2学期が始まる前に思うこと
彼が学校へ行かないことを選択したのは小5の夏休み終わりだった。小5になってからの彼の雰囲気からなにかあると感じていた。心はザワザワし、不安と心配しかなかった。1学期がおわる7月は毎日夏休み明けには行かなくなるって知っていた。
登校日は行かなかった。わたしは「登校日はかまへんけど2学期からはちゃんと行くんやで」と言った。
2学期がはじまり5日程行ってから、行かなくなった。わたしは、自分の不安をかき消すために「学校へ行け」と怒鳴り、泣き叫び、引きずって車に押し込み学校へ連れて行った。学校で、教室へ入る時、彼は振り返って「僕は行きたくないからね!」と、わたしの顔をしっかり見て言った。
あの顔は、今でも忘れない。
その後「僕の人生に学校は必要ない」と言い行かない生活が始まった。
学校に行かないのをわたしが受け止めたのは、数年前まで一緒にプロジェクトを作っていたカウンセラーさんの「彼は大丈夫だよね。だって、嫌だって言えてるんだから」って言葉が大きかった。
行かない生活がはじまったけど、勉強への不安はなかった。小学校5年の勉強は終わってたので、日本で生きていく読み書きで困ることはないと思ったから。
この時に、習い事すべて辞め、毎日iPad生活。
6年生の夏にチチとパソコンを組み立てに長野へ行った。そこからはパソコン生活。24時間、昼夜逆転してパソコンに向かっていた。昼夜逆転は、はじめは不安だった。
でも、それだけ夢中になる世界があるのは素敵だなと思うようになった。きっかけは、彼がやっているゲームの世界を知ることから始まった。わたしはゲームに全く興味がない。でも、彼が魅了されている世界を知りたかった。
彼に「どんなゲームが好き?今やってるゲームはどんな世界?」と質問した。楽しそうに話す姿が嬉しかったし見ていて楽しかった。でも、話の内容(ゲームの話)はさっぱりわからないままだった。
それでも、台湾のゲームには漢字が必要で、英語圏のゲームには英語が必要だとか、マイクラするには3D感覚が優れていると強いよねとか、私なりの解釈でゲームで彼が何を必要としているのか、そしてそれこそが学びなんだと感じるようになったので、それがゲームへの理解のきっかけになったのは間違いない。
今では、彼ゲームの話はより高度になり単語の意味すら分からず「それ日本語?何語?」と、わたしには意味不明ですが、それだけ彼の世界が広がり深まったんだなと思っている。そして何よりその生活を支えてくれたのはネットでつながった仲間なんだと強く思っている。
リアルの世界で疲れ果てていた彼を、ネットの世界が救ってくれた。
部屋にこもる時間、家にこもる時間、家からネットで世界へつながる時間、そしてリアルに繋がる時間。どれも、彼にとって必要な時間だったんだと、その都度、確信し続けていた。
無駄な時間なんて1秒もないって、このことなんだ。
5年の夏休みおわり、彼が学校へ行かないを選択したことに、感謝しかない。それは、学校へ行かない生活がはじまってからずっと思っているし、今もかわらない。
あの時、行かないを選択してくれてありがとう。
わたしの、子どもに生まれてきてくれてありがとう。
今日も、生きていてくれてありがとう。
もうすぐ2学期がはじまる。
9月1日、子どもの自殺が多くなる。そんなことあってたまるか。。。
「学校へ行かない」それは、この世の終わりのような話ではなく、自分の世界がはじまるスタートの時なんだ。
人生100年時代。
少し長めの夏休み。
生きていてほしい。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
(⋈◍>◡<◍)。✧♡
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