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アジア紀行~ベトナム・再びホーチミン①~

最後の朝

ベトナムに入って9日目。日にちがかわる頃にはこの国を離れることになる。最後の一日は、ホーチミンの町歩きになりそうだ。
8時過ぎにホテルのレストランで朝食。ハムオムレツを注文したのに、見慣れた無愛想な給仕の男性が持ってきたのはネギの入ったオムレツだった。だれかほかの人が注文したものかもしれない。食べ始めるまで間違いに気づかなかったが、これがけっこう美味しかった。
チェックアウト・タイムは昼の12時なので、午前中に統一会堂(旧大統領官邸)に行くことにしよう。

統一会堂

統一会堂の建物は150年以上の波乱の歴史を持っている。
フランスの植民地支配下にあった1868年に建築が始まり、完成したのは1873年のことだった。当時は「ノロドン宮殿」と呼ばれ、1945年まではフランス提督が利用していたという。第2次大戦が終結したあと、1955年に南ベトナム政権が誕生すると「独立宮殿」と改名される。
その後、1966年に現代建築として再建され、ベトナム戦争終結までは南ベトナムの大統領官邸として使用されてきた。「統一会堂」と名付けられたのは、現在のベトナム社会主義共和国が成立した1976年からのことだ。

現在の統一会堂は、観光地として公開されている。入口で15,000ドンを払って入場する。建物の前庭がとても広く、円形に芝生が植えられている。建物側から振り返るとこんな景色になる。

統一会堂の内部には100を超える部屋がある。大統領室、会議室、宴会場、食堂、映画室、遊技場、貴賓室等々。写真は2階の大使室の正面壁画。

屋上にはヘリポートがあった。展示用のヘリコプターが1機。

さらに地下には防空壕や無線室がつくられている。壁は6mの厚さで、ベトナム戦争時に使われたと思われる地図や通信機が置かれている。通気が悪く圧迫感がある。この部屋が戦争の雰囲気をいちばん残している。
建物の外に出ると、再び熱帯の日差しが復活するが、閉塞した空間にいるよりも、こちらのほうがよい。

町で出会った人たち

統一会堂から表通りに出ると、真っ白なアオザイの女性が数人、颯爽と歩いて行くのに出会う。顔つきから見ると高校生ぐらいだと思われる。思わず目で追ってしまう。
統一会堂前の歩道に、上半身裸の少年たちがいた。袋を肩に掛け、足下はほとんどが裸足だ。何かもらえると思ったのか、近寄ってくる。みんな少年らしいあどけない顔立ちだが、どんな生活をしているのだろうか。「ストリートチルドレン」という言葉が頭に浮かぶ。

「写真を撮るよ」と手で示すと、横一列に並んだ。お礼にカバンの中にあったキャンディーやタブレット菓子をあげる。子どもはみんな甘い物が好きだ。
子どもたちと別れてホテルの方角に向かう。少年が手に何かを持って人々に差し出している。宝くじ売りの少年だ。ここでは子どもも生活の一端をになう労働者になる。

公園を通り抜けると、美しいアオザイを来た女性をモデルに撮影をしている人がいた。横から数枚写真を撮らせてもらう。

11時頃、ホテルに戻る。シャワーを浴びて着替える。部屋はすでに整えられていた。一息ついてフロントに降りてチェックアウト。今夜のフライトまでまだ半日あるので、夜まで荷物をキープしてくれるようお願いする。
さて、いよいよホーチミン最後の町歩きだ。

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