世界初紹介のマヤ幻想小説集『夜の舞・解毒草』(吉田栄人訳)を刊行します
歌い続けよう、最期まで――
私は目をこすりながら、歌い続ける。歌っていれば、私の言葉は少しずつ粉々になって消えていく。でなければ、強い風が吹いて来て、私の声を吹き飛ばしてしまう。
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国書刊行会編集部の(昂)です。
このたび「新しいマヤの文学」最終巻・第3回配本(吉田栄人さん編・訳)として、夢幻的・寓意的な味わいのマヤ幻想小説集『夜の舞・解毒草』を刊行いたします。
本書には、マジックリアリズム的な味わいをもつ、ユカタン・マヤ語による幻想小説2編を収めています。
孤独で薄幸な少女フロールが、不思議な女「小夜」(シュ・アーカブ)とともに実の父を探す旅の道行きを描いた、エモーショナルで温かな、心を揺さぶる夢幻劇的ファンタジー『夜の舞』(イサアク・エサウ・カリージョ・カン)。
女たちの霊魂が語る自らの貧しく悲哀に満ちた生前の境遇を、語り手である作家ソレダーが書き綴るという、メタフィクション的枠組みで書かれた、ユーモラスで哀感漂う寓意的な物語『解毒草』(アナ・パトリシア・マルティネス・フチン)。
日本の読者の皆様にも大変ご好評をいただき話題となったラテンアメリカ×フェミニズム小説『女であるだけで』(ソル・ケー・モオ)、前代未聞のマヤ・ファンタジー『言葉の守り人』(ホルヘ・ミゲル・ココム・ペッチ)と、これまでマヤ文学の未知の怪作をご紹介してきました本シリーズの最終巻は、日本だけでなく世界でも翻訳初紹介となるマヤ幻想小説集です。
刊行は2020年8月20日(木)頃の予定です。
これより本書『夜の舞・解毒草』の収録作品とその作者について、ご紹介いたします。
1.孤独で薄幸な少女の成長譚「夜の舞」(イサアク・エサウ・カリージョ・カン)
本作「夜の舞」は、フロールという名の14歳の少女が、突然現れた長い髪の不思議な女「小夜」(シュ・アーカブ)とともに、実の父を探す旅に出る物語です。
家庭内で何かと冷遇されていたフロールは、自分がともに暮らしていた家族が実の家族でないことを知り、ある事件をきっかけに、実の父を探しに、家を飛び出します。
夜の森では不思議で妖しい住人たちと出会い、辿り着いた集落で行われる幻想的なマヤの伝統舞踊を目にし、その先行きでは、新たな人々に出会い、自らの道を開いていく……
そんな本作の冒頭は、以下のように始まります。
夜の闇が忍び込み、すでに私たちを包み込んでいる。コウモリは静寂に耳を澄まし、私が夢を見始めるのを今や遅しと待ち構えている。そして、夢の一部がヒラヒラと宙に舞い上がったところを捕まえようとする。だが、私が歌を口ずさむとコウモリは動けなくなる。ハンモックを揺らしながら歌うその歌は、私が泣きたくなる気持ちを紛らわすためのもの。だって、私の空が赤くなることはもう二度とないのだから。
「泣くのはおよし、ほら、泣かないで。歌いなさい」屋根から突き出た椰子の葉を揺らすそよ風が私に話しかける。
私は目をこすりながら、歌い続ける。歌っていれば、私の言葉は少しずつ粉々になって消えていく。でなければ、強い風が吹いて来て、私の声を吹き飛ばしてしまう。
「踊りなさい。ほら、踊るのよ。踊りなさい。ほら、踊りなさい。楽しむの。踊りなさい。ほら、踊りなさい。楽しむの」
昔私が覚えた歌はそう言う。私がまだ幼かった頃、子どもたちが代わる代わる新しい歌を口ずさんで私を寝かしつけてくれた。私が歌を覚えてしまわないよう、歌詞は次から次へと変わっていった。
「眠れ、眠れ。いい子は眠れ、眠れ」
歌詞を変えられても、私には同じだった。最初に覚えた歌はいつも私の頭の中にあった。同じ言葉が頭の中で飛び跳ね、体中を跳ねて回った。
いろんな鳥たちが一斉に囀《さえず》り出すのは、ある女がやって来るからだ。彼女は毎日この世界にやって来るのに、誰も自分の家の中に招き入れようとはしない。みんなが灯りをつけるので、彼女は外で佇んでいる。木の枝の奥の方で鳥が囀るのが聞こえたら、彼女はすぐ近くまで来ている。
この女は人間への贈り物をたくさん携えてやって来る。だが、物音をほとんど立てないので、誰も彼女に気がつかない。私たちを少しずつ覆っていく。どこからやって来るのか誰にもわからない。足音は少しも聞こえない。みんなが彼女の存在に気がつくのは、村が完全に覆われてしまってからだ。
小夜《シュ・アーカブ》は長い髪をした女。彼女がやって来ると、森の鳥たちが一斉に囀り出す。その瞬間、人間の魂は体から抜け出して、体が追いつけないような速さで辺りを駆け回る。
