Kokugo_Note 再02
皆さん、こんばんは
台風7号が近畿圏を通過し、ひどい風雨とともに大きな被害をもたらしたのではないかと心配しています。
先生の近所でも停電があり、この蒸し暑い8月の、スマホのバッテリー残量や冷蔵庫の食糧の傷み具合を心配しつつ過ごすのはさぞかし心労がたたっただろうと思われます。
皆さんのご家庭はいかがだったでしょうか?
さて、8月15日といえば、一般的には終戦日として慰霊の、そして、加害国としての反省と、再び戦争の惨禍に陥ることのないように祈る日として記憶されています。
戦争というのは、局所的に凄惨な命の奪い合いとなるため、その衝撃が大きすぎて、全体を見渡すことが難しくなる出来事です。
皆さんは、なぜ他国へ攻め入らなくてはならなかったか、なぜ無謀な奇襲を実行したのか、なぜ南方戦線では餓死者を多く出さなくてはいけなかったのか、なぜ空襲を受け続けたのかなど、教科書で丁寧に教わることがおそらくありません。
※ もし教わるなら教科書は今の3倍ほどの厚みが必要です。実際、ドイツの近現代歴史教科書は辞書と見間違うほどの厚みですね。
史実には様々な側面があるのですが、歴史に残る多くは常に勝者国の歴史というのは疑う余地がありません。
1990年頃からか、「自虐史観」という言葉が文壇に登場し、マスメディアで取り上げられ、かつての日本も良いことをしていたのだという両論併記を求める運動が一部の歴史家から起こりました。
良いことをしていたのだから、悪いことばかり取り上げないでくれ、という主張を皆さんはどう受け止めるでしょうか?
ある日本人留学生が、アメリカの大学のゼミで、かつての日本は白人たちのアジア支配から開放するために大東亜共栄圏を構想して、戦ったのだと主張したところ、同じアジアの中国人留学生に思いっきり平手で打たれたというエピソードがあります。
人はひとりで生きているわけではなくて、その人には必ず親がいて、友だちがいて、愛する人がいて、可愛がっているペットがいて、大切にしている宝物があって、そうやってずっとずっと〈つながり〉の中にいるのです。
戦争はその〈つながり〉を少しずつ傷つけて壊して、その原因を憎むべき誰かに仕向けようとするものです。
複雑な感情の糸はこんがらがって、とてもほどくことができないくらい、絶望的で、自分ひとりになって考えたら他に打つ手はあるはずなのに、皆といたらそれを見つけることができず、その場の空気に流されていきます。
※ 皆もSNSでよく体験することです。
皆が自分のことばかり考えるようになると、この混沌から逃れる術はありません。
けれども、
相手の人も自分と同じように大切な人がいるのだろうなあと思ってみたらどうでしょう?
こういうことをしなくてはいけなくなった理由は何だろう?
本当に他に道はないのだろうか?
なぜこういう考えになったのだろう?
こういう考え方を、相対化する、と言います。自分がこう考えるから相手もきっとそうなのだと思い込まないために、有効な思考法です。
※ 海外の大学へ交換留学をするのも、もともとはそういう意味があって、今は対立する大人たちの国々であっても、その若者同士が仲良くなって議論を交わすことで次の世代で解決しようぜ!というものだったのです。私利私欲に塗(まみ)れて、英語ができれば就職に有利だとかでは決してなく!
国語の勉強の大半は、自分の考えや価値観の相対化にあると言っても過言ではありません。
あいつは変だ、間違っていると思い込むのではなく、ここに至るまでに様々な経験をしてきて、こういう行動に出たのだろうなあという洞察力を手に入れたら、次はそれをどう受け止めるか、です。
つい先日、ピクサーの映画『マイエレメント』
を視聴してきました。
火のエレメントと水のエレメントの出会いと恋を描いたものですが、相容れない2人がお互いの努力で試練を乗り越えたのだという無邪気なお話ではありませんでした。
火の女の子エンバーの「アンガーマネジメント」や、水の男の子ウェイドの「カウンセリングマインド」、さらに移民の父と娘のそれぞれの生き方の葛藤、多様な性の在り方など、かなり社会的課題に踏み込んだもので、学ぶところが多かったです。
おそらく衝突して、解り合えないままでいることも現実味があったとは思いますか、先の戦争の話と同じで、解り合える希望もあるのです。
若者に対する馬鹿げた質問に、「もし日本が戦争に巻き込まれたら、あなたはどうしますか」というのがありますが、「戦う」「反対する」「逃げる」「解らない」という恣意的(しいてき)な選択肢だけしか示さないというものがあります。
戦争をしたら損をする仕組みを国際社会で作りつつ、外交交渉で時間稼ぎをするというのが基本中の基本であって、何を若者に戦争へ向かわせようとしているのだととても腹立たしく思います。
世の中には無責任な人たちはたくさんいますが、反面、そうではない人たちもいます。
合う合わないは人の常なので、いつも伝えているように、「誰にでも親切に、気の合う人とは仲良しに、合わない人とはそれなりに」
です。
長くなりましたが、ただ戦争は怖い、嫌だという反射的反応からひとつ踏み出して、自分で考えられる人になってくださいね!
今日、追加したもの。
◎ 半藤一利『日本のいちばん長い日』は、8月15日 玉音放送が流されるまでに、それを阻止する内部争い(徹底抗戦派が少なからずいた。つまり今までの犠牲が無意味になるので続行すべきだという、サンクコスト効果に陥った思考の持ち主たちがいたのです)を詳細に描いています。Amazonプライムなどでは映画も視聴できます。
教科書には掲載されない内容なので、知っておくと良いかもしれません。「負け方を知らない日本人」というのはよく言われる言い方ですが、この本、映画からは、その考え方を知ることができると思います。
◎ サンリオ公式ブログについて、毎年この日になると、コメントが載ります。リンクを貼っておくので、チェックしてみてください。
追記
ご存知のように、8月15日をもってすべての紛争がぴたりと止んだわけではありません。ソ連軍は9月半ばまで侵攻してきましたし、南方諸島ではジャングルに身を潜ませ、ゲリラ戦を命じられた兵士は数多くいました。何を信じて良いのか解らない時は、本能に従うより他にないのかもしれません。
日本は加害国であることを忘れて、被害国の側面ばかりを訴え、歴史修正主義の台頭と共に、中国や韓国などと「歴史戦」に挑もうとしています。Good loserになれない理由のひとつに、この国は虐待を受けてきたのではないかという気がしてなりません。真摯に謝れないことや、謝罪が過失になるかもしれないという怯え、思考停止で事大主義なところ、後がなくなると好戦的になること、周囲を自己責任で追い詰めて見捨ててしまうことなど、被虐待児そのものです。人間に対する不信の種はとても大きく、残念に思うときが時々あります。
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