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【連載】家族会議『事実をありのまま受け止める編』

「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。

前回の記事はこちら。

家族会議3日目#9|事実をありのまま受け止める

――家族会議をするまで、父と母の思いなど聞いたこともなかった。だけど聞いてみると、「だからだったのか」と合点がいくことが多々ある。

父は幼少期、「できることならもっと褒めてもらいたかった」と言っている。それは母も、父を見ていて感じてきたことだった。


:お父さん見てて、夏に毎年帰省するのも、お母さんに褒めてもらいたい気持ちがあったような感じ。帰省してしゃべることとかを聞いてると、やっぱり、自分が一生懸命やったってことを、お母さんに言ってる感じがしてた。


――わたしが子供のころ、夏は毎年父方の祖母宅へと遊びに行っていた。わたしは旅行気分で楽しかったものだが、母は内心「たまには違う場所へ旅行に行きたい」と思っていたようだ。

それを父に提案すると、「俺が仕事を休んでゆっくりできるのは帰省するときだけなんだ!」と怒鳴られたらしい。

父の理論では、会社から呼び出されても帰省していれば「遠くて戻れない」と断れるということだった。これにはもちろん母は納得していない。それなら場所はどこでもいいのでは?となる。


わたしが察するに、「旅行=遊び」「帰省=親への報告」みたいなことじゃないだろうか。親もとへ帰って立派にやっていることを報告するのは仕事を休む正当な理由となり、遊びだと正当性を主張できない。
父のことだから、そんな屁理屈を考えていたのではないかと思う。

でも母が言うように、母親に褒めてもらいたかったというほうが合点がいく。


わたし:まぁそうなるよね。幼少期にかまってもらえなかったら、いつか褒めてもらいたい、いつか認めてもらいたいって思うよね。

それに子供たちは全員巣立っておばあちゃんひとりでしょ。ちょっと余裕も出てきたかなと思えば「今だったら聞いてもらえるかも」とか、おばあちゃんが働かなくていい状態であれば「気持ちは受け止めてもらえるかな」とかって思うよね。

だから社会人になってから「もっとこうしてもらいたかった。お袋大変そうだったから言えなかったけど」くらい、言えてたら違ったかもしれないよね。
言えてれば、おばあちゃんがどうしてそうだったのかとか、そういうのも聞けたかもしれないし、「余裕がなくてごめんね」くらい言われたかもしれない。逆に、「うちはそういう教育だから」って一喝されるかもしれないけど。

大人って子供に対してすべてって言わないしさ、状況だったり気持ちだったり。そういうのを大人になって話せたらよかったよね。おばあちゃんだってあんなに長生きしたんだから。


――家族会議の録音を振り返って思うことだが、わたしが8割方しゃべっている。ふだんはそうでもないのだが、自分の中で温めてきた考えが溢れ出して止まらなくなる。

そうやってわたしが持論を展開しているうちに、父は眠くなってしまうのだった。


わたし:もう眠い?こういうのをさ、思い出してみてどんな気持ちになる?

:んーーーー・・・

わたし:あんまり思い出したくない?

:それはないな。

わたし:思い出してみたら、「いろいろしてほしかったのにやってくれなかったなー」みたいな気持ちとか?

:んーーー・・・もう少しこっちから言っても良かったのかなって。

わたし:うん!そういうのもあるよね。親も言われて「そっか」ってなるってこともあるもんね。

それに「もっとこうしてよ」とかっていうのも、ひとつの甘えだよね。そういう甘えが必要っていうか。だけど世代的に、甘えってイメージがよくなかったから。本当はそうじゃないんだけど。


――最近本を読んでいると、幼少期の甘えは「絶対必要なもの」と感じる。それが足りないから色んな問題が起きると。だから子供のときは、とにかく甘えるし甘えさせてあげる。でもそれには、親の意識が子供に向いている必要がある。

自分のほうを向いてくれない親に、自ら声をかけ振り向かせる。これは子供にとって勇気のいることだろう。でも、その勇気が状況を変えた可能性もあったと思う。


:言ってみてもすべてを叶えてくれるわけじゃないかもしれないけどね。

わたし:だけど気持ちだけは出せたっていうので、ちょっと違ったかもしれない。でもやっぱり、環境と状況的に、言うのってすごく勇気がいることだったんだよね。だから察してくれたらどんなに良かったかって感じだけど。小さな小さな子供がさ、なかなか

:言葉とかね。伝える言葉が未熟な状態だからね。上手く伝えられない。

わたし:そうなんだよね、ほんと。だからお父さんなりに精一杯、迷惑かけないようにって、役に立とうって方向で頑張ってきたんだよね。そのぶん、すごくさみしい思いをしたっていうかさ。

