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「敵」を作る事では、何も生まれない

なぜこの時期に、この映画か。

引用した記事に書いてある、最後のこの言葉が胸に刺さる。
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>>俳優もみな熱演しているし、事故のシーンの迫力はものすごく、どんな事故だったのを知るために多くの人に見てもらいたいとも思うだけに、政治的な「事実の加工」が残念でならない。(映画『Fukushima 50』はなぜこんな「事実の加工」をしたのか?〜観客をミスリードする作り 中川 右介)

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「当時を知る」自分の感覚からしたら、この映画に描かれていることと、そこにある政治的な何らかの意図にいろいろな事を重ねてしまう。
今の混乱があり、そしてこの時期にこの映画がなぜ上映されるのか……と考えたときに、今までの歴史から考えるとどうしても「悪意」を感じてしまう。

タイミングよいというか何というか、この総理の発言。

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なぜこんなに「人ごと」なのだろう………

あの頃、毎日ニュースで息をのみながら祈るように福島の動きを見つめた。
混乱の中で現場ではみんなが必死で食い止めようとしてくれていた。

なぜあの「非常事態」が起こったのか。
忘れてはならないのは、そんな非常事態に命がけで向かわねばならない人たちがでた状況を作り出したことが何だったのか、ということ。

明らかに「人災」と言われた福島原発の事態は、今回のコロナの騒動にもよく似ている。少なくとも歴史に学んでいたら、コロナの騒動はもっと早くになんとかできていたと思う。それは他国の有り様を見ていても、はっきりと言えること。日本は、原発事故を巻き起こした「前例」に学べなかった……残念ながら。

それからもう一つ、福島で恐怖と混乱の中で闘った現場の人たちに心から感謝する気持ちは当然忘れてはならないが、では、その事が「美化」されてしまってはいないか?………たとえば、戦時中を描いた映画の特攻隊のように。
「お国のため」に命を捧げることが正義だった時代には、「国を守るため」命を捧げることが美とされたけれど、そういう感じがこの中には流れていないのだろうか?

コロナにしても原発にしても、「敵」を作る事で生まれるものは混乱と怒りだけ。それは本当にいろいろな場面で感じる事で、もっと言うと「不登校」などの教育現場についても、また世の中に起きるいろいろな事件についても、同じ事を考える。(「学校が!」「親が!」と言い合っていたら、子ども達はどうしたらいいのだろう?)

「敵」を作る事では、何も生まれない。

敵がいれば攻撃をする。いわば、怒りをぶつける対象を生み出して、攻撃することを正当化することになる。

その先にあるのは「勝者」と「敗者」という存在。
けれど、物事が起こるときには、必ず原因がある。両者それぞれにそれぞれの正義を掲げて闘う。だから本当は、敵を作っても決着がつくはずがない。

「事実」に目を向け、そしてそれによって起こった「歴史の流れ」をしっかりと感じとって、過去に起きた悲しいことやつらい事件を「繰り返さない」こと。

伝わらない、見えない、そしてそれによってねじ曲げられた物事が、今だに日本をゆがめている。それが今の日本を混乱に陥れている。
私は自分自身で見て、聞いて、感じたこと、そしてここまでの時の流れが伝えてくることをしっかり受けとめて、間違えないようにしたい。

守るべきは、自分、そして自分の周りの人たち。子ども達。
未来をこの先も紡いでいく、仲間達。
そして私たちの未来。

それだけは絶対に、間違えないようにしたい。

もうすぐ、3.11がまたやってくる。
あの時に起こったことを美化するでもなく、ただ悲しむだけでも無く、心に留めて「未来」を描くための大切な糧とすることが、たくさんの犠牲になった方々に、「今を生きる私たち」ができることなんだと思う。


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