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【下調べ】ユダヤ教

私はkindlleunlimitedの会員です。月々980円であり得ない程の本(資料)が読めるのでこれに入らない手はないのです。しばらく執筆が止まっていたけど、そろそろ始動しなければと更なる資料を求めていたら出てくる出てくる。手つかずのものが沢山ありました。
ユダヤ教・エジプト神話まずはこの二点それにヒンズー教とイスラム教。
仏教・ヒンズー教・ユダヤ教・キリスト教・イスラム教
5大宗教の3つを外してました。ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は一神教だから同じかな?旧約聖書一緒だしと考えてました。
ヒンズー教はバラモン教から派生したインド土着の神様かなと。
エジプト神話・北欧神話・ギリシャ神話・日本神話さらっとしか調べていません。

「アマテラスの暗号」「ユダヤ人はなぜ選民なのか?和解の福音」
この2冊を読んだら、私は甘いのだと実感しました。
これでは創作も行き詰るはずだと分かりました。
反省してまずはユダヤ教からです。コツコツ調べていきます。
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最初はWikipedia

ユダヤ教
唯一神ヤハウェを神とし、アブラハムの子孫であるユダヤ人に伝えられたヘブライ語聖書を先祖代々受け継ぐ集団である。『タナハ』(キリスト教の『旧約聖書』に当たる書物)が重要な聖典とされる。

概要

タナハ』、『ミクラー』と呼ばれる書を聖典とする。これはキリスト教の『旧約聖書』に当たる書物である。ただし、成立状況が異なるので、キリスト教とは書物の配列が異なる。イスラム教でも『モーセ五書』は『コーラン』に次いで重要視される。ユダヤ教では、この他にタルムードをはじめとしたラビ文献も重視する。

しかし、ユダヤ教は信仰教義そのもの以上に、その前提としての行為・行動の実践と学究を重視し、キリスト教、特にルター主義とは違う。例えば、ユダヤ教の観点からは、信仰を持っていたとしても、アミーダーアーレーヌームーサーフなどを含んだシャハリートミンハーマアリーブを行わないこと、シェマア・イスラーエールを唱えないこと、ミクラーを読まないこと、食事の前とトイレの後の手洗いと祈りを行わないこと、戸口のメズーザーに手を当てて祈りを行わないこと、カシュルートを実行しないこと、タルムード・トーラーベート・ミドラーシュイェシーバーコーレールなどミクラーラビ文献の研究を行わないこと、シャッバートを行わないこと、パーラーシャーを読まないことなどは、ユダヤ教徒としてあるべき姿とは言えない。「信じるものは救われる」などという講義をするラビはとても考えられない。そのため改宗にも時間がかかり、単なる入信とは大きく異なる。

ユダヤ教では、改宗前の宗教に関係なく、「地上の全ての民が」聖なるものに近づくことができる、救いを得ることができる、と考える。「改宗者を愛せ」という考え方は、次のようなことばにもみることができる。
寄留者(ゲール)を愛しなさい:あなた達がエジプトにおいて寄留者であったからである (ミツワー、典拠は申命記10:19)

すなわち、血縁よりも教徒としての行動が重要視されることも多い。非ユダヤ人も神の下僕となり、神との契約を守るならユダヤ教徒になることができるとされる。ユダヤ人が神の祭司であるのに対し、非ユダヤ人は労役に服するという差別性がある。

ユダヤ教を信仰する者をユダヤ人と呼ぶ一方、形式的に考えれば初期のキリスト教徒はすべてユダヤ人だった、といえる。「ユダヤ人キリスト教徒」という呼称も成立する。これは民族の定義を血縁により、つまり「ユダヤ人」を血縁的な「ユダヤ民族」(アブラハムの子孫)としてとらえた定義による用語である。

このように、内面的な信仰に頼らず行動・生活や民族を重視し、また唯一の神は遍在すると考える傾向(特にハシディズムに良く現れる概念)がある(キリスト教と共通する)ため、ユダヤ教の内部にはイスラム教的な意味での排他性は存在しない。

7つの戒めとは、タルムードの記載によれば神がノアを通じて全人類に与えたものといわれる七つの戒めのことである。7つの戒めを守ろうもユダヤ教並の神へ帰るであるとされる。

