見出し画像

変わらないものはないけど、変化はさみしい

あっという間に2022年が終わり、2023年へ。
2022年はすべてが新しくて刺激的だった。
大学を卒業して、就職した。
実家を出て、一人暮らしを始めた。
そしてこの環境変化の中で強く感じたことは、人付き合いの変化。

高校時代にずっと仲良かったA。
放課後は図書館で一緒に勉強したり、互いの家で映画を見たり、他愛もないことで何時間もおしゃべりしていた。
大学生になって会う頻度は減ったけど、定期的に連絡は取りあっていた。
社会人になってお誕生日に連絡、その後久しぶりに会う約束をしていたけど、Aの体調不良で流れ、それ以降連絡していない。
また連絡すれば会えるのかもしれない。
何も考えずに連絡してみても良いのかもしれない。
でも、一度約束が流れて相手から連絡が来なかったことから、Aにとって私は今はまた会いたい人の中には入っていないのかなと思った。

大学時代にたくさんの時間を過ごしたB。
お互いに1人暮らしを初め、最初の頃は毎日連絡していた。
平日のお昼に食べたものを共有したり、会社での出来事を共有したり、会いに行ったり。
でも、徐々に連絡頻度が減っていった。
こちらの繁忙期もあり、Bも忙しかったと言っていたが、Bの忙しさはいつまで続くのだろう。
会社での出来事を話したいと思い連絡したが、数日返信はない。
前回はBからボーナスでご褒美買った連絡が来て、普通の会話をした。
何かしてしまったことは思い当たらず、Bにも何かあったのかもしれない。
私の話を聞いているどころではないのかもしれない。
でも、それならそうと相談される立場ではなかったのかなと。
あんなに様々なことを共有して話していたのに、その相談すらされない関係性だったのかなとまた悪い方向へ。
本人に直接聞いたわけではなく、考えすぎなのはわかっている。
勝手に考えて勝手に悲しくなっているだけ。でもさみしくてなった。

そして、会社のOJTの先輩。
「何でも聞いてね」いつもそう言ってくださって、些細なことも丁寧にたくさん教えてくださった。
そんな先輩の突然の退職。本人から話はなく、少し体調が悪いと数日お休みされた後、年明けにはデスクがきれいになっていた。
「これは難しいけど、後できちんと引継ぎするからね」と言われていた業務。結局、引継ぎなく行うことになった。
優しい言葉をいただいていたこその落差。
体調不良で辛かっただろうし、先輩の気持ちや立場も理解したい。
でも、理性よりも感情が優先されてしまって喪失感で涙が出てくる。
せめて本人の口から辞めることについて聞きたかった。
悲しいけれど、直接お礼を伝えたかった。
そういう儀式的なものがなくて急にいなくなってしまった。

人生のフェーズで合わなくなる人がいること、頭では理解している。
でも、友人関係は狭く深くだから、一人一人の関わり度が深くて、離れていくとその分、ダメージが大きい。
会社の人とは、仕事の関係と割り切って接していて、先輩とはプライベートのことを話すまでには至っていなかったけれど、突然のことで理解が追いつかず、きちんと"終わり"がなかったことがもやもやする。

人生のフェーズや置かれている環境・状況に応じて関わる人が変わっていくことは仕方ない。
一度離れても必要だったらまた近づけるのかもしれない。
今あるものに固執せず、また新しい関係を築いていけばよい。
そうなのだけど、また失うのが怖い。
人の気持ちなんてわからないのだから考えすぎず、合うとき合わないときがあると気楽に構えたいのだけど、さみしいものはさみしい。
そして、この人と過ごしたこれまでの時間やこれまで構築してきた関係って何だったのだろうと考えてしまう。

あの時、あの時間、一緒に過ごしてくれて楽しい思い出や経験をさせてくれてありがとう。
そんな風に、変わりゆくものを達観できるようになりたい。
でも、さみしいものをさみしいと落ち込めるのも感情的で人間らしい。
一度、さみしさや悲しさにどっぷり浸って、そこから這い上がれる強さを身につけたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?