自己紹介

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東京生まれのアラフィフです。


33歳で結婚し、結婚と同時に伊豆半島の自然の中に引っ越し、レストランの経営を始めました。
仕事などで「マスター」と呼ばれることが多いので、noteでは自分のことを「マスター」と表現します。


以下、「略歴・考えていること」などを書きます。

・・・

<略歴>

1969年、東京都品川区生まれ。
29歳の父と21歳の母の間に長男として誕生しました。
比較的裕福な家庭で育ったと思います。

小学生時代は勉強も運動もでき、女子にモテた時代でした。
バレンタインのチョコをクラスの大半の女子からもらった記憶が今もあります。
叔父がカメラマンだったこともあり、5年生のとき「ニコンFM2」というカメラとレンズのセットを買ってもらいました。
その後、カメラはバイクから落ちて壊れてしまいましたが、今でも捨てられず持っています。

中学生時代は、勉強も運動もある程度良い成績でしたが、新宿駅を経由して学校に通っていたこともあり、「ゲーセン・麻雀」に夢中になりました。
音楽を聴くことに夢中になったのもこの時期でした。
学業の成績は徐々に下がります。

高校時代は麻雀と並行して、バイク・車に夢中になりました。
通学は主にバイクで、卒業式は車に乗って学校に行きました。
学業の成績は高3の時点でほとんど最下位になりました。

高校卒業後、大学を目指す二浪中に「女性と遊ぶこと」の楽しさに夢中になっていきます。

大学時代は、大学から歩いて5分の場所に1人暮らしをはじめ、たくさんの友達を招いて遊びました。

21歳のとき、国の指定難病「潰瘍性大腸炎」を発病し、体調が良い時と悪い時を繰り返す生活になりました。

22歳で大学を中退しましたが、これは病気が理由ではなく、勉強をする気がなくなったためで、大学の友達とは常に遊び続けていました。
生活費は「親のすね」をかじっていました。

女性と遊ぶことがとても好きだったので、30人ほどの女性と生活を共にし、4人の女性と同時に付き合ったのを筆頭に、浮気は20人ほどとしました。
下は20代後半の自撮り写真です(体調が良い時)。

1997年ごろ

29歳のとき、9年間付き合った彼女にふられたショックをきっかけに、自分の考え方を変えようと努力します。

32歳で今の妻と出会い、33歳で結婚しました。
結婚とほぼ同時に田舎暮らしを始め、妻と2人で自営業(雑貨&レストラン)を始めます。
※レストランのサイトはこちら


結婚後は比較的体調が良い状態が続きました。


37歳のときに長男が生まれ、39歳のときに長女が生まれました。


長女が生まれたころ、「ウーフジャパン(※詳しくは検索を)」という団体を知り、田舎暮らし体験の希望者を受け入れる「ホスト」として登録します。
登録してから現在まで、約370人の「田舎暮らし体験学習希望者」を受け入れました。
※体験学習希望者募集ページはこちら (ページ内の写真は2008年前後のものです)

50歳を過ぎた2021年12月現在は、妻と2人の子ども(中学生)、高齢ですが健在の両親、個性的な才能のあるスタッフたちに囲まれ、レストランの営業を続けています。
田舎暮らしもすでに20年を迎え、愛について考えることや家族の笑顔を見ることに幸せを感じています。
今後は、「note」を通して、これまでの経験を整理しながらアウトプットしていきたいと思っています。



以上です。
以下、マスターの思いなども含めもう少し詳しく書いてみますので、よかったらお付き合いください。



<マスターのこと>

若いころを振り返ると、病気になったことによる「焦り・いら立ち・諦め」などの気持ちが強かったのか、たくさんの失敗をしてきました。
人生をリセットしたいと思ったことももちろんありました。
しかし、それまでの教訓や反省を活かし、自分を変える努力を続けたことで、33歳で「自分の家庭・自分の店」を持つことができました。
もちろん結婚してからも努力の日々です。

36歳のとき、生涯忘れられない体験をします。
「妻の妊娠」と「店の経営」など、それまでに経験したことのない忙しさの疲労のためか、屋外の椅子に座って一息ついたとき「虹色に光る風景」を見たんです。
もちろん幻覚ですが、この経験はマスターにとって大きな転換点になった気がします。
後にマスターはこの体験を「光の体験」と呼び、なぜこのような幻覚を見るのか調べ、誰にでも起こりえる現象だと理解することができました。
いつかnoteに投稿しますね。
※追記 2022年1月9日に掲載しました
光の体験について ―脳の限界突破―


共同生活をした400人のおおまかな内訳は、プラベートで30人、仕事で370人です。
「プライベートで30人」というのは、若いころの半同棲生活がメイン、「仕事で370人」というのは、「ウーフジャパン」を通し、13年間で受け入れた「体験学習希望者」の女性たちがメインです。
370人のうち9割が日本人、1割が外国人でした。
女性のみを受け入れたのは、妻と娘が一緒に住んでいたためです。


