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私の生い立ち ざっくりその1


笑っていたかと思うと、
突然、鬼瓦みたいに
険しい顔つきになり怒鳴りつける父。
私はいつも、顔色を見ていた。

空腹で泣いている私を
放置していたネグレクトの実母、
やたら厳しく当たる2番目の母(継母)
オーバードーズでひっくり返って
垂れ流し状態になる3番目の母(継母)
覚醒剤常習で包丁を振り回す
かなりやばい4番目の母(継母)
どんなに大切なことがあっても
お酒に溺れてしまう5番目の母(継母)
そして、時々私を預かってくれた親戚の人々。
私はいつも、遠慮していた。

私が唯一、わがままを言い、
甘えられたのは祖母と伯父さんでした。

小学校5年生から、
父が再婚すると父の元へ行き、
一通りの家事を任される。
各種支払い、銀行周り、
買い物、洗濯、炊事。
今ではそれを、
ヤングケアラーって言うのかな?

父が離婚すると祖母の元へ預けられた。
祖母は私が中学2年の時に
突然、亡くなってしまい、
それからは父の元で
暮らすようになりました。
(この時もいろいろあってw)
時々、親戚の家に預けられたり。

それでも父はその頃は、
私に手をあげることはなく、
言葉での暴力だけでした。
私は、父のおかげで生きていらる、
感謝しなくちゃと思っていました。

数年ごとに、コロコロと母親が変わる。
その母親たちも、かなり特殊な人たちだった。

そんな子供時代、
大人の言葉、態度によって、
私自身がどう感じ、
どう思っていたかを
全部、心に残そうと思っていた。
心のネタ帳ができた瞬間ね。

5番目の母は、私が大人になってから
再婚した相手なので、母親というより、
父の奥さんとして接していた。
この人が、最後まで
父と一緒にいてくれたんです。
2021年8月に亡くなりました。

私のちっぽけな体験ですが、
嬉しかったこと、楽しかったこと、
子供心に傷ついたこと、
不安だったこと、悲しかったこと、
切なかったこと、胸の痛み、
恐怖、絶望、心臓の鼓動、息苦しさは、
心のネタ帳にしっかり残されています。

この体験をもとに、
子供への言葉がけの大切さや、
自分らしく生きることの大切さを、
お伝えしているんです。

そして、親御さんの思いも、
その後の体験でたくさん学べました。
さて・・この続きはまた今度。

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