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乃木坂46の親という存在

自分の娘がアイドルになるというのは、どんな感覚なのだろう。

悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46」では、当時乃木坂46に所属していたメンバーの母親達の言葉によって、各メンバーの本当の姿や、母親達の心情が語られています。

その言葉は、「アイドルの母親」という極めて前例が少ない立場になってしまった当事者の悲痛とも言えるあまりに生々しいものです。

今回は、この証言や乃木坂46のメンバーの口から語られる言葉から、乃木坂46の親であるということがどういうことなのかを考察していきます。

前述の通り、「アイドルの母親」そして「乃木坂46の親」になったことがある人というのはあまりに稀有な存在であり、予想も出来ない独特な苦悩や現実があるかもしれません。独特であるが故に想像することでさえ難しいことかもしれません。

しかし、乃木坂46を構成するメンバーを支え続けているその両親達は、僕にとっては尊敬に値する方々であり、その両親達が如何に偉大な存在なのかということを少しでも世に広めるためにも、難しいということを弁えたうえで考察していきたいと思います。


それは親子の時間が失われるということ

乃木坂46のメンバーには、関東以外の地方出身者も所属しています。そして出身地に関わらず、乃木坂46の活動はメンバー全員に課せられます。歌やダンスのレッスン、握手会への参加、テレビやラジオへの出演、メンバーによっては写真や動画の撮影も乃木坂46の活動として挙げられますね。

それらの活動は地方ロケでもない限り主に東京で行われるでしょう。関東圏に実家があるメンバーであれば何とか対応出来るかもしれませんが、地方出身のメンバーはそう簡単には行きません。

メンバーの中には地方の地元に生活拠点を置いたまま乃木坂46の活動に参加していた人も過去にはいたようです。しかし、実家から東京への移動にかかる時間的・金銭的・体力的コストを考慮すれば、メンバーが一人で親元を離れて上京し、一人暮らしをする他なくなって来るのが現実でしょう。

昨今、新しく乃木坂46に加入するメンバーは、大体が高校生や中学生というパターンが多いようです。であればそのメンバーは、上京に伴って関東の学校に転校し、生活の拠点が完全に東京になります。

高校生や中学生の娘をもつ親であれば、まだまだ娘と一緒に生活する、生活できる時間が続くと無意識に思ってしまっているはずです。まさか自分の娘がアイドルになって上京するなんてことは予想も出来ないかもしれません。

しかし、娘が乃木坂46のメンバーになると、あまりにも早い独り立ちが訪れてしまいます。親としては、心の準備もないままに娘が親元を離れてしまうことになるわけです。遊び半分で娘にオーディションを勧めた結果が、まさかこんな事態になるとは思ってもみなかったという人もいるのではないでしょうか。

実際に作中で西野七瀬さんのお母様は、軽い気持ちでオーディションに応募したが、取り返しのつかないことをしてしまったと後に述べています。

また、生駒里奈さんのお母様は、学校にお弁当を持って登校していく同級生を見て涙が止まらなかったと述べています。

これらの言葉の意味は複合的なものでしょうが、「本当なら今でも娘と一緒にいられたのに」という、親子の時間が失われたことに対する悲しみは間違いなく大きな要素になっていると思います。

親にとって子供との生活とは、ある意味で夢に描いていたものであるはずです。その夢がこんなにも早く終わってしまう、まだ娘とは20年も一緒に暮らしていないのに。親にとって、子供と一緒に過ごす時間を失うことほど辛いことはないと思います。

まだまだ娘のわがままも聞きたい、親子喧嘩もしたい、一緒に買い物にも行きたい、一緒に暮らしたいと思うのが親としての自然な心情ではないでしょうか。

そして当然ながら時間というものは不可逆的なものであり、一度失われたら二度と取り戻すことは出来ません。本来なら娘の一番近くで、娘が大人になっていく過程を見守れたはずなのに、娘は芸能界の荒波に揉まれて一人で大人になってしまうのでしょう。

