![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/148224431/rectangle_large_type_2_8b21cd4a249d67ddf8835da197812354.png?width=1200)
生きる意味
昨日、ブログを書きながらひとつの考えが浮かんでいた。
生きる意味ってここにあるのかも。
昨日は若竹千佐子さんの小説『おらおらでひとりいぐも』について、感じたことをブログに書いた。
読み終えてから10日ほど経っている。
感想は、すぐに書こうとしたけど書けなかった。というのも、思考の整理が追いつかなかったからだった。
若竹さんの小説を読むのは2冊目で、独特のテンポと表現、織り交ざる東北弁が特徴だ。
でもその方言が、すらすらと読み進めることを阻む。
そのせいか、読み終えたときには靄がかかっている感覚だった。
それが昨日、少しずつ視界が開けていった。ブログにアウトプットしようとすることで、思考が整理されたのだろう。
思考が整理されていくと、物語から受け取るべきもの、いや、受け取りたかったものが浮かび上がってきた。
愛どいうやつは自己放棄を促す
おまげにそれを美徳と教え込む
印象に残ってメモに残しておいたこの言葉が、わたしの中で明確になったのだ。
そしてブログを書きながら、「あぁ、生きる意味ってここにあるのかも」という思いが浮かんでいた。
自己放棄。
これがすべての苦悩の発端なんだろうな。
愛のために自己放棄するのが美徳だという空気の中で、当たり前のように自己放棄をしてしまうのがわたしたち。
そもそも生まれたその時から、わたしたちは親のコントロール下にいる。選んだわけでもない親という人間に、いいようにされながら生きるしかない。
それってつまり、生まれたその瞬間から自己放棄してるんじゃない?
で、そこから自己を取り戻さなきゃならない。それが大人になるということであり、自立するということなんじゃない?
放棄したままの自己を取り戻す。
生きる意味って、これなんじゃない?
だって、そうでなければ生きている意味がない。コントロールされたまま、自己放棄したままならロボットと同じ。
生きているようで生きてない。
自分探しとか自己探求とか、言葉には聞くけどそれが今「そういうことか」と腑に落ちた。
放棄していた自己を取り戻すことなんだ。
でいじなのは愛よりも自由だ。自立だ。いいかげん愛にひざまずくのはやめねばわがね。
大事なのは愛よりも自由だ。自立だ。いいかげん愛にひざまずくのはやめなければ駄目だ。
そういうことだ。
愛はなくてはならないものだけど、なにもそれにひざまずく必要はない。
この記事が参加している募集
よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!