ユダヤ戒律を破らずにいれば、他の宗教はユダヤ教と習合することができるとされる。たとえばユダヤ仏教ユダヤ=ヒンドゥー教などがある。

教義・信仰

ユダヤ教徒はタルムードと呼ばれる教典に従って行動すると知られているが、これはラビ的ユダヤ教徒に限られる。タルムードは2世紀頃からユダヤ人の間で幾たびも議論の末に改良を重ねられてきた生活および思想の基礎であり、家族やユダヤ人同士でタルムードの内容について討議する事もある。

メシア思想

メシア(救世主)が来臨し,人々を救うという預言がある。

メシアはダビデ王の末裔とされ,彼は地上にメシア的王国と呼ばれる王国を樹立するとされる。(このメシアがイエスであるとするのがキリスト教である。)

教育

ユダヤ教において最も特徴のある分野は教育であり、ユダヤ教徒は教育こそが身を守る手段と考え、国を守るには兵隊を生み出すよりも子供によい教育を受けさせるべきとされている。そのため一般大衆のほとんどが文盲だった紀元前からユダヤ人の共同体では授業料を無料とする公立学校が存在していた。平均的なユダヤ教徒は非常に教育熱心で、子供をよい学校に行かせるためには借金をすることも当然と考える。家庭では特に父親の存在が重要で、先導して子供に勉強タルムードなどを教え、子供を立派なユダヤ人に育てたものは永遠の魂を得ると信じられている。また子供が13歳に達するとバル・ミツワー成人式)の儀式が行われ完全に大人と同様と扱われる。

死生観

シェオール、ハデスなどと呼ばれる死後の世界が存在するとされる。ハデスの中には「アブラハムのふところ」と呼ばれる憩いの場と、裁きの場があるとされる。

また,三つの天という概念があり,第一の天が空,第二の天が星の空間(宇宙),第三の天が神の住まいとされる。

最後の審判の時にすべての魂が復活し、律法(特に後述の安息日の規定が重要であるとされる)を守っていたものが救われる,またはアブラハムの子孫はみな救われる,などの解釈が存在する。またカバラ神学では、魂は個体の記憶の集合体であり、唯一神はすべての生命に内在し、ただ唯一神は永遠の魂(命の木)である。個体が善悪を分かち、銘々の記憶は神へ帰っている。神はただ記憶を収集し、善悪を分かたない。神では、善の記憶が再創造の素材になり、悪の記憶がなくなる。

カバラでは以下のような寓話がある:毎年贖罪の日ではすべての生命は死んで、生き返り、悪もなくなる。(あるいは、毎年角笛吹きの祭から贖罪の日までの間にすべての生命は死んで、記憶が神へ帰った。贖罪の日から光の祭りまでの間に神は再創造し、善の記憶がすべての生命へ帰った。)死亡はただ贖罪の日と同じである。

労働

労働は神の行った行為のひとつであるため、神聖な行為と考えられている。そして、安息日と呼ばれる休日を週1回は必ず行うべきであり、安息日の間は労働はしてはならず、機械に触れてもいけない。自分自身を見つめ、自分と対話したり、家族と対話したりする。人間は創造主の代わりに労働をする存在として作られたとされる。 労働により得た賃金や物質は一部を創造主に捧げなければならない。

ユダヤ教では性衝動性行為は自然なもので、必要悪と見なすことは無い。 夫婦の性行為はそれを捻じ曲げることがむしろ罪であるとされる。 また、快楽を伴わない性行為も罪であるとされる。ただし妊娠・出産を重視する教義のために、保守的な派閥の一部には、自慰行為を悪とみなす意見が存在する。
※他にも記載ありますが削除しました※

イスラエルの宗教別人口推移(1949年-2015年)
ユダヤ教徒、 ムスリム、 キリスト教徒、 ドゥルーズ派、 その他21世紀初頭において、ユダヤ教徒が多数を占めている国家はイスラエル一国のみであり、2014年においては人口の約75%がユダヤ教徒によって占められている。これはイスラエルがもともと19世紀末以降に盛んになったパレスチナにユダヤ民族の故郷を再建しようとする運動、いわゆるシオニズムの結果として生まれた国家であり、ユダヤ教徒・ユダヤ人の祖国として建設されたことに由来する。このために、1920年代以降パレスチナにはユダヤ教徒が大挙移民として流入するようになり、1948年のイスラエル独立後にこの流れはさらに加速した。イスラエル独立とそれに続く第一次中東戦争によって、イスラエルとアラブ諸国との関係が極度に悪化し、それまでアラブ諸国内においてイスラム教徒と共存していたユダヤ教徒のほとんどがイスラエルへと移民したからである。この移民の波は1948年から1951年までの間に最盛期を迎え、その後も継続した。イスラエル政府は1950年帰還法を制定し、国外のユダヤ教徒がイスラエルへと移民することを認めた。こうしたことからイスラエルにおいてユダヤ教徒は人口のみならず文化的にも経済的にも主流派となっている。しかし継続するユダヤ教徒移民の波にもかかわらず、イスラエルにおけるユダヤ教徒の割合は減少傾向にある。

