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「こころ、揺れる」 - モータースポーツは、スポーツじゃないですって?

このnoteのタイトルは、「足すんなら、その分、引きなさいよ?」と、どちらにするか、書きながら迷っている。(実際、既に反対を選んで、また元に戻した。)

近しい人に、長年モータースポーツに携わった人がいて、その方の影響で、自分も近年F1とMoto GPのファンになった。

そういう自分も、以前は、モータースポーツなんて、乗っているマシン次第で、スポーツじゃないでしょ、と思っていた。

そして、初めてレースを見に行って、レーサーやライダーに話を聞いて、自分で体験して、間違いなくスポーツだと実感した。主に3点ある。

・車やバイクの開発や改善のプロセスや思考、レース戦略

どういうサーキットで、どういうカテゴリー(短距離、中長距離?時間耐久か、一定周回数か、ドライバーは一人か等)で走るかによって、また天気や気候、路面条件等により、ベストなセットアップが変わる。ある程度汎用性のある基本を備えつつ、レース本番前のプラクティスで調整をして、本番時の状況に応じて、ベストと思われる戦略をその場で検討して決定・調整していく。

車体の安定や空気抵抗の減少のため、エンジンの強化や耐久性向上のため等の理由のために、ある部品を足したいと思っても、重量の制限や、重さによるスピードの低下等を考慮して、代わりに引かなければいけないものがあったりと、総合的な思考・戦略が求められる。

そして、ドライバーとの相性も踏まえた上で、調整を行っていく。

・実際のレースに要求される肉体・精神

よく、「最高で3Gの負担があるレース」などと言われるが、地上での通常時の重力の何倍もの重力が体にかかる。レーサーやライダーのトレーニングは、筋肉が多すぎて重量が増えすぎるのもマイナスになる一方、他のスポーツとも異なる重力に耐えるためのトレーニングも必要になり、特殊な訓練に加えて、長時間集中力を維持するだけの持久力が必要となる。

海外のサーキットなどでは、F1の(少し前の)実際の車体を改造したデモカーや、二人乗りのMoto GPのバイクに、試乗することができる。私も両方とも体験したことがあるが、F1では、自分の首が全く使い物にならず、ヘルメット毎前後左右に揺れまくって極度の乗り物酔い、Moto GPでは、体感速度が更に大きく感じられ、また身体を車体に合わせて移動させる必要があるにもかかわらず、運転するライダーの身体に密着することだけに必死で、最後のストレート以外は、全く目を開けることなく終了した。

また精神面についても、盛り上がりすぎるとあまりにagressiveな運転をしてスピンやリタイヤをする可能性がある一方、わずかなpassing chanceを掴むしか順位を上げる方法はないため、精神を安定させていくある意味レース道のような取り組みが必要とされる。

・燃料・タイヤという追加的考慮要素

モータースポーツには、燃料とタイヤという独自の制約がある。大量に積むと長い距離を走ることができるが、その分最初は重いのでタイムは伸びない。

一方で、車体は別としてどんな場合でもグラウンドに触れるタイヤという考慮が必要で、それはむしろ、距離が延びるほどタイヤが延びてしまうため、タイムは落ちていく。この二つのバランスを見ながら、レース展開に応じて、どこで全力で飛ばすのか、どこで温存するのか等の意思決定をしていく必要がある。

この肉体と視力、そして集中力と柔軟性を備えるための訓練、さらにはレーサーやライダーだけでなく、戦略を考えるストラテジストやメカニックを含めたチーム全員で戦う、という意味で、間違いなくスポーツとしか言いようのないものだと実感した。


足すなら、足すだけの意味があるか、代わりに何かを削ぎ落とせないか、トータルで何が目標に向けて最善か、という選択を継続的に行うこと、その場のアクシデントに臨機応変に対応しながら、少しでも良いパフォーマンスで繋げていく、という思考プロセスは、あらゆる物事にも応用できる。

前述の体験を踏まえて、運転する側は全く向いていないことをこれでもかと痛感したが、サーキットやレースから学べることは沢山ある。

今年のF1や鈴鹿8耐中止などの残念なニュースを聞きながら、そんな余計なことばかりを、頭の中で、自分の中での全速力でぐるぐると考えている。


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