皆さん、こんばんは 台風7号が近畿圏を通過し、ひどい風雨とともに大きな被害をもたらしたのではないかと心配しています。 先生の近所でも停電があり、この蒸し暑い8月の、スマホのバッテリー残量や冷蔵庫の食糧の傷み具合を心配しつつ過ごすのはさぞかし心労がたたっただろうと思われます。 皆さんのご家庭はいかがだったでしょうか? さて、8月15日といえば、一般的には終戦日として慰霊の、そして、加害国としての反省と、再び戦争の惨禍に陥ることのないように祈る日として記憶されています。 戦
※8月9日投稿分 本日は長崎に原子爆弾が投下されて78年目になります。 先生も、かつて長崎を旅行した時に、ああ、なんと、坂の多い街で、入り組んだ港湾なのだと驚いたことがあります。港町は、大阪港のような装いではなく、漁業や貿易の拠点として、生活に密着した街なのです。 * 広島は軍港 呉に旅行した時も本当にそう実感しました。 先生は何も老後に漁師になるために港町散策をしている訳ではなく、歴史上の人物が多く交流する拠点として、そこでは何があったのかを知りたくて、旅をしています
※ 8月6日の投稿 皆さん、こんばんは。 1945年はもう遠い遠い過去になってしまった気がします。 あの時に生まれた子どもはもう78歳のご老人です。 1945年生まれの人は皆さんの年頃だと1961年、東京オリンピックまであと3年という経済成長に沸いた年でした。 小・中学校では、平和教育が行われていますね。梅田のお初天神にも、淀川を渡す大橋にも銃痕は今もなお残っているのは、皆さんも確かめることができます。 今日は人類初の原子力爆弾が日本は広島で投下された日です。 何が起き
『現代文B』(明治書院)は、平出隆「はじめての失敗」、畑村洋太郎「失敗に学ぶ」(1年次の国語総合で学習済み)、姜尚中「おまえはどこに立っている」の3本を、高3第1学期中間考査の範囲とした。 テーマは「アイデンティティ」だ。高3生は進路選択の重要な一年になり、今までのんびり皆と同じように過ごしてきた時間の変容を迫られる機会となる。 中学校から高校へは似たような学習内容になるが、この先は隣の席の子とも大きく学ぶことが異なり、数年後には各々が専門分野で活躍するようになる。
前回の投稿から随分、日が経ってしまった。 束の間だが、ひと息つくことができるので、振り返りをしてみたい。 高2の第3学期は、芸術をテーマとした。 長谷川眞理子「愛づる」、岡本太郎「絵はすべての人の創るもの」、小林秀雄「美を求める心」の3本を扱い、MoMAの対話的鑑賞法をもとに、実際に絵画の分析を楽しんだ。 参考文献としては、鈴木有紀さんの『教えない授業 美術館発 正解のない問いに挑む力の育て方』、末永幸歩さんの『13歳からのアート思考』、日本文教出版の美術の教科書を
高3 第0学期を目前として 定期考査を無事に終え、成績処理がひと段落着き、子どもたちもそうだが、教員側もほっと一息の期間にある。今は短縮授業期間なので、各担当者の裁量に任されており、それぞれの目的意識に応じて、授業展開を行なっている。 私は長期休暇前の短縮授業は、主に長期休暇の宿題に充てるようにしている。そのため、宿題は他校より多めに設定しているつもりだ。子どもたちは宿題を学校にいる時間帯から行えるので、喜んで片付けようとするし、また解りにくい問題が出てもすぐに質問できる
夏目漱石『こころ』の続き 定期考査で出題した論述問題で、子どもたちの解答としてよく考えられたものをまとめてみた。問いに対してどのような推論を働かせるのか、どのような根拠をもとにそこに辿り着くのかを自問自答するというのが、この課題の目的だ。 どのような推論の仕方をすれば良いのか。そのようなテクニックを、文章を読むときに「?」を作りながら解きほぐしていく力を、「読解力」と呼ぶ。その「?」にあたるものを言語化してみると、例えば、こうだ。 「通例ならこうするはずなのに、なぜ
夏目漱石『こころ 下:先生と遺書』 教科書 明治書院より掲載している内容を読解していきます。 Kからお嬢さんへの恋心を打ち明けられた「私」は激しく動揺し、自分自身の見積りの甘さを悔いるとともに、もやもやした気持ちを抱えながら日々を過ごす。 ある日、大学の図書館で調べ物をしていたらKがやってきて、話があると告げられる。取るもの手につかず、調べ物も中断して館外に出る「私」であった。 Kは果断に富んだ性格をしており、強情と我慢を兼ね備えた人物であるのは、養家事件(医師の
