見出し画像

生きる意味

昨日、ブログを書きながらひとつの考えが浮かんでいた。


生きる意味ってここにあるのかも。




昨日は若竹千佐子さんの小説『おらおらでひとりいぐも』について、感じたことをブログに書いた。

読み終えてから10日ほど経っている。

感想は、すぐに書こうとしたけど書けなかった。というのも、思考の整理が追いつかなかったからだった。



若竹さんの小説を読むのは2冊目で、独特のテンポと表現、織り交ざる東北弁が特徴だ。

でもその方言が、すらすらと読み進めることを阻む。

そのせいか、読み終えたときには靄がかかっている感覚だった。

それが昨日、少しずつ視界が開けていった。ブログにアウトプットしようとすることで、思考が整理されたのだろう。



思考が整理されていくと、物語から受け取るべきもの、いや、受け取りたかったものが浮かび上がってきた。


愛どいうやつは自己放棄を促す
おまげにそれを美徳と教え込む

『おらおらでひとりいぐも』


印象に残ってメモに残しておいたこの言葉が、わたしの中で明確になったのだ。

そしてブログを書きながら、「あぁ、生きる意味ってここにあるのかも」という思いが浮かんでいた。




自己放棄。


これがすべての苦悩の発端なんだろうな。

愛のために自己放棄するのが美徳だという空気の中で、当たり前のように自己放棄をしてしまうのがわたしたち。

そもそも生まれたその時から、わたしたちは親のコントロール下にいる。選んだわけでもない親という人間に、いいようにされながら生きるしかない。

それってつまり、生まれたその瞬間から自己放棄してるんじゃない?

で、そこから自己を取り戻さなきゃならない。それが大人になるということであり、自立するということなんじゃない?


放棄したままの自己を取り戻す。


生きる意味って、これなんじゃない?



だって、そうでなければ生きている意味がない。コントロールされたまま、自己放棄したままならロボットと同じ。

生きているようで生きてない。



自分探しとか自己探求とか、言葉には聞くけどそれが今「そういうことか」と腑に落ちた。


放棄していた自己を取り戻すことなんだ。




でいじなのは愛よりも自由だ。自立だ。いいかげん愛にひざまずくのはやめねばわがね。

『おらおらでひとりいぐも』


大事なのは愛よりも自由だ。自立だ。いいかげん愛にひざまずくのはやめなければ駄目だ。


そういうことだ。


愛はなくてはならないものだけど、なにもそれにひざまずく必要はない。


この記事が参加している募集

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!