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★ネガティブな現実を作り出す大前提を ひっくり返す方法

★ネガティブな現実を作り出す大前提を ひっくり返す方法

さて、昨日の記事

★思考は現実化するから、ネガティブなことは考えない!?
https://note.com/kokoroya/n/n1172b2cbae64

からの続きです。


この記事では


「思考」したことが現実化しているのではなく
「ずっと考えていること(排除したいものも含め)」が現実化を「すでにしている」

というお話でした。


その続きを今日は書いていきますね。


で、その「ずっと考えていること」とは「大前提」です。


たとえば

「わたしは、こんな人間である」というもの。


わたしは、愛されない人間である
わたしは、何をやってもうまくいかない人間
わたしは、ひどいことをされる人間

わたしは、助けてもらえない人間
わたしは、ひどい人間
わたしは、迷惑な存在

これは、数限りなくあります。


僕も、ずっと持っているのが
「自分は面白くない人間」です。(うわまた恥


面白くない、というか「面白みがない」というか
人を楽しませられない、というか、

もっと言うと「つまらない人間」という大前提をずっと持ってました。


だから、どうするかというと


「面白い人間であろう」と「がんばる」わけです。
「面白い人間に“なろう”」と「がんばる」わけです。

どうやらそうやって僕はずっと生きてきた。

・・・・と気づいたのは
この仕事を始めて数年経ってからですね(笑)


だから、例えば


わたしは、愛されない人間である
わたしは、何をやってもうまくいかない人間
わたしは、ひどいことをされる人間
わたしは、助けてもらえない人間
わたしは、ひどい人間
わたしは、迷惑な存在


っていう「大前提」を持っていると


わたしは、愛されない人間である →愛されるよう頑張る、尽くす

わたしは、何をやってもうまくいかない人間 →ただひたすらガンバル

わたしは、ひどいことをされる人間 →常に周りを見張って加害者を探す

わたしは、助けてもらえない人間 →助けてくれない環境を作って絶望する

わたしは、ひどい人間 →「正しい」ことに意地のように頑張る

わたしは、迷惑な存在 →目立たないように、迷惑かけないようにがんばる


つまり、その「ネガティヴな大前提から逃れよう」とがんばるわけです。


で、どうなるかというと


ああ、やっぱり、わたしは、愛されない人間である
ああ、やっぱり、わたしは、何をやってもうまくいかない人間
ああ、やっぱり、わたしは、ひどいことをされる人間
ああ、やっぱり、わたしは、助けてもらえない人間
ああ、やっぱり、わたしは、ひどい人間
ああ、やっぱり、わたしは、迷惑な存在

なのだと、
実感する出来事が起きる(思考が現実化した)わけです。


ひとつ前の文章にも書きましたが
(★思考は現実化するから、ネガティブなことは考えない!?
https://note.com/kokoroya/n/n1172b2cbae64)



「ひどいひと」「悪」「理不尽」を排除しようと
]ムキになってがんばるひとは

「わたしは、そんなひどいひとではない」と思っているわけです。
「わたしは、正しい」と思っているわけです。

でも、それ、そこに執拗にこだわるということは
「わたしは、正しいと、“思いたい”」わけです。

思いたい、ということは
「そうではない」ということ。

「正しいと思いたい」
「わたしは正しい」と主張を繰り返すということは

「わたしは正しくない」と
心の底で思っている。

だから、ほんとは、
心の中の自分と戦っているわけです。


目の前に現れた敵(悪いやつひどいやつ)は
心の中で抑え込もうとしている「悪な自分」なわけです。

おっと、また話がそれた。



わたしは、愛されない人間である
わたしは、何をやってもうまくいかない人間
わたしは、ひどいことをされる人間
わたしは、助けてもらえない人間
わたしは、ひどい人間
わたしは、迷惑な存在

