見出し画像

大阪都構想の住民投票に関する雑感

大阪都構想の住民投票に関する雑感を書きます。

2020年11月1日に投票日となった大阪市の住民投票は大阪都構想の否決という形になった。

大阪都構想は結局は大阪府全体を大都市自治体と見なせるかどうかにあると思う。橋下維新以前にも大阪都構想というのは存在し、1960年代には佐藤義詮大阪府知事が大阪都構想を提唱をしていたが、中馬馨大阪市長は大阪都構想に反発し「大阪市を市域拡張して最終的には府下全域を大阪市にする」と主張してた。大阪府全体を大都市自治体とみなすことについては橋下維新や佐藤府知事らの大阪都構想論者も中馬大阪市長も同じだったわけだ。

この大阪府を大都市自治体(大都市地方政府)とみなせるかどうかにある。確かに大阪府は大都市自治体(大都市地方政府)としては広すぎるのではないかという疑問がある。だが、中国の上海やフィリピンのダバオのように大阪府よりも面積が広い大都市地方政府は存在する。大阪府のような面積の広い大都市地方政府は存在しないという意見は通用しないことになる。

それでもなお、大阪における大都市自治体(大都市地方政府)の規模はどのくらいが望ましいかという議論はある。大阪における大都市自治体(大都市地方政府)は(大阪府の中にある)政令市・大阪市のままでいいのか、大阪都構想によって大阪府まで広げるのかという議論があってもいいと思った。橋下徹は1回目の住民投票否決後の記者会見で「大阪都構想は形を変えた市域拡張」と言っていた。おそらく、大阪府庁・大阪市役所という今の仕組みから、大阪府庁(本来なら大阪都庁というべきなのかもしれないが、法改正が必要なので便宜上)・特別区役所という仕組みに変えることを主眼に置いてたのだろう。また、大阪都構想反対論者は「基礎自治体である大阪市が廃止されて、権限や税収の少ない特別区に自治が制限される」旨のことを前面に出していた。しかし、今回の大阪都構想や特別市構想を初めとする二重行政の解決策はしょせん大阪府といった広域自治体と大阪市や特別区といった基礎自治体との綱引きにすぎず、大阪都構想によって基礎自治体・大阪市の権限が国に集権されるような話ではない。大阪都構想反対論者は基礎自治体・大阪市から広域自治体・大阪府への税収や権限等の移管という側面を意図的に軽視していると思う。大都市自治体(大都市地方政府)の規模や税収構造や権限はどのくらいが望ましいかというのを考えた上で大阪都構想に反対するのであればそれでもいいが、今回の住民投票で大阪市民がその点がどこまで考えられたかが疑問である。

なお大阪都構想反対論者は1889年からの大阪市というが、埋立を除き現在の市域になったのは1955年から。大阪市は過去3回の市域拡張を経てある意味で周辺の町村を合併という形で、また大阪市内には徴税権と区議会を持って中等教育機関を設置する法人区が存在したが第二次大戦中に大阪市に吸収されるという形で消滅するなどして、大阪市役所に取り込んでいったという経緯がある。大阪都構想のモデルである東京都区制は戦時体制のものという批判はあったが、大阪市役所も戦時中に行われた法人区の廃止という意味では戦時体制のものという指摘はあながち的外れなわけでないのだ。

また大阪都構想反対論者の意見を聞いてると、「大阪市の税収が大阪市外に行く」ことをネガティブに表現してた例があったと思う。これについては大阪市民は大阪府民でもあるんだけどねとは思う。また、大阪市外の大阪府民は大阪市民の敵であるかのようにも聞こえるんだよね。ついでに書けば、大阪都構想が行われていない現行の大阪市でも豊中市の大阪市立霊園とか、泉佐野市にある関西国際区空港や吹田市にある大阪市立病院に大阪市の金が流れているが、これは現在の大阪市でも「大阪市の税収が大阪市外に流れている」例ではなかろうかと思った。

後、大阪都構想反対論者が「大阪都構想可決されたら元には戻れない」と主張が、大阪市域を大都市自治体(大都市政府)とする仕組みなら都構想以降でも可能である。大阪都構想が成立して大阪府で大阪市内に特別区制度を設けても、特別区と設置している「現在の大阪市域」と現在の大阪市域以外の大阪府を分県(分府や分都がより正確か)をすれば、特別区が設置している大阪市と大阪市以外の大阪府が並立するという形で、大阪市を特別視する論者が言っているような特別市・大阪市が実現するといってもよい。また地方自治法をみれば、特別区の廃止(281条の4)、市の設置(7条)、政令市指定(252条の19)があり、都知事と都議会の同意が必要だが、解釈次第では現行法でも可能なのだけどね。まあ、現実問題としては、23特別区を政令市・東京市に再編するのと同じくらい政治的ハードルが高いのは事実だけれども。

