それ自体には価値はないが混ぜると価値が出てくる、からの漂流(=派生して別の気づきまで至る笑)

自分に価値があると思いたい。この考え方の癖は、思い返せば就職氷河期に就活をした影響なんだろうか。価値がないやつなど企業は必要としない、という考えの元、自分の価値を高めること、アピールすることに懸命にトライし、内定をゲットしたという成功体験から、しっかりと価値観に刷り込まれたのかもしれない。

あまりに当たり前だと思っていたこの価値観は、もしかしたら息苦しさと隣り合わせかもしれない。SNSにせっせと投稿してはリアクションの数を数える飽くなき承認欲求は、自分に価値があると思いたいから?この情報は価値があるか?この会社は価値があるか?この友達は価値があるか?価値があるかないかで判断して、誰だってそうだろ、価値がないものに用なんてない。

だけど待って。いつもどんなときも、価値がないことはやっちゃいけないの?例えば勉強にも見聞にもならない娯楽はどうだろう。人気Youtuberがワチャワチャ青春してる動画も、娯楽でしかないけど、それを見たあと、日常の買い出しが楽しくなっていたりした。ジェイにも「今日の買い物楽しいな」なんて言われたりして、明らかに日常生活が楽しくなったていう効果があった。こんなふうに娯楽にも価値が・・・・・・って、違う、価値を見出しちゃってんじゃん。そうじゃなくて、本当に価値がないことには時間を使っちゃダメなんだろうか?

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