これ、あんまり見たくないですよね。。。。
当然ですが・・・

もしくは
なんとか克服したいですよね・・・・

こんな人が目の前に現れたら
いやですよね。。。。


だから
「そうではない」ようになろうと
ここまで頑張ってきたじゃないですか。

「そうではないように」ということは
「そう(ダメ)」から、目を背けて逃げようとしているわけですよね。

「あんなのになってはいけない」として
「反面」として「悪」としてなんとかやっつけようとしているわけですよね。


そのために「がんばって」来たわけですよね。

それをなんていうかというと

「逃げてきた」


といいます。


別の言い方をすれば

「本当の自分」から逃げてる、ということ。

わたしは、愛されない人間である
わたしは、何をやってもうまくいかない人間
わたしは、ひどいことをされる人間
わたしは、助けてもらえない人間
わたしは、ひどい人間
わたしは、迷惑な存在


そうならない
なりたくない
乗り越えたい
見たくない


だから
逃げて見ないふりをして
責めてやっつけて攻撃して・・・・


ずっと
そうやって生きてきた、やん。

でも、ずっと変わらなかったよね。
「そうじゃないふり」をして生きてきたけど

変わってないことは
自分がいちばんよく知ってるよね。



じゃ、どうすればいいのか。


前回の記事で書いたように


わたしは、愛されない人間である
わたしは、何をやってもうまくいかない人間
わたしは、ひどいことをされる人間
わたしは、助けてもらえない人間
わたしは、ひどい人間
わたしは、迷惑な存在


という、自分の「大前提」を変える方法を
今日は書く
わけです(ここまでが前説


ここからが本題です。



僕らのネガティヴな現実を作り出す
ネガティヴな大前提


わたしは、愛されない人間である
わたしは、何をやってもうまくいかない人間
わたしは、ひどいことをされる人間
わたしは、助けてもらえない人間
わたしは、ひどい人間
わたしは、迷惑な存在

ということは、僕らは自分のことを

どうせ、愛されない人間である
どうせ、何をやってもうまくいかない人間
どうせ、ひどいことをされる人間
どうせ、助けてもらえない人間
どうせ、ひどい人間
どうせ、迷惑な存在

と、思っている。

そしたら

やっぱり、わたしは、愛されない人間である
やっぱり、わたしは、何をやってもうまくいかない人間
やっぱり、わたしは、ひどいことをされる人間
やっぱり、わたしは、助けてもらえない人間
やっぱり、わたしは、ひどい人間
わっぱり、わたしは、迷惑な存在


という「現実」を見せられ続ける。


これを

「どうせ と やっぱり の法則」

といいます。


どうせ(思考)が やっぱり(現実)を連れてくるわけです。


どうせ が やっぱり を連れてくるなら
それを悪用してやればいいのです(笑)


それが、心屋の魔法の言葉


 どうせ、わたしは、愛される

 どうせ、何をやってもうまくいく

 どうせ、やさしくされる

 どうせ、みんなに助けてもらえる

 どうせ、すばらしい

 どうせ、喜ばれる存在

って、真逆のことを、つぶやき続けるのです。
そう、声に出して、ね。


すると


ネガティヴな大前提が
ひっくり返って


 やっぱり 愛されてた
 やっぱり うまくいった
 やっぱり やさしくされた
 やっぱり 助けてもらえた
 やっぱり 褒められた
 やっぱり 喜ばれた


という「新事実」「新現実」がやってくるわけです。



と、ここまでは、
今までの本やブログでも書いてきたことなんです。
(知ってるよ!と思った人多数)



ここからです。


さらに深いところまで潜っていきます。

僕も、そうやって
現実を変えてきました。


 どうせ、わたしは、愛される
 どうせ、何をやってもうまくいく
 どうせ、やさしくされる
 どうせ、みんなに助けてもらえる
 どうせ、すばらしい
 どうせ、喜ばれる存在


って、前提を変えてきた。

でも

愛されないこともあるし
批判されることはしょっちゅうだし
粗末に扱われることも
誤解されることも
理解されないことも
助けてもらえないことも
うまくいかないこともまだまだ山ほどある
迷惑そうにされることもある


まだまだ「どうせ」「やっぱり」って
思うことが根強く残っています。


で、それは、
じゃ、どうすればいいのかということを
今日は特別に書いていくわけです(ホント長い


アセンションすればいいのか
ステージをあげればいいのか
思考や前提を本当の意味で変えるには

自分が愛されてると心から思うには
自分が自分のことを責めずにいられるには

どうすればいいのか!!!!???



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