりつつあるのを肌と耳が感じている。

処暑

暑さがおさまる時節を、二十四節気では「処暑」という。「処」には落ち着くという意味がある。立秋から数えて15日目の8月23日がその日だった。

蟬鳴かぬ朝訪れぬ処暑の庭

処暑と聞き残暑見舞いを書く夕べ


8月の「8」のシャレではないが、数匹の蜂が頻繁に我が家の庭に飛んでくるようになった。アシナガバチだ。蜂たちは庭の片隅の水盤の水を求めてやって来るようだ。

観察していると、数分おきにやって来て、水を飲んではどこかに飛び去る。この暑さで蜂ものどが渇くのかと思ったが、どうもそうではないらしい。口に含んだ水は、どこか近くにある巣まで運んでいって吐き出し、その水の気化によって巣の温度を下げているのだ。気温が35度を超える日が続くので、巣の冷却もたいへんなのだろう。
水盤の縁にとまったアシナガバチは、頭を下にして水をのみ、すぐに庭の向こうに飛び去っていく。多いときで4匹ぐらいが頻繁に往復する。人に危害を加える心配はまったくない。

紫陽花のしづく甘きや夏の蜂

水求め飛び来る蜂や夏嵐

顔なじみになった(と勝手に思っている)蜂たちだが、8月も終わりになるとピタッと姿を見せなくなった。調べてみると、巣の温度が33度を超えると、翅を震わせて風を送ったり、水で冷却したりするそうだ。ということは、やはり暑さが少しましになったということだろう。


蜂の姿が見えなくなったのと同じ頃、蟬の声も遠ざかっていった。蟬の種類も、クマゼミからアブラゼミになり、ツクツクボウシになった。あんなに毎日のように蟬採りをしていた小三の少女も、もう飽きてしまったようだ。「飽きが来て」「秋が来た」ということか。

熊蝉の声の弱きや盆の明け

法師蟬鳴くや名残の夏休み


秋蟬の地に還りけるあしたかな


戦争

8月前半のNHKは、戦争に関連する番組を多く組んでいた。
6日、広島原爆の日。
9日、長崎原爆の日。
15日、終戦の日。

奈良県の寺では、原爆の日に慰霊の鐘を撞くということを初めて知った。平和を願い、子どもたちが鐘を撞く姿が放映されていた。

鐘の音の遠く届くか原爆忌

長崎よ最後の地たれ原爆忌

人類滅亡までの時間を示す「世界終末時計」は、残りわずか90秒だという。気候変動と核戦争の危機。人間の愚かさを目の当たりにする毎日が続く。

今年の夏は、台風の被害も多かった。8月15日、台風7号が紀伊半島に上陸し、大阪を通り過ぎていった。

ひゅるるると野分悲しき敗戦忌


絶叫滑り台

私が住む吹田市の北、箕面市と茨木市にまたがる北大阪の丘陵地に、「彩都」と名づけられた新しい町が建設されている。緑豊かな国際文化都市で、大きな公園もある。その一つが「彩都なないろ公園」だ。
この公園に「フリーフォール」という直下型滑り台がある。子どもたちにも大人気の滑り台だ。子どもたちはこの滑り台を「絶叫滑り台」と呼んでいる。

夏の一日、中1の少年と2人で彩都なないろ公園に行った。真夏の平日ということで、人は少ない。彼は絶叫滑り台などこわくもなく、平気で何度も滑り降りる。しかし「私」は・・・。
正直、こわい、おそろしい。高いところは苦手。階段を上って滑り台の上から見下ろすと足がすくむ。なぜここまで上ってしまったのだろうと後悔する。今まで極力避けてきたのに、魔が差したとしかいいようがない。いや、年寄りの冷や水そのものだ。
太陽が雲の中に隠れ、頬を流れる汗に風を感じる。

ぬるき風頬に絶叫滑り台

滑り台は高いものと低いものの二種類ある。滑るのはもちろん低いほうだ。
滑り口の上部の鉄棒につかまってぶら下がり、エイヤッと手を離して地獄に落ちる。無意識に腕が滑り台の面をおさえようとしている。それも一瞬。数秒もたたぬうちに、我がからだは滑り台の下に横たわっていた。
ふと気づくと両腕の皮膚が痛い。摩擦ですりむけている。
少年いわく、「手は前に上げるんやで」。
先に言ってくれ!

