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045.生きるのがとても下手だと自覚もしていますが、最近はそれがいい味出てるような気がしているところでもあります





この世にどうしても生まれてくる、運命の試練を味わうむき出しの人たち。その中でも特に私の文章と考えに生きるヒントを感じ惹きつけられる人たち。その人たちにシェアしていかなくてはなりません。

どくだみちゃんとふしばな8


はい。それはわたしです。笑
運命の試練を味わうむき出しの人かどうかはわかりませんが、むき出しなのはたしかです。生きるのがとても下手だと自覚もしていますが、最近はそれがいい味出てるような気がしているところでもあります。
しかし、ばななさんは本当に良いことを言うなあ。




本は好きだけど、これまた偏りがあります。(昨日の記事の内容とリンクするやないかーい)興味のない本は読みません。ほとんどばななさんオンリーです。(江國香織さんや山田詠美さんはたまに読みます。樹木希林さんの娘さんの内田也哉子さんの文章も好きです)

ばななさんの書くものはすべて好きです。小説もエッセイも。
小説とエッセイは言葉の使い方が全然違います。
小説の文章の言い回しとかは、ばななさんでしか表現できない言葉がよく出てきて、小さな指摘するようなところじゃなくても力がふっと込められている。
そこに力を感じ、癒やされ、唸る。
ばななさんの言葉の使い方が本当に好きです。
唸る。本当に唸る。ふかーく唸るのです。(しつこい)

ばななさんの本ってなにか透明な空気と光とが混ざっていて、ばななさんの覚悟と想いと念が宿っているみたいなのです。
触るとなにかを感じるような気がします。いい加減な雑念が一切ない。
ザワッとするかんじだけど、柔らかい光みたいな。本が生きてるみたいなのです。
ここまで雑念がないようにするにはどれだけの日々の自分の整え方をされているんだろうと思うと、容易にされていることではないということは想像がつきます。


友人にも他の作家さんの本も読みなさいとやんわり言われるも、わたしは読書歴長いわけじゃないので、まだまだばななさんのところでゆらゆら泳いでいたいのです。




***



哲学的に語る事も理論的に語ることも倫理的でもなく、事細かく書くことも得意ではなく、常に感情論で生きています。


本当はそういうのも憧れることではあるのだけど、(さめじまみおさんみたいに書いてみたいとか)
諦めているわけではなく、わたしはそこのジャンルではないということだけはわかります。

「違うことをしない」というところでいうと、説明がつくでしょうか。
体全体で違うよそれ。って言われるようなかんじ。
ああ。わたしは憧れることすら違うという体のサインが現れるんだと。
「あんたはそっちじゃない」のサイン。

「直感が大事だよ」のサイン。




直感というと、思い出すことがあります。(今日は話がコロコロ変わる笑)
むかーしむかし、付き合ってほしいと言われた人を思い浮かべていました。

不幸自慢をしているのではなく、わたしは幼い頃に両親が離婚をしていて、まあまあ波乱万丈の幼少期を過ごしていました。

ので、大人になって告白される人で同じような境遇の人を選ばないことは直感としてありました。
そういう人が悪いわけではなく、同じところでしか未来を見れない人と一緒に居ても今を越えられない(収入とかそういうことではなく精神面や自分のハードルのつけかたとか)と本能で思っていたのでしょうか。はっきり言うと、傷の舐め合いはゴメンでした。


例えばですが、
スラム街で出会って結婚した男女は、スラム街しか見てこなかったのでそれ以上のイメージが想像すらつかないとなると、2人はよほどのことがない限りそこからは抜け出せないのです。生活も住むところも精神面も。知っているところがそこだからです。
子供ができて家族が増えてもスラム街に住み続け、仕事もその日暮らししか稼げない。
その人たちが悪いのではなく、それしか見てこなかったので仕方がないのです。(ってなんのはなしっ)


わたしはそうはなりたくなかったってことです。


子育てもそう。母も、祖母も、そのまた祖母も昔の人だから働いて働いてその姿を見せれば子供は育つ。そう信じてやってきていたので、みんなさみしんぼうでした。親たちは愛はあったのだろうけど、みんな生きるのに必死で、幼い子どもには伝わらないのです。

例えばさみしんぼう同士が子育てをして、さみしんぼうじゃない子が育つと思いますか?
わたしは思いません。
自分が育てられたようなことが結局軸になってしまうのです。
負の連鎖です。仕方がない、それしか見てこなかったから。自分たちの子供もどこか満たされない気持ちで育ち大人になっていくのです。そして、またその子が子供を産み経験してきたことでしか、子育てをして行けないのです。


そこから何としてでも抜け出したい本能だったのかもしれません。
だからわたしは、直感でしか生きられないのかもしれません。



時間はかかっているけど、ちょっとづつちょっとづつ、それは成功してきているような気がしていて、最近はそれが嬉しいのです。

むき出しにしか生きれないけど、生きるの下手だけど、自分の直感を信じてやってきたことは間違いじゃなかったんだって、ちょっとずつ結果が出てきているような気がしています。




今日は本当にコロコロ話が変わっちゃったなあ。笑伝わったかしら。









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