小夜が生まれたのは、人間におしゃべりの時間を与え、人間をハンモックへと誘い、昼間には思いも寄らないことを起こしてみせるため。
小夜が留《とど》まっている夜明けまでの間、雛を抱く鶏のように、家が人間を包み込み、力を回復させる。
本作は、優しくエモーショナルな語り口による、苦難を味わいながらもしなやかに前を向いて生きる少女の成長譚です。物語には巧みに伏線が張られ、驚きと感動の展開が待ち受けています。
また、エキゾチシズム溢れる夢幻劇的なイメージで描かれるマヤの伝統舞踊や習俗、マジックリアリズム的な出来事の数々、神話的な世界観に根差した幻想描写も、ラテンアメリカ文学ファンには魅力的に感じられる要素でしょう。
なお本作は、メキシコ先住民文学の登竜門であるネサワルコヨトル賞の受賞作でもあり、本国でも定評ある作品です。
作者のイサアク・エサウ・カリージョ・カン(Issac Esau Carrillo Can)は、1983年、メキシコ合衆国ユカタン州ペト市生まれの作家・詩人・アーティストです。
ユカタン州教育省の教材作成の仕事で、自身の書いた文章が教科書に採用されたことをきっかけに、ユカタン州の芸術院で、先住民劇作家フェリシアーノ・サンチェス・チャンのもとマヤ語による文学創作を学んだのち、『夜の舞』でネサワルコヨトル賞(2010年度)を受賞します。
また、詩の朗読イベントを行なったり、演劇のグループを主宰し、自ら演技や演奏も行なったりと、幅広い活動で知られていましたが、2017年に急逝してしまいます。
ネサワルコヨトル賞の他にも、短編小説でワルデマル・ノー・ツェク マヤ文学賞(2007年度)、ユカタン大学文学コンクール アルフレド・バレラ・バスケス賞(2008年度)などの文学賞を受賞するなど、高く評価されています。
2.寓意的なメタフィクション「解毒草」(アナ・パトリシア・マルティネス・フチン)
本作「解毒草」は、作家であるソレダーが語り手となり、9人の女たちの霊魂の声を聴き、それを書き留めるという形で、その貧しく苦難に満ちた生を、ユーモラスで悲哀に満ちた寓意的な筆致で描いた作品です。
マジックリアリズム的な幻想小説であり、枠物語的なメタフィクションでもあります。
短編連作形式の物語内の主人公として登場する9人は、薬師、霊媒師、助産師、蛇使い、売春婦など、いずれも生前に貧窮した境遇にあった女性たちです。
本作所収の一章で、生前、腕利きの心霊治療師(霊媒師)として知られていた女性を主人公とした「アルマ・サグラリオ・ピシャン・オルの声」の冒頭をご紹介します。
アルマ・サグラリオ・ピシャン・オルは子どもの頃に、霊の助けを借りて病気を治療する力を授かった。彼女はいつもショクビル・チュイ〔クロス・ステッチの刺繡〕のウィピルを着せられ、髪の毛は赤いリボンで結んだおさげにしてもらっていた。そんな格好で椅子に座って治療をしていた。患者は村の中だけでなく、近隣の村や遠くの町からもやって来た。メキシコ高地やアメリカからさえも彼女に診てもらいに来る人がいた。
それから年月が経ち、十分大人になった頃には、彼女は誰もが知る有名な霊媒師になっていた。彼女の家の前には毎朝、彼女に診てもらいにやって来た、あるいは痛みを抑える薬をもらいにやって来たたくさんの人たちの列ができた。
診療の時間が来ると、祭壇の前に座ったアルマ・サグラリオを、患者たちが半円状に取り囲むように座る。彼女は祭壇の上に置いたカトリックの聖人聖母像に向かって祈りを捧げる。すると突然、彼女は体を震わす。そして、薄目を開けて、しばらくの間息を止める。それから、彼女は普段とは違う声色で周りにいるみんなに向かって挨拶をする。
「みなさん、おはようございます。私はみなさんのお力になるためにやって参りました」
ドニャ・アルマ・サグラリオの治療を手伝う霊は五人いた。成人の男性が二人、成人の女が二人、男の子が一人だった。男性のうちの一人はマヤ語を話した。いずれもこの世での人生を全うできずに死んだ人たちだった。それゆえ、ドニャ・アルマ・サグラリオの体を借りて自らの責務を果たしているのだという。
「私は単なる媒体。私は何もしていない。病気を治しているのは霊たちさ」アルマ・サグラリオはそう言う。
大学出で輝かしい医師免許を持つ医者にも治せない病気を、彼女は治した。ユン・バラム〔森を守る精霊〕の存在を疑っていた青年のケースはまさに典型例だ。
「おじいさんは本当に森には森を守っている霊がいると思ってるの? そんなの作り話でしょ。そんなものいるわけないじゃん」
そう言っていた青年はある日森に行き、おじいさんが作っているミルパ〔トウモロコシ畑〕の真ん中でこう叫んだ。