しかし、娘が自分の意思で乃木坂46を続けていく以上、応援せざるを得ない。自分の子供には後悔のない人生を生きてほしいと願うのもまた親心というものではないでしょうか。

このように、夢にまで見た親子の時間を犠牲にしてでも娘の夢・人生を応援し続ける乃木坂46の親御様は、僕にとっては親の鏡と言っても差し支えないような立派な方々だと思います。

ファンの声援は乃木坂46メンバーの糧となり、そしてその声援に答えて煌びやかに歌い踊るメンバーの姿は、間違いなく親御様の糧になることでしょう。これほど自分の娘が誇らしく輝いて見えるのは貴重な感動であり、親子の時間を犠牲にしたことの報いとして受け入れられると思います。

乃木坂46の親御様には、娘の意思を尊重し、陰ながら応援し続けてきたことは間違いではなかったと、親としての務めを果たしてきたことを誇りに思ってほしいと願います。


それは自分の無力さを知るということ

芸能人という人種にはファンがつくと同時にアンチもつきます。声援と批判を同時に浴びることになります。人間、そう簡単に自分を批判する声を無視できるほど器用なものではありません。批判の声は多かれ少なかれ当該者に届いていることでしょう。

アイドル、そして乃木坂46も例外ではありません。彼女達の話を聞く限り、悪口を浴びせるためにわざわざ握手会に参加している人も中にはいるようです。それが本当なら理不尽極まりないですね。

また、インターネット上のアンチコメントを目にする機会もあるはずです。

悪口を言う人にとっては何気ない行為かもしれませんが、彼女達は加害者の思惑通りに傷ついています。そして何より、彼女達の親は、もしかすると本人以上に傷つき、憤りを感じているのかもしれません。

「なぜ自分の娘を他人と比べられ、傷つけられなければならないのか」という葛藤や、「自分には娘を心ない人達から守ることすら出来ない」という無力感に苛まれることは少なくないでしょう。

娘と一緒に傷つき、その痛みを分かち合うことは出来るかもしれません。しかし娘を守れない無力感は親特有のものであり、アイドルの親という立場の人間は極めて少ないことから、その苦悩を誰かと分かち合うことは簡単には出来ないはずです。

実際に生駒里奈さんのお母様は、生駒里奈さんがセンターから外れた時、落ち込んでいる彼女を励ますために面談を提案しましたが断れたそうです。仕事に関しては親としての力が及ばないと感じ、寂しくなったと述べておられます。

親であるにも関わらず自分の娘を守れない。娘が芸能界という荒波に揉まれ、ズタズタに傷ついていく姿を見ていることしか出来ないというのは、推し量るに余りある悔しさだと思います。

そんな悔しさを抱えていれば、娘に対して乃木坂46を辞退することを提案したくなるのではないでしょうか。しかし、娘の立場や意思を考えると、そんなことは簡単には言い出せないと思います。

今や誰もが知る乃木坂46に加入するということ、それはある意味で逃げられなくなるということだと思います。

オーディションに合格し、娘は地元の知り合いに別れを告げて上京した。しかし厳しい現実を前に逃げ出したくなる。だが、テレビや雑誌で取り上げられたが故に娘は有名人になってしまった。そんな娘が乃木坂46や芸能界から退き、おめおめと地元に帰って来られるはずがない。たとえ帰ってきたとしても、周囲の視線や挫折を味わったことに一生苦悩し続けることになる。親としての提案が娘をさらに苦しめることになりかねないのです。

だからこそ、親御様はメンバー自身の意思を尊重せざるを得ないのです。どんなに引き攣った笑顔を見せたり、辛そうな表情を見せてたりしても、娘が「辞めたい」と言わない限りはどうすることも出来ないのが現実でしょう。

