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ニッポンの偽善 - ウクライナ反戦運動は助け合えない日本人の免罪符になってはならない

日本のメディアのウクライナ侵攻のニュースがものすごい数になっている。日本のメディアは大日本帝国時代から存続する超巨大企業であり、ドイツと異なり、テレビ・新聞が一体化しており凄まじい影響力を持つ。かつて朝日新聞は第二次世界大戦を賛美した。その黒歴史を考えれば、日本のメディアが「ロシアによる戦争」を報道で批判するのは、過去の大戦から学び、戦時中と異なる姿勢をとっているということなのだろう。

他方で「ドイツにロシアからエネルギーを買わせないためにはどうすればいいか?」や「フィンランドの首相のNATO加盟を目指している」など、他国への内政干渉をする傾向がある。ウクライナを応援するのは一つの正しい方向性かもしれないが、そのために手段を択ばない極端な報道姿勢は戦時中を彷彿とさせる。そこには明らかに無理がある。北方領土問題、原発問題など「解決できない自国の問題」を棚に上げておき「解決できない他国の問題」には一生懸命外側から文句をつける。当事者の国ではなくなった途端、正義を振りかざすのも日本のメディアの特徴だ。

またその「正義感」は「戦争の犠牲者のために報道している」という言い訳により正当化されている分、質が悪い。ロシアもウクライナも様々な事情があり今回の戦争に至っている。彼らの事情に「土足で踏み入り」再生回数の高い動画を垂れ流す日本のメディアと視聴者には「どんな事情も自分たちは理解できる」というおごり高ぶった態度がみられる。ロシア人とウクライナ人の民族対立の感覚は、四方を海に囲まれ(守られ)移民も受け付けない、(欧米人の感覚からすれば)極右並みに「自分たちの生活だけを守る」ことを普段から考えている日本人に果たして理解できるものなのだろうか。

いつかウクライナ戦争が終結したとき、日本人はどう行動するのだろうか?ウクライナのような小国の人は助けないといけないから、ウクライナから流出した450万人の移民を受け入れるだろうか?あるいは今そうであるように極少数のウクライナ人を受け入れただけで、あたかも自分たちがウクライナのために何かをやったつもりになっただけで終わるのだろうか?

ポーランドやドイツは現在ウクライナ難民収容施設の掃除人や食事係の求人が増えている。本当に彼らのためになる活動とは、このように「空間的に」極めて近接した場所にいる人にしかできないものだ。そして、ウクライナ人を本当に助けようとする人には、望んでいる仕事を諦め、このような仕事に身を投じなくてはならない人たちもいる。それはドイツ人の平均月収である約4000ユーロとは程遠いくらいの安月給である。文字通り「ウクライナ人のために身を切る活動」なわけである。

空間的に離れた場所に住む私たちが何かをしても、それは私たちの自己満足に終わっていないか、おためごかしになっていないか、私たちは考える必要がある。不景気で賃金が低い私たち日本人同士がそもそも助け合えていない時点で、私たちに「助け合い」を語る資格があるのだろうか?

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