なんでブラック校則があるんだろう
こんにちは、元国語教員、現ライターの国語の庭です。
今回は、「校則」のお話。
2022年、「生徒指導提要」が改訂されました。
「生徒指導提要」とは、簡単に言うと生徒指導に関する教員向けのガイドブックみたいなものです。
文部科学省が作成していて、教員採用試験の出題範囲になっていることも多いです。
初めて刊行されたのは2010年。
そこからずっと同じ内容だったのですが、最新の教育問題に対応するため、12年ぶりに改訂されることになったのだとか。
確かに、12年もすれば時代の風潮もだいぶ変わりますよね。
その際たるものが「校則」ではないでしょうか?
ニュースやネット記事で「ブラック校則だ」と取り上げられることも増えましたよね。
私も、学生時代を含めて「なんでこの校則があるんだろう?」と思うところがいろいろありました。
今回は「校則」について書いていきたいと思います。
ブラック校則ってどんなもの?
ここでは、「ブラック」と言われる校則にどんなものがあるのか、思いつくものを挙げてみたいと思います。
①髪型
他にも、女子の場合は髪が肩についたら結ぶとか、男子だったら耳が髪で隠れないように短く切る、とか。
私がネットで見た「ブラック校則」の情報は、ポニーテールについてでした。
禁止とされている理由がなかなか衝撃で印象に残っています。
確か、「うなじが欲情をあおるから」。
…え、あおります?
そんな理由で禁止なの?
他に理由、あるんじゃない?
②眉毛
③スカートの丈
④下着の色
下着の色は、白を指定している学校が多いかと思います。
(でも白、透けるんですよね…)
⑤アイテムの柄
(無地を探すのもなかなか大変…。)
⑥化粧
⑦携帯電話の持ち込み
携帯については、最近は減っていますかね?
校内で電源を切ればOKとかになってきているんですかね?
なんでそんな校則ができたの?
そもそも、なぜこういった校則があるのでしょうか?
「生徒指導提要」には、次のような記述があります。
校則というと、子どもを「制限する」とか「縛る」っていうイメージがありありますが、そうではないんですよね。
子どもが健全な学校生活を送るため。
よりよく成長するため。
そのためにあるのが、校則なんです。
「生徒指導提要」には、他にもこんな記述がありました。
どうして校則があるのか。
子どもたちの学校生活をよりよいものにするためです。
校則って嫌なもの、って認識されがちですけど、本来悪意があるものじゃないんですよね。
だから、1つ1つの校則がどんな理由でできて、それがあることでどう学校生活がよくなるのかを示しておけば、納得して受け入れられるはずなんです。
でも、理由がわからない校則って結構ある。
意味のない校則はなくしていけばいいと思いますし、理由があるならきちんと説明すべき、だと個人的には思います。
「ブラック校則」にも、もともとはちゃんと、それができた理由があるんじゃないかな、と思うんですよね。
ここからは、校則ができた「理由」について考えてみたいと思います。
①安全面への考慮
子どもが学校生活を送る上で、重要なのは、安全であること。
学校に通っていて危ない目に遭う、なんてことはあってはなりませんよね。
ブラック校則として最初に挙げた「ポニーテール」がダメな理由は、本当はここにあるのではないかなと思います。
高い位置で結ぶポニーテールは、動くたびに揺れます。
その髪が周りの子に当たったり、目に入ってしまうと危険ですよね。
口に入ると衛生的にもよくないです。
だから、安全面においてポニーテールはふさわしくない、ということで校則ができたのではないでしょうか。
(ちなみに私は音楽フェスが好きなのですが、ライブ会場でポニーテール女子と遭遇すると心の中で「やめてぇ…」と思ってしまいます…ジャンプとかすると顔に当たってしまうので…)
ポニーテールと同じように、スカートの丈指定も安全面への配慮からできた校則なのかもしれません。
長すぎると、どこかに引っ掛けてしまうかも。
短すぎると、こけた時に足を守れないかも。
スカートは身を守るための衣服、と考えれば、長すぎず短すぎずの丈がふさわしいのかもしれません。
②盗難防止
たとえば、化粧がこれにあたるかなと思います。
化粧をオッケーにすると、メイク道具を学校に持ち込みますよね。
そうなると、盗難の可能性が出てきます。
プチプラであってもデパコスでも。
携帯電話もそんな感じかな、と思います。
③学校生活(勉学)に必要ない
これはちょっとこじつけ感もなくはないではないですが…。
よりよい学校生活=しっかり勉強できる環境、と考えるとそうなるかなぁ、と思います。
たとえば、上記でも挙げた携帯電話。
最近は災害対策などで持ち込み可能になっている学校も多いかと思います。
ただ、連絡手段としてだけ使います、ってわけでもないのが現実。
授業中にこっそり使っていたり、交友関係のトラブルがあったり、何かとトラブルが絶えません。
(生徒指導関連の指導に当たると、避けては通れないのが携帯電話指導。)
身を守るためのツールでもありますが、ものは使いようですよね。
学校生活に絶対に必須か?と言われると、そうでもないかなぁと思うところもあるような気がします。
携帯電話に限らず、化粧をしなくても、眉毛を整えなくても勉強はできますよね。
④学生らしさを求められる風潮
この項目は、書いておきながら理由としてどうなんだ…、と自分でも思っています。
充実した学校生活のための校則、と言っておきながら何なの、って感じですよね。
これは、世間からのニーズ、っていうんですかね。
大学生が就職面接に行くときって、だいたいリクルートスーツで行くじゃないですか。
みんな同じような服装で、同じような持ち物を持って。
そうすることで、違和感なく社会に受け入れてもらうというか。
学校生活の先には社会がありますし、在学中でも知らず知らずのうちに社会から見られているわけです。
(あまり言及すべきでないかもしれませんが、地域からの視線とか…)
学校生活だけでなくて、その先にある社会生活でもうまくやっていけるように校則を設けている、と考えるとしたら。
それなら、「学生と言えば質素で素朴な感じ」っていう世間のイメージにあてはめておく必要があるというか。
だから、奇抜な見た目(ツーブロックとか金髪とか)はダメとか、下着の色は地味なものを、とか言われるようになったのかもしれません。
そもそも、校則ができたころは「自己表現が大事」なんていう時代ではなかったんじゃないですかね。
どちらかと言うと「みんな同じがいいこと」みたいな雰囲気が世の中にあって、社会が求める学生像に校則を寄せていった、みたいな感じなのかなと思います。
⑤違いがあると、トラブルになる
最後の理由です。
違いがあると、トラブルのもとになってしまう。
だから、ある程度校則によって制限をかけることで、学校生活を送りやすくしている面もあるのかもしれないと思いました。
たとえば、交友関係のトラブル。
友達同士で「同じ柄のマフラーにしようね」と約束したのに、品切れとかで買えなくて仲間外れにされるとか。
ある日突然、仲良しグループの自分以外がおそろいのものを身につけていて、自分だけ除外されるとか。
ものによっては、買える・買えないで家庭環境の差が出てしまったりとか。
そこで、柄物はなしとか、見た目で違いがあまりわからないもの、といった決まりを作ってトラブルを防いでいるのかな、と。
ここまで、校則がある理由について書いてきました。
ただ、「④学生らしさを求められる風潮」と「⑤差があると、トラブルになる」は書きながらなんとなく、時代遅れな気がする、と感じています。
なぜ変わらないのか?
