”普通”には価値がない
こんにちは!
「不登校」状態のお子様に
「ココロと勉強の居場所」を提供する塾、ココロミル学院です。
https://kobetsushido-futoukou.com
最近、お餅にハマり毎日食べています!
正月以外にも食べていいですよね😎笑
本日は″普通″について考えていきます。
僕が関わっている、「不登校」の子どもたちはいわゆる一般的な生活では無いのかもしれません。
今日はそもそも普通って何?普通である事にこだわるのはなぜ?
という疑問を考えてみたいと思います。
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世間では、個やムラの時代と言われていま
す。
様々な捉え方があると思いますが、
大企業など大きな集団に属し、定年まで迎えるという働き方が昔よりも少なくなっていることは事実だと思います。
それが良いことなのか、悪い事なのかを議論する訳ではありませんが、
「個人の力」の重要性が高まっていることは、多くの方が感じられていると思います。
そもそも、noteというプラットフォーム自体が個人のクリエイターの活躍の場になっています。
これだけ、社会が個人を重視するようになる中、
″普通″や″一般的″という言葉の持つ価値は、昔に比べて大きく下がっていると思います。
″普通″な人が、″普通″な事を発信しても、誰も見向きしてくれない時代でもあります。
ただし、「普通の生活」の対義語は「派手な生活」ではありません。
別に周りの人からキラキラして見えなくても、「その人らしい生活」を送る事が大切です。
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ここまでの事は、世間ではよく言われている事かもしれません。
皆さんも聞いたことある主張だと思います。
では、なぜ
″普通″にこだわり、今でも苦しい思いをしているのでしょうか。
僕は近くの人とと合わせないといけないという、刷り込みのせいかな
と思っています。
壮大な話になってしまいますが、
僕たちは大昔、力を合わせて米を作って生活していました。
この時、周囲の人の協力が無いと食べるものがなくて死んでしまいます。
それから長い時を経た、昭和の時代にも、人と繋がるツール(携帯)が普及する前には
身近な人に合わせないと、すぐさま孤独な人間になってしまいました。
このように、長い歴史を見てみると
身近な人に合わせる力がとても大切だったように思えます。
しかし、今の時代では
その気になれば
すぐに、誰とでも、どこに居ても
繋がる事ができます。
例え、すぐ近くに居る人達に合わせられなくても、孤独になる事を避ける事が出来るはずです。
″普通″にこだわってしまうのは、
″普通″である事が、重要だった時代の名残です。
現代で、本当に”普通”に価値があるのか。
もう一度考えてみる必要があるはずです。
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本日もありがとうございました!
では、また明日!!
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