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生きてきた中で後悔していること

わたしには、人生の中で

「もしあの時」

と忘れられずに後悔していることが二つある。

わたしの後悔の数が多いのか少ないのかはわからないが、

「もし」

という言葉を使うと永遠に終わらない気がするとても危険の孕んだ

妄想タイムの始まりである。


それで、一つ目は

まだわたしが20代だった頃だ。

よく神保町に通って一日中古書を買い漁っていた。

お気に入りの古書店の中のなかでも一番好きなお店、

「美術倶楽部ひぐらし」

日本の画家としてカテゴライズされている

金子國義

がオーナーをしている

とても素敵なお店だ。

彼の作品ももちろん素敵である。

その「ひぐらし」に初めて訪れた日、お店には二人の男性がいた。

一人は「ジャージ」を着た背の低いおじさん。

もう一人はヒッピー風のファッションを身に着けている

30代ぐらいの青年。

「ジャージ」を着たおじさんを最初見た時、

あまりにもお店に似つかわしくなくってすごくびっくりした。

「ヒッピー風」の青年となにか会話をした。

詳細は忘れたが、

どうも、二人は「金子氏の関係者」らしいというか、だった。


青年と会話しているうちに、「金子氏に会わないか」と言われた。

しかし、彼は、話の中で金子氏の事を「先生」と執拗に連呼し、

わたしはなんかその

「先生」

という言葉がなぜか気になってしょうがなかった。

金子氏を尊敬しているのは解るが、

「崇めすぎじゃないか?」

と思った。

それから、彼がわたしを舐るような目線で見ているように感じられて、

「なんか下心ないか?」

と、とても不快に思ったのを覚えている。

なので、

「神保町にはよく来るの?」

と聞かれた時にとっさに

「来ない」

と嘘を言った。

そして、

「金子氏に会う」

事を丁重に断ったのだった・・・


・・・何故だ!

あの時の自分!

どうしてあの「金子國義」と会う機会をみすみす逃してしまったのだ!

きっと今のわたしなら二つ返事で「OK」したことだろう!

わたしの馬鹿野郎!

と、たまに思い返しては自分の愚かさを呪い、

自分に罵声を浴びせかけるのである。

そうこうしているうちに金子氏は5年前にこの世を去ってしまった。

もう、どこかで会えるなんて「ワンチャン」はないのだ。

非常に頭が痛い。


もう一つは、わたしが30代の頃。

世界的に有名なアメリカ人のイラストレーターと結婚した、

アメリカに住んでいる従姉と、日本で親戚の結婚式があって

久しぶりに会った時に、

わたしが彼女に

「彼女の旦那が描いたLP(レコード)持ってるよー」

と言ったらとても喜んでくれたようで、

「じゃあ、なんか彼の作品送ってあげようか?」

って言ってくれたんだ。

だけど、生粋の日本人のわたしは、つい

「いいよ、いいよ、恐れ多いよー!」

って遠慮してしまったんだよ。

アメリカナイズされて思考回路がほぼ「アメリカ人」になってしまった

従姉は、

「そう?」

とわたしの額面通りの言葉を受け取ってしまって、


【結局送ってもらえなかった・・・】


うわーっ!わたしの馬鹿バカばかっ!

である。

泣きたい。思い出すたびに途方に暮れてしまう。


ちなみにわたしの弟は頼んでいないのに、彼のデザイン画が

描いてあるスケボーを送ってもらっている・・・

弟がスケーターだったからだ。

しかし、弟は、そのすっごく価値のある激レアなそのボードを

「大事に飾る」

のではなく、

惜しげもなくそれで

「乗って遊んでいる」

のだ。

本人曰く

「使ってこそ活きる」

らしい。

アホー!


そう、それはわたしだ。

そうこうしているうちにこの間従姉は25年以上連れ添ったその「彼」と

「でぃぼーす」

してしまった・・・

もう、二度とチャンスはない。

はあー・・・

辛い。

以上この二つである。


「こぼれたミルクを嘆いても仕方がない」

のはわかっているよ。


だけど、悔やんでも悔やみきれないことってあるでしょう?








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