小説家と編集者

 私はある先生の編集者をしていた。
でも、ある時死んでしまったらしい。
目の前の作家先生にそう言われた。
「またご冗談を。それより原稿の具合はどうですか、先生?」
「いや、全然。君が居ないと進まなくて」
「いつまで引きずるんですか、そのネタ。原稿を書きたくないからって、そんな子供騙し通用しませんよ? 一緒に見てあげますから。今回はどんな話を書くつもりなんですか」
「いやあ、いつもの怪談だよ。か・い・だ・ん。それらしいのは浮かんできたのだけど。そこから続かなくて。悪いけど、君、私が今から話すから書き起こしてくれないか」
「うーん、もう。かしこまりました」
改まってその辺の鉛筆と原稿用紙を手に取る。
『ある所に男がいた。その男は小説家で何不自由なく暮らせていた。酒も煙草もしない妻帯者だった。いや、正確に言うと結婚してから酒も煙草もしないようになった』
「へぇ、今の先生と真逆の方なんですね」
すると、先生は少し困った顔をした。
「うん、そうだよ。今回は僕のね、理想を書こうと思って」
「それなのに、怪談なんですか? どうせ妻が幽霊だったとかそういう落ちでしょう? また、ありきたりだって編集長に嫌味を言われますよ~。いつもネタがつまらないって怒られちゃって。ほんとは実力があるのに。勿体ない。なんとかサポートしますから、編集部をあっと言わせる話書きましょう? ね?」
「うん…、そうだね。君がそう言ってくれたおかげで筆が乗りそうだ。少し席を外していいかい」
「また煙草ですか? ほどほどにしてくださいね~」
「行ってくるよ」
そう言った先生の横顔は泣き笑いに見えた。
先生が煙草を吸いに行くのは、何かに集中したい証拠だ。
よしよし、私は邪魔しないように部屋の片付けでもしますか。
こんなに散らかして、男の一人暮らしいというものはいけませんね。散らばっている書類や本をとんとんと整理する。
「不思議。先生の部屋、そんなに来たつもりないのにな。どこに何を片付けるのか分かる。手が分かってるみたい」

『××××怪談』
「先生って本当に怪談が好きねぇ」
本の間に1枚挟まっていた紙がひらりと地面に落ちた。
「うんしょと、なになに」
我ながら声を出して物を拾うのはなかなか婆くさいとは思う。
『死者を生き返らす方法
対象者:死んだもの
効果:死んだ者を生き返らせることが出来る。
副作用:生き返った者は生き返らせた者との1番大切な記憶を失う。また、その失われた記憶が戻ったとき生き返った者は、その日の夕方までに消えてしまう。
方法:夕方に………』
方法のところは文字が擦れて読めなかった。でも、なかなか古い文献みたいで本当に怪談みたいではある。
「ちゃんと先生、仕事してるんだ。資料集めとか1番嫌いそうなのに」

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「もどったぞ」
「お帰りなさい。早かったですね」
「うん、少しでも君と居たくて」
「またまたお世辞がお上手で」
「君には僕が話す内容を書き起こして貰わなくちゃいけないからね」
「なーんだ。ただの雑用要員ですか」
不覚にも少しどきどきした自分がいました。
「うん、そう。あとついでに君も何か書いてくれないか?ずっと1人で書いてたら、煮詰まってしまって敵わない」
「私が?」
「ほら、僕の編集者になってどのくらいかしたとき、自分は小説家志望ですって言ってたでしょ。君が何か書いてくれたら、僕も少しは張合いが出るんだけどな。だから、なんでもいいから、思いついたものを僕のために書いておくれ」
「はあ、まあそれで先生のお手伝いが出来るのなら良いですけど」
先生の考えている事はやっぱりよく分からない。ま、小説家ってそんなもんか。
「あ、題材これでもいいですか?」
私はさっき拾った紙切れを先生に見せた。
先生は少しハッとした表情になった。それで、泣き出しそうな顔でちょっと笑った。
「うん、いいよ。やってみて」
「ありがとうございます」

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 さっそく作家活動に勤しむ事にした。先生の机を借りる。とは言っても、朝食から夕飯までなんでもゴザレの万能ちゃぶ台だけど。
「だから、女は生き返った事にちっとも気がついていないんです。男はそれを女には言わない。女の事を愛しているから。2人が夫婦であった事言ってしまうと、まじないの効力が無くなって、女は消えてしまうから。ね、切なくていいでしょ? 私、好みです」
「参ったな。君はひどい人だ」
先生は額に手を当てて、笑っている。なんださっきの私が幽霊だとか冗談だったんじゃない。先生の真剣な顔は心臓に悪い。
「それで、君は本当は僕と夫婦だったって言ったらどうする? 君は好きかい? こういうの」
えと思った。やっぱり、先生は真剣な顔だった。
「嘘じゃ無いって事ですか? 私が死んでしまったこと」
「そうだよ」
「じゃあ、先生は私を生き返らせたけど、どうして私たちが夫婦だったって、わざわざ言っちゃうんですか。言ったら、もう一緒に居られなくなっちゃう。私、消えてしまうんですよ。先生はそれでもいいって言うですか。
信じらんない。ホントに意地悪です」
「そうかもしれないな。君を生き返らせておいて勝手だけど、君の世界に僕は必要ないみたいでなんか嫌だったんだ。だから、僕は少し君を困らせてみたくなった」
「先生のばーか」
私は勢いよく先生のアパートを飛び出した。
先生なんか知らない。
私、ちっとも幽霊なんかじゃ無いし。
鉛筆だって、机だって、ドアノブにだって触れる。ついでにこうやって走り出せる足もある。
でも、幽霊なんだって。
言われたら、なんかしっくり来て自分でも涙が止まらない。
今日なんで、先生の家に行ったのか覚えてないし、昨日の夕飯に何を作ったのか思い出せない。今日が何日なのかも分からない。
だから、私は幽霊になってしまったんだと思う。
でも、生き返らせてくれて嬉しい。
それって幽霊になってでも、一緒に居たいくらい好きだったってことでしょ?
なら、私も先生に何かしてあげたい。
そう言えば、どうして私作家になりたいって思った時があったのかな。
これも先生関連だから、忘れてるのかな。
へへへ、辛いなぁ。

