アジア紀行~ミャンマー・バガン①(序)~
忘れ去られた「旅ノート」
30代の中頃からアジアを旅するようになった。
始まりは中国。その歴史や文学など、さまざまな文化的側面において、我が国に大きな影響を与え続けてきた国が、1978年から改革開放政策を打ち出した。行ってみたいと思った。
卒業した後も、時々大学に出入りしていたぼくは、ある日、生協で中国旅行ツアーのパンフレットをもらった。一般募集ではなく、学生や教職員を対象にしているツアーだった。ぼくは2人の同僚を誘って、このツアーに申し込んだ。
初めての中国が初めての海外旅行になった。関西国際空港はまだ影も形もなく、伊丹の大阪国際空港から出発した。
こうして、上海~北京~西安~洛陽を巡る15日間の旅が始まった。
初めて自分の目で見る中国は、強烈な印象をぼくに与えた。もっとそこに留まり、もっと自由に人に接し、もっといろんな場所を歩きたいと思った。
しかし、団体旅行という枠組みと、資本主義の国からやって来た外国人であるという点で、行動が制限されていた。
ぼくたちはその制限をかいくぐって、自由市場に行き、映画館に入り、ダンスホールにも行った。龍門の石窟では、対岸まで足を伸ばし、おかげでバスの集合時刻に遅刻して顰蹙をかった。
このときに固く決意したことがある。
団体ツアーの旅行は二度としない。必ず自分で計画して個人で旅をしよう。
しかし幸運なことに、この中国旅行の参加者は気持ちのよい人が多かった。
年配の男性が一人、あとは30代と20代ばかりで、ほとんどが女性だった。
このときの旅の記録ノートがある。現地で購入した緑色のハードカバーのノートで、帰国してから書いたようだ。しかし5ページ目の途中で万年筆のインクが切れ、そこから先は白紙である。
なぜ、この続きを書かなかったのかは、今となってはわからない。当時の旅行のメモなども散逸してしまった。色あせた写真だけは、古いアルバムに残っていて、旅の記憶をよみがえらせる手助けをしてくれる。
中国の次に海外に出たのは、タイとインドネシアだった。
この頃から、旅のメモと記録ノートを作るようになる。しかし書き終えたノートは、そのまま戸棚の奥にしまわれて、再び読み返すこともなくなり、文字通り埋もれてしまっていた。
「旅ノート」、日の目を見る
しかし今回、このnoteに「アジア紀行~タイ~」を書いたのをきっかけに、これらの「旅ノート」は再び日の目を見ることができるようになった。
写真のノート以外に、初期の頃の旅は、大学ノートなどに乱雑に書いてあるものもある。
最近の旅は、デジカメやiPadなどのおかげで、たくさんの写真が残り、そのときの記憶をたどりやすくなった。
しかしそれ以前の旅は、大量のフィルムを購入して旅に臨んだものの、やはり記録には限界があり、整理の悪さに記憶力の低下が拍車をかけて、”忘却の彼方”に消え去りそうになっていた。
いまは「旅ノート」を再読し、写真を見ながら過去旅の記憶を揺り起こして、脳細胞の破壊を少しでも食い止めるに如くはなし、と考えて、「アジア紀行~ミャンマーひとり旅~」に取りかかることにしよう。
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