蛮勇に擦り傷残る秋の風


芦屋

この8月、二度芦屋に行った。
一度目は、芦屋市立美術博物館の「最後の浮世絵師 月岡芳年」展。
二度目は、その隣にある芦屋市谷崎潤一郎記念館。

芦屋市立美術博物館の建物は気に入ったし、月岡芳年展は文句なしによかった。誰にも邪魔されず、周りを気にせず、ゆっくりと作品と向き合うことの喜びを味わうことができた。小さな浮世絵に、こんな迫力があるとは!

芳年の神髄見たり迎え盆

150点の浮世絵に見入った後は、いささかぐったり。隣接する谷崎潤一郎記念館に入る気は失せてしまった。次回、新鮮な気持ちで訪れようと決めて、その翌週にやって来た。

こぢんまりとした展示場と庭があるだけの落ち着いた建物だ。展示物を見ながら、文豪谷崎の人生と人となりをたどる。自分が読んだ谷崎作品などごくわずかだが、あらためて読んでみようという気にはならなかった。

文豪を好きにはなれぬ残暑かな

帰途、ものすごい夕立に遭遇した。車に乗っていたので、濡れることはなかったが、暑さも、もやもやも、何もかも流してしまうような勢いだった。車が兵庫県から大阪府に入ったとたんに潔く雨は止み、道路には痕跡すら残っていなかった。大きな夕立雲の下を通り抜けてきたようだ。

雷鳴もなく夕立の下を過ぎ


奈良公園

奈良国立博物館で開催している「聖地 南山城」という特別展が、ずっと気になっていた。浄瑠璃寺の九体阿弥陀修理完成記念の展覧会だ。最後に浄瑠璃寺を訪れたのはいつのことだっただろうか。かなり昔のことだが、池をはさんで西側に阿弥陀堂、東側に三重塔が建つ伽藍配置が目に焼き付いている。平安の美しい九体の阿弥陀如来像の印象も強い。今回の展覧会では、そのうちの二体と出会えるのが楽しみだった。しかしこの猛暑を理由にして、のびのびになっていた。

奈良に行く気持ちを後押ししたのは、小三の孫の言葉だった。

奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき

世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

夏休み前から始めた「百人一首」一日一首がほぼ半分まできた。毎朝どの歌にするかは、行き当たりばったりである。本人は以前に覚えた記憶のあるものを適当に選んでいるようだ。そんな中に、鹿を詠み込んだ歌が二首あった。

「鹿にあいたい」「鹿、見に行こ」「鹿せんべいやりたい」

ということで、目的①が「鹿にあう」、目的②が「博物館」になった。
小5と小3の2人を車に乗せて、奈良に向かう。奈良公園は暑かった。人も鹿も木陰を求めることにかわりはない。

鹿と遊ぶ子らに木洩れ日秋の風

目的①「鹿にあう」、目的②「博物館」は、結局9:1ぐらいの割合で果たせた。子どもたちにとって、博物館の仏像はあまり興味の対象にはならなかったようだ。それでも小5の少女は、博物館でもらった「南山城の宝物マップ」を手にして、一人で展示室を回っていた。

博物館の前後を奈良公園で遊んで、いざ帰らんと思ったとたん、空模様が怪しくなった。降り始めた雨の中、3人手をつないで、浅茅が原園地を走り抜ける。浮御堂のある鷺池の橋を渡り、パーキングの車のもとにたどり着く。

夕立を笑ひて駈ける鹿の園

雨はあっという間に止んだ。再び容赦ない日差し。2人は後部座席ですぐに眠ってしまう。


夏休み終わる

待ちに待った夏休み・・・ではなく、待ちに待った夏休みの終わり!
8月25日、地元の小学校・中学校の始業式があった。学校が始まるということは、子どもたちから完全解放される時間ができるということだ。どこかホッとする。
しかし、数十年前の自分の子どもの頃を思い出してみると、あの頃の夏休みは毎日外で遊んでいた。広場に行けば必ずだれか友だちがいた。だれもいないときは、壁にボールを投げて1人で遊んだ。やんま採り、魚釣りなど、目指す場所があった。田圃や池の端で銀ヤンマを採るのは、いつもスリリングで夕方まで夢中になった。
「ラッポーえ、ラッポーえ」と叫びながら網を振った。

今の子どもたちには、そのすべてがない。

夏休み遠き夕暮れ蜻蜒やんま追ひ

知り合いの「エビスイタキコ」さん撮影。
8月末の朝焼けの空です。夕暮れではないけど・・・、すごい。

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