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モノに、人生に、向き合う~実家断捨離#3

大好きな次女(妹)が帰省したのに、どこにもお出掛けしない。
父がヘソを曲げているけど、、、そんなん知らん、知らん(笑)

まだまだ続くよ、断捨離大作戦。



少々お疲れの、3日目

前日に引き続き、リビングをお片付け。
リビングの顔、テレビボードには何が入っているんだろう。
ここを整理したら使いやすくなるんじゃないかな。


リビングの顔が、、、コレ?

リビングのコーナーをL字に占領するテレビボード。
使いやすそうな引き出しがたくさんあるので、私なら文房具や掃除道具入れたいなぁ。

・燃えるゴミ&燃えないゴミの分別ゴミ袋
(これは家事動線に叶ってるよ、お母さん。)
・無造作に入れただけの整理されてない大量の写真
・各種水引、お祝い袋
(黄ばんでるのは捨てましょうよ!黄ばんでる水引を送れる相手って誰?、、、私?)
・ファミコンカセット
(30年以上前の、、、本体はすでにありません)
・父のもの
(補聴器とか、ラジオとか、シェーバーの部品とか、へそくりとか笑)

でも、一番たくさん入っていたのは、母の手作り作品だった。


もったいない!

母は芋版画というのをやっていた。
サツマイモで版を作り、インクをつけて布に押す。
(辞めてから15年くらいは経っているだろうか。)
ランチマットやコースター、大物ではテーブルクロスやテーブルセンター、タペストリーだったり、表装額だったり。
その芋版画の作品が引き出しギュウギュウに押し込まれていた。

家の色々なところに飾っていて、以前は小まめに入れ替えていたけれど、ここ10年くらいは同じ作品が飾ってある。
もはやこれは飾りではなくて、背景になっているのね。
季節ものもあるのに、季節で入れ替えないのは、もったいないなあ。

「お母さん、今飾っているのはもう古ぼけてるから、全部入れ替えようよ。」

母と妹は「これどう?」「私はこっちがいい!」とか言って、キャッキャと楽しそう。
普段からこうしてたらよかったのに。
でも、この取替え作業が面倒臭くなっていくのが老いなのだろうな。


「売ってみない?」

和室、応接間、玄関。
作品を入れ替えると、家の各所の雰囲気や色味が変わった。

いいじゃん、いいじゃん!

それでもまだまだ作品はある。

「お母さん、これ、引き出しに入れてても勿体ないよ。メルカリとかで売ってみない?」
妹が言った。
「え~!こんな下手なのを誰が買うん?」と母。
いやいや、和の小物でこんな粋なのは他にないよ。絶対売れる!

売るといっても、もちろん目的はお金ではない。
誰かが気に入ってくれて、喜んで使ってくれたら嬉しいじゃないか。
なにより、引き出しに押し込んでおくより断然良い。
「ほうじゃねえ、、、」
そう言う母の表情は悪くない。

母がいなくなってから不用品を処分するかのように手放すよりも、一枚でも二枚でも、気に入った誰かの手に渡るほうが母も嬉しいと思う。

断捨離は遅々として進まない。
でも、こういうものだろうな、とも思う。
80年の歴史を振り返るんだ、簡単な訳があるはずもない。


三たび、反省会

3日間の断捨離作業はこれにて終了。
この日はどこからもお酒が発掘されなかった。
仕方ない、普通のビールで(笑)


なにかの本で読んだと思うのだが、
『生きることと死ぬことは別々ではない。
生きていくことの終点に死がある。
生きることと死はひと続きである。』
と。

私の人生は残り44年。
(人生100年と考えております!笑)
誰しもゴールに向かって生きている。
生きるってそういう事だと、だから一生懸命に生きなければと思う。

断捨離は始まったばかり。
実家の断捨離を通じて、私と妹は両親の一生懸命に生きた人生を見せてもらっている。


こんな写真も出てきました。
63歳と60歳です😂





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