イスラエルは宗教の自由を認めており、イスラム教徒などユダヤ教以外の宗教も信仰の自由は保障されているが、ユダヤ教のイスラエル国家に対する影響力は強く、政治と宗教の関係に関しては同国内で激しい論争がある。各教派の自立性も高く、超正統派に至ってはイスラエルのユダヤ人に義務として課せられている兵役が免除されているほどだったが、2014年にイスラエルのクネセトで超正統派にも兵役の義務を課す法案が可決され、2017年より超正統派にも兵役が課せられることとなった。イスラエルのユダヤ教徒は多くの教派に分立しており、厳格に戒律を守るものが約20%、ある程度戒律を守っているものが60%、ほとんど戒律を気にしないものが20%となっている。いくつかの教派は政界に進出してある程度の政治的発言力を有している。

それ以外の国家においてユダヤ教徒の割合が2%を超える国家は存在しないが、歴史的な事情からヨーロッパには古くからユダヤ人のコミュニティが存在し、現代においても各国ごとに数万人から数十万人のユダヤ教徒が存在する。新大陸の発見以降、ヨーロッパから移民の押し寄せた南北アメリカ大陸においても事情は同じで、多くの国にユダヤ教徒のコミュニティは存在する。特にユダヤ教徒の数が多いのはアメリカ合衆国で、統計によって数値が異なるもののおそらくイスラエルとほぼ同じかやや多い程度のユダヤ教徒が存在すると推定されている。

歴史

ユダヤ教の成立

ユダヤ教の起源は、青銅器時代多神教古代セム族の宗教、中でも特に「カナン人の宗教」と、ヘブライ語聖書タナハ』の初期預言書(ネビーイーム)に現れる「カナン人の神たるヤハウェの崇拝」の2つにある。紀元前6~5世紀のバビロン捕囚の間、捕囚に処された、つまり自分たちが暮らしていたユダヤの地からバビロンに追放された、ユダ王国の人たちのうち、一部はバビロンで、一神教選民思想律法(神の規則)・契約についての既存の概念を再確立し、後世のユダヤの地を支配するようになる神学を成立させた。

紀元前5世紀から紀元後70年までに、イスラエル人の宗教は、ユダヤ人のディアスポラヘレニズム的ユダヤ教だけでなく、第二神殿・ユダヤ教時代の多様な神学派に発展した。この時代にヘブライ語聖書のテキストは現存する形に改訂されており、また、恐らく、このテキストの正典化が進行していたように見える。ラビ・ユダヤ教が、古代末期(2~8世紀)中、3~6世紀の間に成立した。すなわち、ヘブライ語聖書マソラ本文(子音になった既存テキストに母音を付け加えたもの)とタルムードがこの時代に、編纂された、あるいは成立した。タルムードは、ユダヤ教律法倫理哲学慣習、及び歴史などについてのラビの討論が入った、ユダヤ教の正典として主流派ユダヤ教の中心を成す文献である。タルムード紀元後220年頃に形成されたミシュナーと、紀元後500年頃に形成されたゲマーラーとで構成されている。

ユダヤ教の組織の概略

アブラハムの宗教 とは、聖書預言者アブラハムの神を受け継ぐと称するユダヤ教キリスト教イスラム教イスラームの三宗教。初期のイスラームはこの概念によって、先行するユダヤ教・キリスト教とイスラームは立場が同じであることを強調した。「セム族の啓示宗教」、あるいは単に「啓示宗教」と称されることがある。

比較宗教学の観点ではインド宗教東アジア宗教と並ぶ三分類の一つに位置付けられる。

概要

神の言葉をまとめたものであるとされる聖典(聖書やクルアーン(コーラン)、そしてタルムード)に重きを置く。バハイ教のような三宗教から派生した宗教を含める場合もある。2006年現在、アブラハムの宗教の信者数は約34億人と推計されている(うちキリスト教約21億人、イスラム教約13億人、ユダヤ教約1500万人)

