見出し画像

「こころ、揺れる」 - nothing is given and taken for free

自分の「こころ」が揺れた、揺らされた言葉や経験、思いををまとめてみようと始めたnoteも、2月頭に思いついたテーマをリストアップしたものを、ようやく2ヶ月かけて形に残す事が出来た。正直、分かりやすくはまとめられなかったが、それも実力なので、今後に生かしていきたい。(下記つぶやきに記載のテーマ)

https://note.com/kokoro_yureru/n/n9fd43e39673d


その中で最後になったテーマが、最近良く目にする「世の中、欲しい欲しいと要求するだけではなく、give & takeが大切だよ」だったり、「とにかくgiveが必要、その結果結局は自分に返ってくるから」といった趣旨の記事や本から発想を得たもの。

私は、率直に、そして単刀直入にいうと、巷で言われているgiveだのtakeだのは、自分という一人称が主体になっている時点で、正直大した違いと価値がないと思っている。giveが大切と言いつつ、結局takeすることにつながることを期待して行っているに過ぎず、自分がtakeすることばかりの自己中心的な考えがほとんどだと感じる。

何を到達点や手にしたい結果と捉えるかにもよるが、私の中では、人生は、何かしら自分の努力や取り組みが、世の中のためにつながる、周りの方々の「こころ」を揺らすこと、また周りの方の「こころ」が満たされることにつながることを目指して進んで行きたいと考えてきた。それは、自分の性格や、頂いてきた教育によるものもあるし、また普段関わっている業務が、それと正反対とも言えるやや無機質な性質のものなので、その反動による部分もあると思う。

私自身は、いかなる物も行いも出来事も、freeで手に入るものはなく、またfreeで与えることは出来ない、また何かしらのメッセージを持つ物と考えている。(positiveなものも、negativeなものも含めて)

・あの人があなたにかけてくれた温かい励ましやアドバイス

・あの人がくれたお祝い

・あの人の叱責や怒り

・あの人が破って投げ捨てた、自分がまとめたレポート

私はこれら全てを、positiveもしくはnegativeなimpactを与えてくれるプレゼントと捉えてきた。どちらのベクトルを向いているかの違いこそあれ、私にとっては、意味をなす価値のあるものだと捉えるよう意識してきた。

一方で、自分自身は何か周りに影響を与えたり、何か価値を提供してこれたか。

散々考えてあげたプレゼントが、あまり感謝されなかったこともあれば、自分が発した何気ない一言に涙を流して喜んでくれた人もいた。

前者は私にnegativeな気持ちを、後者はpositiveな気持ちを残した。そして何が違う結果につながったかを考えた時、それは、相手が価値があると捉えられるものを、適切なタイミングで提供できたかどうか、という点で大きく違ったということに思いが至った。giveするのにも、価値があるかどうかが重要だということに気が付いた。そして、その基準は、相手がどう捉えるか、どういう点に価値を置いているか、ということを意識することだと感じた。

相手から何かを頂くにしても、相手に何かを贈るにしても、価値があるものかどうか、価値を捉えられるかが重要だ、と表現する方が伝わるだろうか。


相手が贈ってくれた価値を見出し、しっかりと受け止められる自分でいるか。その行為に至るまでに、その人が何を考えていたか、期待していたかを含めて、考えることができるか。

相手にとって価値があるものが何かを思い、そこに応えられるものを提供できるか。本当に何かを与えるだけの物を自分が持っているのか、冷静に判断できるか。そして受け取ってもらえたことに感謝できるか。

ものや、メッセージや、思いが持つ価値を「こころ」で感じ取れるよう磨きつづけることで、自分自身の価値を見いだせるのではないか。

かなり抽象的なnoteになってしまったが、今手にしているあらゆる物を失ったとしても(一番最悪の状況を想定する仕事ばかりしているので、こういう発想を良くするのだが)、その「こころ」だけは失わないようにしたい、そう思った本年度最初のnote。

何事もタダで受け取ることも、与えることもできない。

この記事が参加している募集

忘れられない先生

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?