11月から取り扱った定番教材、夏目漱石『こころ 下:先生と遺書』を整理しようと思う。 (それにしても今日も寒い雨の1日だった。) 長編小説『こころ』は1957年から教科書に採録されており、今の高校生の父ちゃん母ちゃんはもちろん、爺ちゃん婆ちゃんも学んできた国民的小説のひとつだと言っても良いだろう。 当初は「上:先生と私」だったようだ。私自身は、先生の「遺書」で学んだ。その当時の先生たちも、やはり一冊丸々読ませないといけないという方針で、夏季休暇の課題となっていた。鷹
まとめようと思いつつ、授業で復習ばかりしていたので、先延ばしになってしまっていた。ひと月以上前の内容なので、少し曖昧になっているところもあるが、再度、整理したいと思う。 今回は、石黒浩さんの『ロボットとは何か〜人の心を映す鏡』講談社現代新書、2009年からの抜粋文章が教材だった。 構成としては、筆者の問題提起による3つの問い、すなわち、 「ロボットは人間を支配しますか?」、「なぜそのような危険なものを私たちは受け入れてきたのか?」、「高度情報社会にあって、私たちはど
【長谷川眞理子「コンコルドの誤り」から学ぶこと その2】 ※前回、失念していたが、念のため定義を明確にしておこう。「コンコルドの誤り」とは、「過去の投資の大きさによって、将来に関する意思決定が決まると、思い込んでしまうこと」を意味する。行動経済学でいう損失回避効果(サンクコスト効果)、つまり人は得られるものよりも失うものの方が大きく感じるというものである。 まず、親子間の話し合いで重要なことは、 「コンコルドの誤り」という認知バイアスに人は陥りがちであることをまず把握する
【長谷川眞理子「コンコルドの誤り」から学ぶこと】 その1第2学期は、この評論文的エッセイから始めることにした。 高校2年生になると少しずつ、先の進路について考えるようになり、嫌が上でも、親との衝突、モラトリアムの切望、自分探しなどの課題に直面するようになる。 いつまでも子どもではいられないと解った時に、どのようにスタートを切るべきかを思案するようになるのだ。 第1学期に、「山月記」や「幸福について」の中で、《自分はいったい何をしていたら、どのような習慣を維持していること
第1学期後半は、小説と評論をそれぞれ1本ずつ取り扱った。テーマは「個人の幸福とは何なのか?」だ。 小説は、中島敦『山月記』、評論は、見田宗介「幸福について」である。前者は、中国の説話集『唐人説会』に収められた「人虎伝」をベースにしており、「尊大な羞恥心と臆病な自尊心」で知られる?主人公 李徴の物語である。 この物語では、様々な不運に見舞われ、失意のどん底に突き落とされると、自制心を抑えられない人々は、他者に対して冷酷無比な獣になり得ることを示すとともに、一方で、夢破
締め切りの長い仕事が山積し、身動きが取れなくなるうちに片付けようと奮闘していると、ますます自家撞着に陥るという悪循環の渦中にあったので、筆が進まず終いだった。 現在、夏季休暇中とは言え、部活動指導でほぼ日中を過ごしてしまうので(実際の指導時間は2時間半ほどだが、その前後で準備や書類仕事、打ち合わせ、振込などあれこれある)、結局は、不謹慎ながら部活動中に、試験問題作成や授業準備プランを練ることになってしまう。マルチタスクの方が捗ることもあるので、これはこれで楽しかったりす
ご無沙汰していましたが、あれこれ書きものは続けていて、後日、少しずつ転載しようと思っています。 クラスの子とのお別れに、こういうメッセージを贈りました。 教室でバタバタしながら伝えた言葉を改めて書き起こして、Google classroomに載せたのです。 大したことを書いているわけではないのですが、16歳の子たちの悩んでいることのひとつ、人間関係について、次年度の4月に編成される新クラスの時のストレスを少しでも緩和でこればよいなあという思いで、書きました。 少し長いで
久々の投稿になる。 長期休暇前になると、読書課題を与えるのが常だ。図書は自由に選んでよいというのではなく、授業の一環から連なるテーマで、こちらで選考している。例えば、夏前は、自己の本質をテーマにした短編小説や評論を扱っていたので、奥田英朗『我が家のヒミツ』を選書した。学校で一括購入して配布するスタイルだ。一割引きで購入できることと、学費から捻出されるので、新たな負担感も与えず、同年齢集団の共通体験として、子どもたちの対話促進にもつながる。(かつてと違い、同じTV番組、ド