創世記』によると、アブラハムには二人の息子、イシュマエルイサクがいたという。イシュマエルはアブラハムの妻サラの奴隷ハガルが生んだ子、イサクはアブラハムの妻サラが生んだ子である。ユダヤ人はイサクの息子ヤコブの子孫であるといい、イスラム教のコーランはアラブ人をイシュマエルの子であるとする。『創世記』では、ヤコブのまたの名がイスラエルであることから、ユダヤ人は「イスラエルの民」と呼ばれる。イスラエルの民の神との契約を記した書がタナハであり、キリスト教では旧約聖書と呼ばれる。

キリスト教はアブラハムの子孫であるナザレのイエスを神の子としてメシアである大祭司であり大王と認め、イエス以後の神との契約と歴史を記した新約聖書を旧約聖書とともに正典(啓典)とする。

なおユダヤ教やキリスト教が聖典とする以外にも偽典外典が存在する。

イスラム教はイエスとモーゼらユダヤの預言者たちを神によって選び出され(召命され)神の言葉を伝える使命を帯びた者であると認め、ムハンマドを最後の預言者であるとした。イスラム教は、ムハンマドに下された啓示をまとめたコーラン(クルアーン)がもっとも忠実に神の言葉を伝える啓典であると考えることから『モーセ五書』、『詩篇』、インジール福音書)を啓典と認めはしても、これに重きを置くことはない。そのためユダヤ教団やキリスト教団と比べアブラハムから遠い。また啓典と認めるといっても、現在キリスト教徒やユダヤ教徒が使っているそのままの形のものを認めているわけではなく、本来有った正しい形のものは失われ、現存しているそれらは書き換えられたものだとしているため、歴史上の参考資料などには利用しても、それらを啓典として用いることはない。また、キリスト教とユダヤ教は少なくとも旧約聖書の部分では世界観を共有しているが、イスラームの世界観はそれらとは独立して存在している。イスラームの預言者伝承では、聖書と共通の人物の話であっても、人物の親族名称や、舞台、活躍した年代などが異なる例が多い。イスラム教による伝統的な呼び方ではユダヤ教およびキリスト教徒を「啓典の民」と呼んだ。その他、マニ教バハイ教などの宗教もアブラハムの宗教に分類される。アブラハムの宗教はいずれも一神教であり偶像崇拝を禁じている。何が唯一神で何が偶像崇拝であるかということは、それぞれの宗教によって異なる。

「アブラハムの宗教」という言葉は、『クルアーン』の中にしばしば登場する(「雌牛」130節ほか)。

別称

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を、起源の係累や類似性から一つの宗教群として標識する試みは独自に幾度も行われている。そのため、これら三宗教は、「砂漠の一神教」、「聖書宗教」、「啓典宗教」など多くの「総称」を持ち、「アブラハムの宗教」もそのひとつである。

アブラハムの宗教の一覧

タナハ(モーセ五書、預言書、諸書)時代
ヤハウェ信仰に改宗した、もと「異邦人」をゲール・ツェデク (正しい改宗改宗者)、イスラエル人、あるいはヤハウェ信徒以外でイスラエルの地に住んだ人々をゲール・トーシャーブ )(正しい異邦人、寄留者)と呼んだ。

第二神殿時代

中世初期

中世後期

現代

派生した思想・組織

ユダヤ=キリスト教徒

ユダヤ教・キリスト教に共通の信条・教義を認める人々。ユダヤ教からの視点では、キリスト教は行動・行為の実践よりも信仰を重視するものが多く、イエスをメシアとする、原罪贖罪再臨信仰などの三要素ほか、さまざまな点において、ユダヤ教との違いが指摘される(教祖をメシアとするキリスト教的にも異端とされる物を含む)。

ユダヤ=イスラム伝統

イスラムは、キリスト教と違って正しい信仰より正しい行動を重視し、割礼イスラム法司法律法カシュルートハラールなどで共通点と持つ。二つの伝統の間に位置する人々もいる。

隠れユダヤ教徒 (クリプト・ユダヤ)

弾圧などによってユダヤ教の信仰を密かに続けてきた人々。

ユダヤ仏教徒とユダヤ=ヒンドゥー教徒

7つの戒めとは、タルムードの記載によれば神がノアを通じて全人類に与えたものといわれる七つの戒めのことである。7つの戒めを守ろうもユダヤ教並の神へ帰るであるとされる。

ユダヤ戒律を破らずにいれば、ユダヤ教と他の宗教を習合することができるとされる。たとえばユダヤ仏教ユダヤ=ヒンドゥー教などがある。

祭日

服飾

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難しすぎる。範囲が広い。もう少し時間を掛けて整理しないとダメだ。

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