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「自分」というものは存在しない-『唯識の思想』から学んだこと

「自分」とは何だろうか?

こういった悩みを抱えている人は少なくない、と思う。

勿論、私もその一人だ。

今回紹介する『唯識(ゆいしき)の思想』を紐解くと、「自分」というものはない、と一刀両断する。

それなのに、「自分」という実体のないものに私達は悩んでいる。

では、その悩みからどうすれば解放されるのか?

本題に入る前に、唯識の定義を簡単に説明しよう。

唯識とは、「唯(た)だ識(しき)、すなわち心だけしか存在しない。自分の周りに展開するさまざまな現象は、すべて根本的心、すなわち阿頼耶識(あらやしき)から生じたもの、変化したものである」と主張する思想だ。

著者は次のように言う。

「存在せるのは唯だ身体、唯だ心だけあるのに、それを自分である、あるいは自分のものと誤認している」という、この事実の認識から仏教理解が始まるといっても過言ではありません。この事実を<五蘊(ごうん)を縁じて我・我所と執する>といいます。

『唯識の思想』10頁~11頁より引用

五蘊とは、色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)を指す。

それぞれの意味を挙げておく。

色…物質や肉体
受…外界のものを感受する作用
想…物事を思い描く表象作用
行…物事を形づくる形成作用
識…物事を対象として認識する作用

『もういちど読む山川哲学』149頁より引用

この5つが集まって、すべてのものがつくられる。「受」以下の四つは心に相当する。「縁じる」とは、対象を認識すること、「我」とは自分、「我所」とは自分の所有するもの、という意味だ。

「五蘊を縁じて我・我所と執する」とは、つまり「身心を構成する要素を、自分・自分のものと認識してしまうこと」と訳することができる。身心を構成する諸要素があるだけであって、それらから構成される我(自分)は存在しない。そのように、『唯識の思想』では考える。

仕事をしているときの、私の気持ちをここに書いておく。

計画通りに業務が進むと、「よし!いい感じだ。この調子で頑張ろう。」という前向きな気持ちになる。一方で、想定外の業務が生じた場合、「どうしてこのタイミングでこの仕事が振られんだよ…仕事面倒くさいな」と後ろ向きな気持ちになる。

要するに、自分の心は一喜一憂している、心の動きが不安定だなと感じることが、よくある。

しかし、『唯識の思想』によれば、それは心が反応しているにすぎないのだ。それにもかかわらず、「自分の」心が反応していると考え、ずっと悩んでいた。

この本に出会ったことで、次のように考えが変わり、気持ちが楽になった。

「自分」という実体は存在しないのだから悩まなくていい。

メンタルで悩んでいる人には、ぜひ読んでほしい本である。





















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