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【連載】家族会議『親の入院と子供の気持ち』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
【家族構成】
父:自己愛性パーソナリティ障害。頭に血が上ると大声で威圧する。
母:自己肯定感が低い。自分の意見を言えない。
姉:うつサバイバー。心理カウンセラーをしている。
わたし:性犯罪サバイバー。家族会議を主導する。
※遠方に住む姉は家族会議には参加していない。
※家族会議の目的は、夫婦仲の改善と、うつを抱える姉の気持ちをわかってあげられるようになることである。
家族会議8日目#3|親の入院と子供の気持ち
――子供のころ、母親を手伝うためにご飯炊きをするようになった母。きっかけは、祖父が入院したことによるものだった。
わたし:
おじいちゃんが入院した寂しさとか、そういうのは感覚的には、あんまりないの?
母:
あったと思うけど。一番最初に思ったのはあれだな…。
結核って人にうつるから、家族全員検査をすることになったのね。そのとき学校を休んで行ったことが、何か腹が立ってた。笑
わたし:
学校休みたくなかったってこと?
母:
そうだね。「なんで学校休んでこんなことしなきゃいけないの?」みたいな、そんなこと思ってたね。
わたし:
そうなんだ。それっておじいちゃんに対してそう思ったって感じなの?それとも、そんな状況に?
母:
半分おじいちゃん、半分、そんな決まりに、かな。学校休みたくないのに!って感じだった。ま、検査して、誰にもうつってなくて良かったんだけどね。
わたし:
うんうん。
母:
あとはそうだね、「寂しい」はあんまりないけど、たまにおじいちゃんが入院してる病院に連れてってもらったんだけど、そのときは「会うのが恥ずかしい」って感じだったな。
わたし:
ふうん。何だろう。何かわかるような感じもするけど、何だろうね?その気持ちって。
母:
なんか、ちょっと変わっちゃってるとか思うのかな?しばらく会わないから。
わたし:
なんか距離ができちゃったような感じかな?
母:
そうだね。そんな感じで。
でもおじいちゃんの病状としては、寝てなきゃいけないとかそんなんじゃない。人にうつるから隔離はされてるけど、静養するって感じかな。
だから行くと、おじいちゃんは何だかのんびりしてるとか、ゆっくりしてるっていう感じで
わたし:
病気が大変そうに見えなかったのかな。
母:
うん、大変そうには見えない。だから心配っていう雰囲気ではなかったね。楽しそうにしてたもん。いろんな行事とかもやるんだよね。運動会やったり。そういうときに行ったのも覚えてる。
わたし:
そうなんだ!
母:
とにかく静養するのが大事だったんじゃない?結核って。すごく重度な人は別かもしんないけど。おじいちゃんの場合は早く見つかって、そんなに重症じゃなかったから。
ただ、完治するような薬が、まだその頃できてなかったのかな。だから体力回復して治る人と、治らない人がいたのかな。
わたし:
うん、うん。
母:
療養所に2年間ぐらいいたんだけど、結局なかなか良くならないのと、何か新しい薬が出てきたとかで転院して、そこで1年ぐらい居て直ったっていうか、寛解なのかな、今でいう。
わたし:
そうなんだ。おじいちゃんは結核って、どうやってわかったの?
母:
最初は風邪だと思ってたんだ。昔はおじいちゃんは自転車で(仕事に)通ってたから、雨に濡れたのが2、3日続いて、それから咳をするようになって、なかなか治らなくて病院に行ったら結核だってなった。
父:
帰ってきたの何年生頃だっけ?
母:
5年生だね。帰ってきてからも、何ヶ月かうちで寝てたね。それから仕事を始めたな。
わたし:
そうなんだ。
母:
肺は手術はしなかったんだよね。薬だけで良くなったんだけど、肺が片方、あんまり働いてない感じじゃないのかな。
わたし:
おじいちゃん亡くなったときさ、肺炎って言ってたよね?
母:
だから結核治って働くようになってからも、気をつけてはいたね。またならないように、自分の健康とか、いろんなこと気をつけてるって感じではあったな。だけど再発もせず、90何歳までね。
わたし:
そうだね、長生きできたよね。
父:
おじいちゃんからイメージするのは、無理をしないという姿
わたし:
そういうイメージあったんだね、お父さんにも。
タバコは関係ないかもしれないけど、タバコ吸ってたよね?気をつけてた割には
母:
そうそう。前吸ってて、一時やめてたんだけど途中からまた吸うようになったんだよね。やっぱ病気のためにやめて、それからしばらくは気をつけて吸ってなかったけど、いつ頃からだろう?
父:
結婚してからは吸ってないな。
わたし:
違うの。やめた記憶があるんだけど、孫(従弟)が生まれたときなの。
父:
うそ~。俺吸ってた記憶が全くないな。
わたし:
なんか、お父さんがやめるときと同じころで、お父さんが最初、タバコやめるのにパイポに切り替えたときに、おじいちゃんがお父さんに「俺はパイポとか使わないですぱっとやめたよ」みたいに言ってたのを覚えてるの。
だから孫(同居の孫)のためにやめたんだと思う。
母:
孫のためなんだね。もうタバコがね、うるさく言われてた時代だし。
わたし:
そうそう。それに、おじいちゃんとおばあちゃんが育てる環境だったわけじゃん?親はふたりとも働いてて。だからすごい面倒見てたもんね。おじいちゃんの老後の人生は、孫に捧げてたもんね。
(話は戻るけど)なんか、そんなに心配する状況ではなかったんだね。わからないというか。
母:
そうだね。おばあちゃんは違ってたかもしれない。「死んじゃうのかと思った」とか言ってたから。結核が大変な病気って、言われていたし。
わたし:
そっかぁ。
- 今日はここまで -
小学生時代の3年間も、親が病気で入院しているのは不安だったかもと思ったけど、そうではなかったらしい。苦しそうにしている姿でも見ない限り、子供にはよくわからないかもしれない。
そういえば、わたしもの父も入院していた。小学校4年生のころだったか、病院が遠かったから、電車とバスを乗り継いで母とお見舞いに行った記憶がある。
そのときの父も、ベッドに横になってはいるけどしゃべれるし、つらそうには見えなかった。どちらかと言えば、「母が不安そうだからなんとなく不安」。そんな感覚だった気がする。
数年前も、父は悪性リンパ腫で入院した。そのときも、病名の重大さと、父の様子が結びつかない感覚があった。
病気のつらさは、本人にしかわかりようがないのかもしれない。
案外、妻らの不安は「夫が亡くなったらこの先どうなるのか」という自分の不安かも。・・・いや、もちろんそれだけじゃないと思うけど。
<次回に続く>
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