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「ふつうの家族」になりたくて

傍から見ればふつうの家族に見えそうなわが家を、わたしはふつうじゃないと思ってきた。

なぜふつうの家族に見られそうかと言うと、夫婦に子供2人、夫が働き妻が専業主婦という、かつての『標準世帯』モデルにぴったり当てはまっていたからだ。逆に、なぜふつうじゃないと思うかと言うと、それはわたしの価値観がベースにある。

「ふつうの家族って、みんなが幸せを感じていて、困ったことがあったら助け合って、なんでもない日常を協力し合っているものでしょ。」それがわたしの『ふつうの家族』像なのだ。

これこそ、テレビドラマや映画で描かれる家族像の影響なのかもしれないけど。


ふつうにこだわる必要はないのだけれど、ふつうという考えこそ多様性を排除する考えだけれど、誰だって家族に対する自分の理想はあると思う。

じゃあ、みんなの『ふつうの家族』のイメージって?

そう考えていたとき『「ふつうの家族」にさようなら』という本に出会った。弁護士の山口真由さんの著書だ。

タイトルから想像していた内容とは違ったものの、『家族』というものの考え方が広がった。


『「ふつうの家族」にさようなら』は、弁護士の視点から家族が分析されている。日本の家族法、家族の歴史、アメリカでの家族にまつわる判例にみる多様な形を知ることができた。

さまざまに示される家族の形を知ると、もはや『ふつう』という枠組みは時代遅れだと感じる。世界は、いや、日本ももう多様性こそがスタンダードになっていく時代だ。

だけど『ふつう』という枠組みを考え方のベースにしてきたわたしたちは、今度は『多様性というふつう』に縛られるのではないか、と山口さんは指摘している。

つまり『ふつう』と言うのはカタチではなく人々の価値観であって、その価値観にあった発言や態度を示さなければ生きづらいということだ。

ここで山口真由さんの言葉を引く。

身体の芯から込み上げてくるこの暖かさ。そうか、人と人が触れ合う瞬間、家族はかくも暖かく瞬く。

「ふつうの家族」にさようなら

家族にとって大事なのは形でも価値観でもなくて、『感情』。わたしはそう受け取った。

それは愛情であったり、安心感であったり、信頼感であったり、喜びであったり。そういう感情が家族を家族として結び付けている。形でも、誰かに認められることでもない。

そうだ。わたしもそれを求めている。


わが家は、形としては家族の体をなしている。

だけど感情がそれを否定する。
「これは家族ではない。ふつうの家族が欲しい」と。

だからわが家は家族会議をやっている。全員がボロボロになりながら。

本物の家族のつながりを持って、家族の間にしかない幸せを感じてみたい。バカみたいに、そこに人生をかけている。


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