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Kokugo_Note 再01


※8月9日投稿分

本日は長崎に原子爆弾が投下されて78年目になります。

先生も、かつて長崎を旅行した時に、ああ、なんと、坂の多い街で、入り組んだ港湾なのだと驚いたことがあります。港町は、大阪港のような装いではなく、漁業や貿易の拠点として、生活に密着した街なのです。
* 広島は軍港 呉に旅行した時も本当にそう実感しました。

先生は何も老後に漁師になるために港町散策をしている訳ではなく、歴史上の人物が多く交流する拠点として、そこでは何があったのかを知りたくて、旅をしています。

観光名所や特産物、美味しいご飯やお酒ももちろんのことですが、このような歴史上の悲劇の遺構も、せっかく足を運んだのだからと立ち寄ってしまうのです。そういう旅行の在り方を、「ダークツーリズム」と呼びます。
※  先生の大学院でお世話になった恩師 井出 明先生が国内では第一人者なので、彼の著書『ダークツーリズム』をお勧めします。旅行とはそもそも何なのか、その原点に立ち返ることができると思います。

ちなみに、先生は芸術が好きなので、芸術祭にもよく足を運び、歴史的な作品についても調べたりしているのですが、長崎の平和記念像が、北村西望さんが戦時中は、戦意高揚の作品を多く制作していたことも知っています。
こういうときは、もし自分が戦時中、美術家で、生計を立てるために、アートを諦めないために何ができただろうか、と考えるきっかけになります。内山 節さんではないですが、「気楽な批判者」になるのは簡単ですが、もしあなたがその立場ならどうなのかは常に考えるべき課題だからです、民主主義社会に生きる者として。

今回のお話の中心は、私たちはどう生きるのか、ということです。社会に有用たれ、必要とされる人間になれという、愚かな指標から外れて生きることの大切さについて述べています。

かつて文学は何の役に立つのか、という問題が社会で広く提起されました。国公立大学も予算を大幅に減らされてしまい、現在も少なからずそうなのですが、「役に立つかどうか」が唯一の基準となって、貧しい社会を目指そうとした潮流があったのです。大阪大学を退官された、金水 敏(きんすい さとし)先生は当時、文学部長だったのですが、卒業生に向けて感動的な祝辞を送っています。人生とは何なのかを考える上でぜひ読んでみてください。


さて、今回紹介するのは、、高橋源一郎『ぼくらの戦争なんだぜ』という本です。大学進学などほんの僅かだった時代に、市井(しせい)の人々はどういう思いでこの太平洋戦争に臨んだのか、無名の詩人の記録が紹介されています。先生も一年ほど前に読んで、とても心を打たれました。実際に、現地のことなど私たちは何も知らないままなのです。

ウクライナやロシアでも、他の紛争地域でもそうですが、自分があと数分後に殺されないためにはこころの余裕など何もありません。大切な人を爆弾などで失ったら、相手を憎まざるを得ません。罪を憎んで人を憎まずという表現もありますが、自分ならどうなのか、それはその場になってみないと判りませんが、感情をコントロールできるか判りません。

けれども、そもそも、なぜ自分はこの戦地にいるのか、なぜ空からの爆撃に怯えないといけないのか、なぜ反撃に出ないといけないのか、雲の上で何かが始まって、誰かが決断して、それに巻き込まれるように、戦争へ動員されるというときに、私たちは理性を保つことができるのだろうか、そういった逡巡(しゅんじゅん)を高橋先生は、丁寧に書き下ろしてくれています。

今日も台風6号の余波が残る蒸し暑い一日です。
スタサプをがんばっている人や、部活動をがんばっている人も多くいるかと思いますが、
体調にはくれぐれも気を付けて、冷房に当たりすぎて辛くならないように気を付けてくださいね。
* 先生は寝る前に除湿をガツンをかけて、湿気を飛ばしてから、ゆるやかな扇風機を一晩回し続けて寝ています。
 あれこれ試しましたが、一番体がだるくならないので、ご参考までに。

では、良い昼下がりを!

職員室の開け放たれた窓に向かって遠くの蝉しぐれを聞きながら。

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