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スポーツ×日常

スポーツは良い

スポーツ観戦やスポーツ自体を自分たちでやって楽しむ人たちがいます。

オリンピックはなくなってしまいましたが、世界中で同じように様々なスポーツに熱狂する人がいます。

熱狂できるものがあるっていいですよね。

私はスポーツ自体はそこまで観ないし、実際に自分ですることもしないのですが、ミーハーなのでオリンピックやサッカーなどはTVが付いていれば「ほぉ」という感じでみます。

どちらかを応援する、ということはありませんが、負けそうなチームを応援したくなるという人間です。

スポーツは無関心でもいける!

と、このようにスポーツにはさほど興味がない私でも、なんとなく楽しめはします。

しかし、働くことに対してそこまで熱狂していたり、応援している人は稀です。

誰しも何かしらで働いているはずなのに、そのことに興味をもてず、かつ周りから見ても「ふーん」くらいのもので取り立てて、メディアで大々的に取り上げられることはありません。

スポーツが解決する日常の気分

その違いを考えてみたのですが、スポーツは衝突があります。

どちらかの勝利、どちらかの負け、そして、続いていくものです。

一回勝ったら勝ち、という訳ではなく、次があったりします。もちろん年齢的に次がない、という人もたくさんいますが、その想いは強いものです。

チームが全員同じ目標を持っていたり、支え合ったりしているところは強い気がします。

一方で働くということに対しては、言われたことをやることがゴールで、勝ち負けをあまり意識していません。

ですから、衝突を回避して、表面上の調和をとりつつ、熱狂することはありません。

また、「次」という概念もなく、毎日繰り返しというものも意識に上がらない原因でしょう。

当然のように、明日も同じようなことを繰り返し、勝ち負けもなく、そこに改善や努力もあまりせず、現状の武器でこなす、と言う風な意識の方が強くあります。

もし、これが原因で毎日が楽しくないのであれば、スポーツには興味がない人も、スポーツの仕組みを取り入れるといいかもしれません。

スポーツ的な要素を

自分にとっての勝ち、負けはなにか。

チームは組めるか。

対戦相手はいるか。

ルールはどうするか。

試合日はいつにするか。

練習方法は。

などなど。

そのように自分の仕事や生活のルールにスポーツという概念を掛け算のようにしていくと、もしかすると、私たちの仕事、生活スタイルがオリンピックの祭典のように皆が熱狂するイベントになる日もくるかもしれません。

YouTubeライブとかも「なんでやねん!!」みたいなのあるじゃないですか。

ただただ食べるだけの動画とか、人が勉強しているのをただただ流すだけの動画とか。

でも結構観られてます。

なんとなく毎日動画を上げ続ければ勝ちとか、一緒に食べる、または勉強しているような一体感(チーム性)があるからじゃないかな、と思います。

興味がない分野でも見方を変えると意外とアリだな、と考えてみました。

虐待に関する電話はおよそ4分に1件。来年から児童養護施設の対象の児童が在宅支援になることもあり、さらに発見することが難しくなります。教育と虐待。線引きは明確ではないでしょうが、可能な限り関わっていきます。