この校則時代遅れだよなぁとか、なんでこの決まりがあるんだろう、って、誰しもが一度は思ったことがあるかと思います。
でも、校則は変わらない。
なぜでしょう?
変化を恐れる学校の体質
校則を変えるためには、かなりの勇気と覚悟が必要です。
学校って、どうしても保守的で、変化に弱いです。
もし校則を変えたとして、その後上手くいかなかったとしたら、責任は取れるのか?誰が責任を取ってくれるのか?
…取れませんよね。
責任は誰でも取りたくない。
悪い言い方をしてしまうと、変えない方が楽なんですよね。
(教員の立場からすると、校則を変えて給料が増えるわけでもありませんから…。「あの先生が校則を変えたせいで…」とか界隈で言われちゃいますから…。ごめんなさい、口が悪いですね)
誰もが責任を取りたくない、だから変えない。
従来通りでやっていく。
そんな雰囲気があります。
「言っても変わらない」
学校がそんなスタンスなのもありますし、子どもたちも諦めているというか、「おかしい」と思いながらも「校則を変えよう」っていう動きはあまりないような気がします。
なぜなら、変えられたとしても、自分に直接恩恵がないことの方が多いから。
校則を変えようと思ったら、年に一度行われる「生徒総会」の議題に挙げるのが定石かと思います。
ここで賛成票を集めることができれば改変に向けて一歩前進なのですが、それができたとしてもその後学校内での検討などがありますから、実質、校則改定には1年以上はかかるかと思います。
この1年って、生徒にとってはとてつもなく貴重な長い時間です。
もし3年生が出した意見なら、せっかく改定されたとしてもそのころには卒業してしまっています。
がんばって改定にこぎつけたのに、自分たちには恩恵がない。
それなのに、後輩は許されちゃう、っていう。
そんなの、意味ないですよね。
そんな手順を踏まないと校則が変わらないのなら、最初から変えようとは思わずに、守らず破って過ごしてしまった方が手っ取り早いんです…。
学校は内側から変われない
学校が内側から変わることは本当に難しい。
先生や子どもたちが一致団結してがんばれば、って思われがちですが、本当に難しい。
それぞれが「おかしいよね」って心の中で思っていても、なかなか行動できないんです。
なるべく早く変わるには、外側からの働きかけが必要なのかな、と思います。
社会の風潮が変われば学校も変わっていく(変わらざるをえない)かもしれません。
たとえば「ブラック校則だ」と世間で話題になれば「うちの学校はどうだっけ」とか「自分の子どもの学校は」とか考えないわけにもいかないというか。
多様性が大事、っていう風潮が広まっていけば、校則も変わらざるをえなくなるというか。
外堀から埋めていく、というとちょっと聞こえは悪いような気がしますが、そういった外側の動きがないと、学校が変わるのは難しいような気がしています。
余談
ここから、余談です。
私自身、校則は守るべきものだし、守らせるもの、っていう認識でこれまで過ごしてきました。
でも、教育に関われば関わるほど、「本当にこの校則、意味ある?」「変えればいいのに」と心の中で思うことが増えました。
なぜか。
校則で禁止されていることが「多様性」として認められれば、今までコンプレックスを抱えていた子どもたちが過ごしやすくなるのではないかと思ったからです。
特に見た目の問題。
思春期のころって、誰でも気になってしまうじゃないですか。
肌荒れがひどいとか、くせ毛で梅雨時期がつらいとか。
そこを化粧や縮毛矯正で解消できたとしたら、自信が持てるようになるのでは?
学校生活のモチベーションも高くなるのでは?
本当に「充実した学校生活」のために校則があるのであれば、そこはもっと柔軟に考えてみてもいいような気がします。
もちろん、多様性に対応していくのも相当大変なことなんだろうなぁとは理解しています。
一斉に「今日から校則なくします!全部オッケーです!」とすると混乱を招くよなぁ、とも思います。
校則をどう変えていくかは、難しいところです。
うまく結論が出せません。
でも、変わらざるを得ない状況にはなってきているような気はしています。
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