:迷惑かけてもいいのにね。子供の方が察しちゃう。子供は自分の大好きなお母さんのことだから、察しちゃうんだよね。


――「もう少し自分から言ってもよかったのかな」という思いはわたしも経験済みだ。高卒後の進路で、いろいろ察して大学への進学を諦めてしまったときのことだ。あのときわたしは、親に食い下がらなかった。物わかりのいいふりをしてさっさと就職へと舵を切った。

後に友人と話していたとき「なんでもっと言わなかったの?」と不思議そうに言われてハッとした。「あ、言えばよかったのか」と。

言わなかったから、いつまでも根に持っていたのだ。

当時のわたしには、「親にお金を使わせてはいけない」という意識があった。その意識は親に植え付けられたものではあるが…。
だから県立高校に合格すれば親の役に立っていると思い、大学進学を諦めれば家を助けているくらいの気分だった。

その代わり、わたしの心の中には「親のために我慢してやった」という思いが巣食うようになっていった。


でもこれは、単なる逆恨みだった。自分の主張をすることもなく物わかりのいいふりをした自分にも非があったのだ。

ただ、当時のわたしは親への諦め感があった。話したところで納得するような話をしてくれないだろうという諦め感も、食い下がらなかった理由だ。


わたし:友達のお母さんは、「お金ない、どうしよう」みたいなことを、子供に正直に言ったわけだけど、うちからそういう言葉って出てこないんだよね。

:もっと違うこと言ってたよね。

わたし:そう。もっと違うことを言ってくる。まともそうなことを言って、行かない方向に仕向けるみたいなのがうちなの。だから余計にわだかまりが残る。

だからまず、その現状を言ってほしかった。知ったうえでならわたしだって、気持ちが違ったと思う。お金ないものはしょうがないって思えるし。無いものを無理強いはできないし。

それに、お金が無いなりに出来ることがもっとあったよねって。今は奨学金が問題にはなってるけど、たとえばそういう方法だったり。そういうのを実際に検討してみることもできたなって。

:まったくやってない

わたし:うん、そういうことやってないから、ただ行かないのと、そういうのを検討したうえで行かないのは、全然違うよねって思う。

うちの場合は、そういうのが足りなかった。だからなんか、くしゃくしゃってなるっていうか、だからこそ言わない。言ったところで納得いくような話ができる感じがしなかったんだよね。

:そこがね、いちばんやっぱり、悔やむとこだな。

わたし:だけど後悔するくらいでいいよって。わたし全然気にしてない。ただ分かっておいてほしいとは思う。

:そうだよね。

わたし:そう。だから、そういう意味ではこれから先やっていくことの方が大事だよねって思うわけ。これからの態度とかが変わっていくことで、「変わること=分かってくれた」になる。態度で変わっていくことで実感できるんだよね。

:わかってないうちは態度だって変わらないもんね。言う言葉だって変わってこないしね。

わたし:だからお父さんも、もうちょっとわがままっていうか、言ってみたら違ったかもしれないしね。変に察しちゃって、我慢しちゃうみたいな。

わたしは物わかり良い振りすることで、親に貢献するみたいな気持ちだったかな。

でも多少の貢献にはなったかもしれないけど、それと引き換えにわだかまりを残してる。いつか親がわかってくれればいいけど、なかなかそうもならない。だったらその時に言ったほうがよかったよねって。

でももうそこには戻れない。だから、今こうして話して当時の自分を満たすしかないんだよね。

:あらためて、これやっていいね~


――「親のために我慢してやった」と言うわたし。「誰のおかげで生活できていると思ってるんだ」と言う父。思考回路は同じだ。被害者意識である。

この押しつけがましい被害者意識から脱した経験があるからこそ、未だ被害者意識である父にも、気づいて欲しいという気持ちが強い。


― 今日はここまで ―


気持ちは言わなければ伝わらない。だけど嘘やごまかしは伝わってしまう。だから家族には心を通わせた話し合いが必要なのだ。

過去のことも、現在のことも。大事なのは、事実をありのままに受け止めることだと思う。自分の非も相手の非もまるごと受け止める。状況も環境も、自分の気持ちも相手の気持ちもまるごと。

どんな出来事も、さまざまな状況や感情が絡み合っている。ひとつの側面からしか見ていなければ、事実は変わってしまう。事実ではないものを事実だと思い込んでしまうのだ。

わたしは出来る限り、事実を事実のままに受け止めたいから聞くありのままを受け止めてほしいから心をさらけ出している

<次回に続く>


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