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 どっちにしろ私はここから今日の夕日が沈むまで、この世界から消えちゃう。
そしたら、先生はまた1人ぼっち。
うんうん、自業自得よ。
私に真実なんか教えちゃうから。
でも、そんな先生1人にしておけない。
ぎゅっと手を握ると、アパートから走り出して持ってきてしまったものがあった。先生の鉛筆。A4の緑の鉛筆。
「うん、書こう。先生に送る小説を書こう」
先生から言い渡された宿題、やってやろうじゃないの。

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 日が陰って頬に冷たい風がそよぐ。
あれからコンビニに寄って、紙を買いその足で公園に来て先生への手紙を書いた。不思議とポケットには小銭が入っていた。
「うん、我ながらいい出来だわ」
夕日に近づいている太陽に手紙を透かしながら、もう一度読み返した。
「あーあ、もういいや。先生のとこ帰ろ」
うん、この際先生が私を消し去ろうとした事なんかどっちでもいい。今は私の気持ちをちゃんと文章にして伝えたい。
「せんせぇ~。ただいま帰ってきました」
「やあ、お帰り。首を長くして待ってたところだよ」
先生は普段と何にも変わらない。私これでも奥さんだったんだよね?生き返ったんだよ?
もうちょっと喜んでもよくない?
でも、そんな事構っていられないよね。
私もうすぐ消えちゃうんだもん。
「先生、作品が書けたの読んでもらっていいですか?」
これが精一杯。今の精一杯。
「うん、どれどれ。添削してあげよう」
  
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

『先生へ

こんにちは、どうもあなたと結婚する前の私です。今ピンピンしてます。自分が消えちゃうって信じられないくらい。とても元気です。
だけど、やっぱり寂しいです。あなたとこれからお別れしなくちゃいけないと思ったら。
さっき、先生言ってたけど、結婚する前の私は先生がいなくて大丈夫みたいに見えてたそうですね?
ふーん。先生分かってないなぁ。
私が小説家になりたいって言った理由思い出しました。先生に好きだって伝えたかったからです。自分の好きな事に対して一文字ずつ想いを編み込んで、文章を作る。それって小説を書くってことでしょ? なのに、先生から先に気持ちを伝えてくれたから私が小説家になる必要なくなっちゃったじゃないですか。先生のばかやろう。もうそれは立派な立派な先生が仰ぎ見るくらいの小説家になる予定だったんですからね。その責任はちゃんと取って欲しかったな。
たぶん、先生がネタバラシしちゃったから思い出しちゃったんだと思う。
でも、今の私の言葉でちゃんと伝えたい。
先生、貴方の書く文章がとても好きです。
優しくて切ない話ばかり。
まるで先生の背中を見てるみたいで、とても好きです。
大きくてちょっと猫背の背中。寂しそうな背中。
その背中をずっと見つめて居られるくらいに近くで、私も暮らしたい。
これが今の私の気持ちです。
結婚してた時の私なんか知るもんですか。
今貴方の横にいるのは、今の私です。だから、その私の気持ちに応えてほしい。
さあ、言ってください。私とこれからどうしたいかって。

愛しの編集者より』

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

「全然、小説じゃないじゃないか」
そう言った先生の声は涙声だったけど手紙を離さないもんだから、顔はよく見えなかった。
「先生が書けって言ったんですよ。素人の私に文句言ったって仕方ないじゃないですか」
「うん、そうだね。大変よく出来ました。僕、仕事が出来る子は好きだよ」
「そうでしょ。そうでしょ」
先生は手紙から顔を上げると、優しく頭を撫でてくれた。
涙で溢れた瞳がぐっと細められて、私の頭の頂上を眺めていた。
「僕はずっとこのままがいい。君と結婚する前の、君が居ない生活に苦痛を感じない僕のままがいい。それでよかったんだって思ってた。でも、僕はあの優しい時間を知ってしまった。それなのに、君はその時間を知らないふりをする。辛かった。だから、僕と結婚する前の君に教えてやりたくなったんだ。僕と君は結婚してて、それなりに幸せに暮らしてたんだって。
そんな事言ってしまったら、君は消えちゃうって分かってるのに。でも、そんな僕でも君は良いと言ってくれた。
だから、もう1度君にプロポーズするよ。
ねぇ、またさ、僕のために朝食を作ってくれないかい?
この狭いアパートで」
「うん、いいよ、先生」
私は先生をぎゅっと抱きしめた。先生はずっと泣いてる。子供みたいに。
「ごめん。僕が弱くて。君は僕のところに戻ってきて、またお嫁さんになりたいって言ってくれたのに」
「いいよ、先生。私、先生のために消えれるのなら嬉しい」
窓の外の夕日が傾いていく。
「先生、私そろそろ行くね。私、先生とまたどこかで会っても先生のお嫁さんになりたい。その時はネタバレなんかしないでちゃんと好きだって言って。絶対よ」
「ああ、何度でも君のために言葉を繋ぐよ」
後ろの夕日がじわじわと山陰に隠れていく。
その光と一緒に私を形作っている粒が消えていった。
「さよなら、先生」


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