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北風と太陽。ピアノの先生

誰から聞いたのか忘れてしまったけど。子どもが40歳の人生半分くらい来たとき、心から幸せだと思える人生を送れるように、そんな姿を思い浮かべながら子育てがしたいと言っていた人がいた。
素敵な心構えだと思って、いつからか、わたしの子育ての軸になっている。

日々に追われて余裕がないときでも、この言葉を思い出すとちょっと冷静になれる。
目の前のことは気になるけど、深呼吸して。
焦らない、焦らない。


2歳のお誕生日から2ヵ月が過ぎた。
このごろ、娘の一挙一動に、考えさせられることが増えたように思う。
なんとなく、大きな一本道があった気がする赤ちゃんとの生活は終わり。意思あるキッズとの生活は、正解のない子育ての世界へ、一本道から枝分かれする。いよいよ、子育ても本番という感じ。

「赤ちゃんないよ」と言いながら、もうわたしは赤ちゃんではありませんという顔をする娘。
彼女の幸せな人生につながる道って、どっちだろう。探り探り毎日を過ごしている。



私の母は、厳しいお母さんだった。
生活のことから勉強や学校に関することまで。

すこし前、わが家の2歳児の食事について投稿をしたんだけど、私自身はというと、お残しは許しまへんで育てられた。
ネギが嫌いでも、母が毎朝お味噌汁に散らすネギ(小葱じゃないけっこう太いやつ)を残すことは許されなかったから、噛まずに流し込んでいたのを覚えている。

母は厳しかったんだけど、家事や子育ての手抜き、息抜きも一切しなかった。
自分の弱さを見せない分、子どもにNOを言わせないような空気があって、だからか親には従わなければならないと思っていた。
ときには納得できないこともあったけど。
納得してようがしてまいが、私がマントを脱ぐまで吹きつける北風。実際にマントが吹き飛ぶまで風は止まないような感じ。

いま29歳の私は、きっと40歳になっても幸せに過ごしているんじゃないかな。となると母の子育ては、成功だったと言えるんだろう。
でも私が母と同じように娘を育てたいかというと、それはちょっと違う気がしてる。

子どもに一切の隙を見せないというのは、たぶん私には合っていない。
完璧な姿を見せながら育てたいというより、なんというか、私自身が発展途上だから、いくつになっても成長する姿というのを見せられたらと思う。
叶えたいことも、やりたいことも、いっぱいある。
人生は長い。おとなも子ども、学びは続くんだよ。ということは伝えられるんじゃないかな。


もうひとり、お世話になったピアノの先生のこと。

子どもの頃、近所のピアノ教室に通っていて、大学生になるまで続けたから、そのピアノの先生には15年くらいお世話になった。

先生は音楽の楽しさを教えてくれた。
先生のこともピアノの練習も好きだったから、中学生くらいまではほぼ毎日練習していたと思う。
今でもピアノと音楽は好き。

でも高校生になると、部活と塾と他の習い事で忙しくなって、あまりピアノの前には座らなくなった。
そうなると、1週間に1回の教室へ行っても、先週から一歩も前に進んでいない状態を見てもらうことになる。

高校生は毎日忙しいよね。
ピアノの時間が息抜きになったらいいと先生は思ってるよ。
毎日勉強もして部活も頑張って、それって、すごいことだよ。

練習をしていないんだから、何なら先週より後退しているときもあって、褒めるところはないというときはもう、私の存在自体を肯定してくれた。

もっと練習しなさいと言われたことなんて、一度もないけど、この一週間ピアノを連する時間くらいあったのに。練習すればよかった、先生をがっかりさせてしまった。いかにあなたという存在が素晴らしいかを語る、優しい先生を前にして反省。

だからと言って、次の週も練習するときもあれば、またサボっているときもあった。
しょうこりもなく。
娘を膝にのせてピアノを弾いていると、そんな先生のことを思い出すのだ。

先生は叱ったり怒鳴ったりしてピアノに向かわせることはなかったから、その当時のわたしに速攻効いたかというと、そうではない。
だけど、毎回でないにしても心の底から練習しよう、もっと上手くなりたいと、ピアノに向かわせるような暖かさがある先生だった。
いま子育てをしてみて、先生のような姿勢を貫くというのも簡単なことではないのがよく分かる。

子どもはダブルスタンダードを見抜く。
口では優しいことを言って、心の中で別のことを考えていたら、あんなにも響いてなかったんじゃないかな。
音楽を楽しんでほしい、あなたは素晴らしい。本心で思っている人が言わないと、嘘っぽくなってしまうと思う。

2歳の娘は38年後にどんな人生を歩んでいるだろう。
イヤイヤ言ってる子にどう向き合おうかなあと、考える。

母のように鬼にはなりきれないと思う。
ピアノの先生のような、曇りと打算のない優しさも持ってないけど。

どんな姿でも、私の人生を通して何か一貫したメッセージを伝えられたら、いいなあと思っている。


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