他人との共同生活は、マスターにとって貴重な体験でした。

年齢も価値観も違う人同士の共同生活は、文化の違いを認めつつ、伝えたいことを工夫して伝える知恵が求められます。

「生活」を共にするとお互いに気取ることができないため、「悪い口癖・寝言・食事のマナー・シャワーやトイレの使い方」など、女性たちの「素の姿」に触れることもできました。

特に外国人との共同生活は、刺激が多いだけでなく、「国際結婚の現実」を垣間見るような体験でした。

「4人の子がいる南アフリカ出身の医師」
「ヴィトンのデザイナーをしているフランス人」
「200人の劇団員を抱える舞台監督の台湾人」

彼女たちの行動力には圧倒された記憶があります。

また、「恋愛・仕事・親子関係」などの相談をしてくれる女性も多くいました。
このとき「人の話を聞き、考え、助言し、自分の教訓として活かす」などのスキルが鍛えられました。


「店の経営・子育て・体験学習希望者の受け入れ」・・・これらを同時進行していた十数年の期間は、「お客様・子供たち・体験学習希望者」から出る要望や、状況の変化に絶え間なく対応することになり、良い意味で、頭も身体も全力疾走していたかもしれません。

店では「接客・仕入れ・仕込み・店の修繕・経営方針の模索」、子育てでは、まとまった睡眠がとれないのはもちろん、「病気・ケガ・予防接種・子供園や小学校の送迎・ママ友との関係・行事」などがあります。
体験学習希望者の受け入れでは「価値観が違う人との共同生活・事務局とのやりとり」などがあり、これらを、「初めての田舎暮らし」の中でこなしていく必要がありました。
「楽しむ努力をしなければ続かない」と思ったマスターは、「人生は自分を育てるゲーム」と考え方を切り替えました。
そう考えたことで、忙しさそのものをゲーム感覚で楽しめるようになりました。
「楽しむ努力」という言葉について考えるようになったのもこのときです。
体験したことのない忙しさと、それに対応するための考え方の切り替えが、マスターを成長させてくれた気がしています。



今になってわかってきたことですが、マスターは、同年代の男性と比べると、料理・恋愛・車やバイクの運転などの経験が多い方だと思います。

料理については、仕事の関係で家族やスタッフの食事を作り続けました。
同時に、これまで数万人のお客様に対して十万以上のメニューを出してきた経験から、包丁の扱いや、決まった食事を作るのは手際が良い方だと思います。

10代から恋愛をたくさんしてきたので、「男女関係・人間関係」について深く考える機会が多く、結果的に、占い師や心理学者、カウンセラー、ヒーラーなどにも様々な助言ができるようになりました。
たくさんの恋愛の流れで「浮気」もしてきましたが、その教訓から、結婚後は一度も浮気せず、隠し事のないスッキリした生活をしています。

バイクは、友達の後ろに乗って感動したのがきっかけで16歳から乗り始め、車は18歳から乗っていました。
独身時代は時間的にも経済的にも恵まれていたこともあり、趣味として頻繁に長距離ドライブに出かけ、結婚する33歳までに30万キロほど走ったと思います。
今はスタッフたちに車の運転を教えるため助手席に乗ることが多くなりましたが、慌てず落ち着いて教えることができ、マスターも楽しんでいます。


その他、田舎暮らしを始めてからDIYをするようになりました。
妻と一緒に小さな厨房を作ったり、現在住んでいる住居兼店舗の大まかな設計を自分でやったりしました。
夢だった「薪ストーブのある暮らし」を始めてからは、薪割りや薪の燃え方、薪ストーブの使い方についても理解が深まった気がします。


子育てと店の経営が一段落した現在は、田舎暮らしをしながら、愛や幸せについて考える時間を過ごしています。
ただ、夫婦共々、身体のいろいろな場所に少しずつガタが出てきたことや、マスターの持病が完治を望めない難病ということもあり、「引退」も視野に入ってきました。
近い将来、レストランの経営を引退した後は、noteを中心に若者たちへメッセージを残す活動ができればと思っています。


最後に、プロフィールとヘッダーの「写真」についてです。
プロフィール写真は2010年ごろに撮ったもので、写っているのは、ベンチに座っているマスターと妻の「足」です。
マスターの膝の上には1歳の娘が座っていて、妻の横には3歳の息子が座っています。
元になったデータがなくなってしまい画質が粗いのが残念ですが、マスターが40歳のころの思い出深い一枚です。

ヘッダーの写真は、マスターの店の前にある展望広場から見た海です。
妻や子供、共同生活をした女性たちと眺め続けて20年になりました。
冬の晴れた日は、沈む夕日がキレイに見えます。
自分の小ささを再確認するときにも眺める景色です。

以上、「自己紹介」でした。
下記もぜひご覧ください。


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