「おーい、ユン・バラム、本当にいるんなら、僕をここから追い出してみろ」
変わったことは何も感じなかった。しばらく、さらにしばらく、待ってみた。だが何も起こらない。彼は村に戻ろうと歩き出した。村に着いたら、ユン・バラムなんかいなかったことをみんなに話してやろうと思っていた。真っ昼間で猛烈に暑かったが体は軽かった。まるで宙に浮いているかのような気がした。すると突然、ミルパ全体が眼下に広がった。森を上から見ているのだ。上から見る景色のなんと美しいことか。しかも、雲にも触れる。いろんな色の雲がある。白い雲、黒い雲。ううーん。空を飛ぶというのはなんと心地のよいことか。
数人の農民が道端で痙攣している青年を見つけたのはもう日も暮れ始めた頃のことだった。すぐに村に運ばれ、病院に搬送された。だが、医者には何の病気なのか分からず、手当ての施しようがなかった。最後の手段としてドニャ・アルマ・サグラリオのところに運ばれた。彼女が霊たちを呼び出し訊ねると、その中のマヤ語を話す霊がこう言った。青年はユン・バラムをけなしたから、罰を受けたのだ。この無礼な無信者を治してやるにはケシュ、つまり交換儀礼をやってやるしかない。また、雄鶏の血を輸血してやるのがよいとも言った。霊媒師は言われた通り、雄鶏から注射器で血を抜き取ると、それを青年の腕に突き刺した。そして、雄鶏を青年の頭の上に載せると、祈禱を行った。雄鶏は身震いしたかと思うと、下に落ちて死んだ。その代わり、青年は生気を取り戻した。話せるようになった青年は自分が何をしたかをみんなに語って聞かせた。
ドニャ・アルマ・サグラリオがやったこの治療は普段から彼女のことを快く思っていない医者たちの怒りと嫉妬を燃え上がらせるものだった。
「あのメスティサ〔ウィピルを着た女性〕はペテン師だ。鶏の血を人間に輸血するだと! ばかばかしい。そのうち誰かを殺しちまうぞ。そうならないと、ペテン師だということが分からないんだ」
「剃刀の刃で膿を取り出し、去勢用の針と糸で傷口を縫っているというじゃないか」
マヤの混沌とした呪術的な世界観と文物が多数登場し、ユーモアとペーソスを湛えたこの独特な雰囲気は、刺さる人には間違いなく刺さると思います。
なお本作は特に現地の文学賞を取った作品ではないものの、テーマとストーリーが明確であるという点から、訳者の吉田さんが敢えて評価の定まっていない本作をシリーズ収録選定しています。
上の文章をお読みになって気になった方、ぜひ、お手に取ってお確かめいただけましたら幸いです。
作者のアナ・パトリシア・マルティネス・フチン(Ana Patricia Martínez Huchim)は、1964年、メキシコ合衆国ユカタン州ティシミン市生まれの作家・マヤ文学研究者です。
ユカタン州立大学人類学部でマヤ語・マヤ文学を学び、マヤの口承文学に関する調査・研究・教育に従事。ユカタン州立東部大学(UNO)などで教鞭をとりますが、惜しくも2018年に急逝しました。
主な著書に、『山の中の記憶』(2013年刊、2005年度エネディーノ・ヒメネス先住民文学賞)、「無駄だ」(2006年度アルフレド・バレラ・バスケス賞)のほか、小説ではなく辞典ですが『ポケット版マヤ語辞書』(2005年)などの著作もあります。
文学を通じて、マヤ先住民社会の暗部、因習的な伝統に最初にメスを入れた作家としても評価されています。
3.おわりに
本書は、幻想文学、ファンタジー、ラテンアメリカ文学がお好きな方には、特に注目の一冊です。
また、編訳をされた吉田さん曰く、
この二人の作品をシリーズ「新しいマヤの文学」に加えるにあたって、一冊に纏めてしまったのは、いずれも頁数が少ないことに加えて、二作品とも女性が主人公になっており、先住民文学における女性表象を考える上で好都合だと考えたからだ。
と、このような作品の選定意図があることもあり、本シリーズ第1回配本『女であるだけで』をお読みいただいた方、フェミニズム小説に関心がある方にもおすすめです。
クラフト・エヴィング商會さんによる素敵な装幀&描き下ろし装画でお送りしてまいりました紙版はもちろん、「新しいマヤの文学」シリーズ最終回配本となる今回も、電子版の配信予定がございます。
どうぞお楽しみに!
新しいマヤの文学
夜の舞・解毒草
イサアク・エサウ・カリージョ・カン/アナ・パトリシア・マルティネス・フチン 著/吉田栄人 訳
2020年08月20日発売予定
四六変型判・ 総278頁 ISBN978-4-336-06567-4
定価2,640円 (本体価格2,400円)
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文=国書刊行会編集部(昂)