少なくとも娘が覚悟して決めたことであれば、親としても娘がいつでも心置きなく帰ってこられる存在として見届けることを覚悟せざるを得ないのだと思います。

20年も生きていない娘が芸能界に入って自ら給料を稼ぐ立場になると、社会人としてはとんでもないスピードで成長していくことでしょう。

親としての無力感を抱え続け、それでいて娘はどんどん変わっていってしまう。娘が、もはや親である自分よりも大人びた姿に見えてしまい、余計に親としての小ささを感じる時もあると思います。

このような苦悩を抱え続けながらも娘の意思を尊重し続けている乃木坂46メンバーの親御様は、やはり親としての鏡だと思います。だからこそ、乃木坂46メンバーの親御様こそ報われるべき存在だと思います。


それは娘を食い物されるということ

秋元康さんがプロデュースしているアイドルグループには、独特な文化があります。それは、普段のオフショットの場でもビデオカメラによる撮影が行われるというものです。

その映像が最終的には「悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46」等のドキュメンタリー映画に使われていくことになります。

メンバーの普段の姿や裏で泣いている姿というものは、ファンとしては非常に興味深く、観ていて悪い気がするものではありません。不謹慎かもしれませんが、メンバーの貴重な姿が見れてむしろ面白いものに写ってしまいます。

しかし親としてはどうでしょうか。これはあくまで想像ですが、自分の娘が傷つき泣いている姿がお金儲けに利用されているというのは、不快なものだと思います。

週刊誌でスキャンダルが報じられた時なんて、もはや計り知れない屈辱があるのではないでしょうか。記者は、売上を獲得するために娘の後をこっそりつけて写真を撮り、それを下品な言葉と共に大々的に週刊誌に取り上げるのです。その記者に対する親の怒りは、途轍もないものだと思います。

自分の娘を辱めてお金を儲けている人がいるというのは、あまりにも腹立たしいことでしょう。

いずれにせよ、大人がお金儲けをするために娘の全てを利用されるというのは、耐え難い苦しみだと思うのです。たとえ娘が了承していることであったとしても、親としては許せないことではないでしょうか。

こんなことをされたのでは、娘を守れない無力感はさらに大きくなると思います。娘を支えたくても「頑張れ」なんて軽々しく言えない。いやむしろ、「もう頑張らなくて良い」と声を掛けたいが、それも出来ない。親として何も出来ない。

ただでさえ大きな苦悩を抱えているのに、娘を他人の食い物にされる。これはとんでもない憤りを覚えるものでしょう。娘を食い物にする大人を憎まずにはいられないと思います。

そして、娘がオーディションに応募するのを絶対に阻止すればよかった、軽い気持ちでオーディションを受けさせるのではなかったと後悔せざるを得ないでしょう。

だからこそ、乃木坂46のメンバーはスキャンダルなんてものは起こしてはいけないと思います。ファンを裏切ってはいけないことは当然であり、何よりこれ以上親を苦しめるようなことがあってはならないのです。

乃木坂46メンバーの親は、十分すぎるほど苦悩し、これからも苦悩し続けていくのですから。


まとめ

いかがでしたか。乃木坂46の親がどのような立場になるのか、僕の想像による部分は大きいですが、伝わったでしょうか。

苦悩ばかりを考察して書いてきましたが、きっと喜ばしいことも多いはずです。上述の通り、自分の娘が大勢の人から声援を受けて歌い踊る姿はとても誇らしいものでしょう。娘の誕生日や成長、選抜に入ったことを何人ものファンが祝ってくれるということはとても嬉しく、親が報われる瞬間だと思います。

乃木坂46というグループそのものが好きな僕としては、メンバー然り、その親御様にも幸せになってほしいと心から思います。色々なものを犠牲にして娘を支え続けているメンバーの親御様こそ、乃木坂46にとっての偉大な存在だと思います。

以上、「乃木坂46の親であるということ」でした!!

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