個人的には大阪都構想が否決された理由の一つとして、大阪府の真ん中に現在の大阪市域を統治する政令市・大阪市役所が存在することに大阪の重心があるような安心感があったのではと思う。この安心感に対して橋下維新がこれより大阪都構想のほうがメリットがある仕組みであることを大阪市民に浸透できなかったのではないかと思う。

また、大阪府市の二重行政については、政令市制度以前に、大阪市の税収構造と特別市運動に代表されるような大阪府から独立したい大阪市のDNAが根本にあったのだと思う。政令市制度がそれを助長している面があるにしても。大阪府市の二重行政に代表される似たような府市の箱物については大阪市が先行して作り、大阪府が後から作るということが多かったのではないか? これに関しては、大阪市が作ったものを大阪府に移管するか、大阪市が作ったものに大阪府が金を出すという手法がよかったのにと思う。これに関して言えば、大阪府に移管する場合は、大阪市長や大阪市議会議員などが影響力を及ぼせなくなるし、大阪府が金を出す場合は大阪府が作って所有する場合と比較して大阪府の影響力が少ないから、府市が意地を張り合う側面もあってできなかったのだと思う。維新以前は大阪府知事と大阪市長が連携が悪かったために、府市の二重行政が横行していったのだと思う。

ただ、橋下維新にも思うところはあった。それは個人的には維新は大阪都構想成立自体がゴールになってて、大阪都構想成立後のことを考えてるのかという疑問があったから。大阪都構想が成立すれば、現在の慣例では大阪府の知事選・議会議員選と特別区の区長選・議会議員選は同日には実施できないし(これを変えるには大阪の統一地方選挙を一本化するなどの国会で法律の成立が必要で、国政与党・自民などとの協議という形で事実上の協力が必要になる)、南部の特別区長選で反維新が当選する可能性もあるという点でね。

だが、橋下氏は大阪府知事と大阪市長の両方を経験した経緯から、大阪市役所という仕組みについて大阪都構想という形で根本から変えることが必要とという結論に至ったのだと思う。大阪都構想によって大阪の広域戦略が1943年以降の東京都のように大阪府(大阪都)に一本化されていれば、たとえ一部の特別区で反維新区長になったとしても、今後も続くであろう大阪の長い歴史の過程で橋下氏が創設した維新が衰退して大阪府知事(大阪都知事)が反維新になったとしても、過去に大阪を悩ませた二重行政は二度と起こさない(前述のように法的には可能であっても現実問題として政治的ハードルが極めて高い)ために大阪都構想の実現させようとしていたのだろう。橋下氏が自分が政治家の現役の間だけのことを考えていれば、大阪市長と大阪府知事に自分若しくは自分と距離の近い政治家を据えて、大阪府議会と大阪市議会で自分が設立した政党が議会第一党となることを前提とした上での政治をするだけでよかった。

個人的には2015年の住民投票で提唱していた大阪都構想が否決という形で大阪市民に受け入れられなかったことを理由に政界引退を表明していた橋下氏は今回の住民投票で可決していれば、民意を得たという理由で政界復帰も理屈の上では可能だったろう。だが、2回も大阪都構想が否決された以上、仕方がない。

個人的には、二重行政を廃止する方法として、大阪府知事選挙の当選者が自動的に大阪市長を兼任するとの法律を作ればいいと思う。大阪市民の意見を反映すべきというのなら、大阪府知事は大阪市長選に立候補として大阪市長と兼任でき、大阪市長も大阪府知事選挙に立候補できるようにして、大阪府知事と大阪市長を兼任できるようにすればいいと思う。これなら、大阪都構想反対論者の常套句「大阪市を無くすな」は通用しないし、前述した「大阪府の真ん中に現在の大阪市域を統治する政令市・大阪市役所が存在することに大阪の重心があるような安心感」は維持できる。問題は「大阪都構想における特別区のような存在がないこと」「大阪府知事と大阪市長の兼任者の政治的スケジュールが殺人的になるということ」かな。なお、市制施行した1889年から1898年まで大阪府知事と大阪市長は兼任だった過去がある。まあ、大阪都構想反対論者はこういうことにも反対しそうなんだよねえ。

二重行政を廃止する方法の対案であろう「特別市」「スーパー指定都市」は国会での法整備が必要なだけじゃなく、大阪府知事や大阪市外の有権者や府議会議員を含めた同意が必要なこと、および1954年以降は警察機構は都道府県単位が前提になっている中での「大阪市」と「大阪市外の大阪府」に警察管区分断に事実上なることになり、政治的実現について大阪都構想以上の難題とされるだろうね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?