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家族と向き合うことの意味

『天声人語』の書き写しが良いと聞いたけど、わが家は読売新聞だから『編集手帳』でいいか、と写経し始めて今日で50日経つ。

取り上げられる話題はほとんど時事ネタで、「どの話題をネタにこのコラムが書かれているのかな」と気になって、今まで新聞は全然読まなかったのに他の記事にも目を通すようになった。

一面は必ず目を通すようにして、それ以外はパラパラめくりながら気になった記事を読む。だけど中ほどにある『人生案内』という人生相談のコラムだけは、必ずチェックしている。

ここで相談される内容は、9割(感覚的にだけど)家族とのこと。夫との関係、妻との関係、親との関係、親族との関係など、みんな家族に悩んでいるんだな~、としみじみ、でも「うちだけじゃないんだな」とどこかホッとしたりもする。


家族に問題があるとしたなら、それは家の基礎が不安定な状態と同じだと思う。震度3程度の地震でもぐらぐら揺れるようでは、いつ崩壊するかと安心して休むこともできない。

安心して休めなければ、外で元気に働くこともできない。

だけど、どちらかと言えば外で働くこと、外で勉強することが重要視され、家族の問題は後回しにされがちだ。

「家は建っているし大丈夫だろう。」と、問題の本質を見誤れば、いつかは震度3程度でも崩れてしまう。

そのとき思うことは、「なんでこの程度で?」ということだろう。


わが家の場合、「家は建っているし大丈夫だろう」と思っているのは父である。父がそうである以上、基礎固めをすることはできない。と、長年家族会議などをやってきて思う。

それでも、亀裂を埋めようとすることには意味がある。家族と向き合う時間はそのまま、自分と向き合う時間になるからだ。

家族の亀裂を埋めようすることで、自分という個の土台が固まっていく。そうすれば、いつか家族という建屋が壊れても、自分まで一緒に壊れてしまうことはないだろう。

実はそれが、家族と向き合うことの意味ではないだろうか。




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